第75話 偽学者は昼食の準備に取りかかった
さすが熟練の冒険者パーティーというべきか、魔物が出ても慌てることなく速やかに対処し、護衛対象の伯爵はもちろん、ノクスたちも一切前に出る必要がなかった。彼らに深手を負わせた魔物となると相当手強いに違いないと、人知れずノクスは警戒を強めた。
「この辺りで昼休憩にしよう」
五層から六層に下りる階段を見つけたところで、リーダーが提案した。森が更に濃くなる中、相変わらず疑似太陽は定位置で輝いているが、時刻は確かに昼を過ぎている。
「ナーナ、俺たちの出番だ」
「はい」
それを聞いて、相変わらず胡散臭そうにノクスを見ていたリーダーが、更に眉間の皺を深めた。ノクスは薪と鍋を取り出してナーナに預け、ナーナは丁寧に薪を組んで、辛うじて使える火の魔術で点火した。手際良く料理の支度を始めるナーナと、何より次から次へと何かが出てくるノクスの魔術収納に、魔術が使えることを知っている伯爵まで呆気に取られている。
「何か手伝うことはありますか?」
率先して動いたのは、冒険者パーティーの魔術師だった。パーティーの中で一番礼儀正しい彼は、ネイトと名乗った。
「いえ、ここまで任せきりでしたから。休んでいてください」
言いながら、ノクスは野菜類を水魔術で洗い、ナーナの持つ鍋に、火が通りやすいよう風魔術で小さめに切りながら入れた。皮は剥かない。
「……では、横で見ていても?」
「構いませんよ」
鶏肉も適当な大きさに切る。味付けはシンプルに塩だが、しばらく煮込めば野菜からも肉からも出汁が出て美味しい。火加減と煮込み中の管理はナーナが行う。ナーナが食事の支度は全て自分がすると意地を張ったこともあったが、旅の中で最終的に辿り着いた、一番効率の良い、そしてナーナが納得する役割分担だった。
「薪って火加減の調節が面倒だし、アイギアにコンロを譲ってもらえないか聞いてみようか」
「私はこう、立ったまま作業ができる、コンロと洗い場と調理台がセットになった、衛生的な台が欲しいです」
「それ、持ち運べる人が限られるよ」
後にシステムキッチンという名前で、冒険者向けではなく家庭向けの据え付けタイプとして販売されることになる。
そんな日常会話を聞いていたネイトが、そろりと口を挟んだ。
「……アイギアって、術具研究所のアイギア所長ですか?」
「そうです。ご存知なんですか?」
「私の年代で魔術学院を出ていて、彼を知らない者はいませんよ」
「やっぱり有名なんだ、アイギア」
あまりにもカジュアルな装いと態度なものだから、ついあの塔で一番偉いということを忘れそうになる。ネイトは深く頷いた。
「有名なんてものでは。在学中から宮廷魔術師団の次期師団長の席を空けてあるとまで噂されていたのに、あっさり断ってゼーピアに留学した男がいるという話を、教師から未練がましく延々聞かされました」
「そういえば、そんなこと言ってたなあ」
まさか師団長クラスだったとは。術具にしか興味を示さないもっさりとした長身を思い出してノクスは笑った。
「……でも、断って正解だったかもしれません。貴族は『純血』を好みますから」
ネイトは自嘲気味に笑った。エルフの先祖返りであるアイギアが、宮廷魔術師になることに命を賭けている貴族の令息たちを差し置いて師団長になったりしたら、余計な面倒事に巻き込まれていたことは間違いない。彼を慕う職員たちに囲まれて、サースロッソで楽しく術具をいじっているほうが、きっと幸せだ。
そこでノクスはふと気になり、訊ねた。
「ネイトさんは、どうして冒険者に?」
「私ですか?」
「宮廷魔術師を目指していた貴族の子どもが、よりによって冒険者になるなんて、珍しいなと思って」
わざわざ危険の多い冒険者にならずとも、学院出身の魔術師なら、民間で安定した職に就ける。するとネイトは驚いた様子で目を見開いてから、観念したように微笑んだ。
「話しすぎましたね。単に、宮廷魔術師になるほどの力がなかっただけです。そうしたら、無能は必要ないと家を追い出されました。次男だったもので」
もう二十年近く前のことです、と、懐かしむように目を細めた。
「それで、手っ取り早く食い扶持を稼ぐために冒険者になったら、案外居心地が良くて、ずるずると」
ははは、と笑う顔は晴れやかだった。
「そういう学者さんこそ、私なんかよりよほど魔術に長けているのに、どうして王宮ではなく迷宮に?」
ノクスは少し考えてから答える。
「こっちのほうが面白そうだったからですかね。実は、学院にも行ってないんです」
魔術学院に行けなかったことには今でも少し未練があるが、アストラの元に来た宮廷魔術師のスカウトを断ったのは自分の意思だ。そこに後悔はない。
「学院に行かずにそれだけの魔術を? 術具研の未来は明るいですね」
「はい、アイギアはあと80年くらい現役でいるつもりみたいですし」
アイギアは、人間の倍は生きられる身体を持っているのに、途中で引退して別のことをしようというつもりはまったくない。研究所に骨を埋めるつもりだろう。術具研の所属だと思っているネイトに合わせて頷きながら、今は嘘でも、いずれ本当に術具研の職員になってもいいかもしれないとノクスは思っていた。
「顔も知らない王のために働くよりは、身近にいる大切な人のために働くほうが、性に合ってますよ、俺には」
「――確かに。自分のため、仲間のためのほうが、やる気は出ます。私にも、王宮勤めは向いてなかったってことですね」
ネイトも肩を揺らして笑った。ナーナは真剣に鍋のアクと見つめ合いながら、「大切な人」という単語を聞き逃さなかった。
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