第72話 王子は日記を読んだ

 鍵の掛かった引き出しには、日記が三冊入っていた。一番古いものはフーゴの十二歳の誕生日から始まり、年に一冊ずつ使っているようだった。

 そして、十四歳の誕生日から始まった三冊目は、半分ほどから先が白紙。記載がある部分も、ペンを持つ力が衰えていたのか後半になるほど分量が少なく、弱々しい文字で書かれていた。


 ノクスはライティングデスクの椅子に座り、『今日は調子が良かったから町に買い物に行けた』『熱を出して寝込んでいたら、弟が果物を買ってきてくれた』など、拙い少年の字で書かれた、三十年前の日常を読み進める。


「何か、参考になりそうでしょうか……」


 カティアが、そわそわと訊ねる。ノクスは首を振った。


「今のところはなんとも……。ただ、フーゴさんはもしかすると、自分が長くないことを悟って、この日記を書き始めたのかもしれない」


 家族に見つかった時のことを考えていたのか、序盤は特に、わざと明るいことばかり書いているような違和感があった。


「うん?」


 一冊目の日記を早いペースでめくっていると、ふと気になる記述を見つけた。


「『今日は魔術が使えた』?」

「え?」


 読み上げると、後ろから覗き込んでいたナーナも首を傾げた。


「今日は、って、どういうことだろう」

「そもそも、今まで呪いを受けた方は、まともに魔術が使えなかったという話ではありませんでしたか?」


 顔を見合わせ、続きを読む。


「『少し使うと気分が悪くなってくるけど、魔術の練習は楽しい』だって」

「定期的に練習をしていたのですね」

「気分が悪くなるってことは、魔力不足を起こしてたんだな」


 魔力が少ない人間が無理に魔術を練習すると、よくあることだ。


「ラノも小さい頃、俺が読んでる魔導書の魔術を発動しようとして、倒れたことがあったなあ」

「まあ!」


 カティアがラノの幼少期エピソードを詳しく聞きたそうに目を輝かせたが、思い出話はそれだけで終わってしまい、次のページをめくり始めたノクスを見て肩を落とした。

 その後のページに度々記載されるようになった、『今日練習した魔術』という箇条書きの項目を見て、眉をひそめるノクス。


「……生活魔術の範囲を超えてる。これを発動できたなら、それなりに魔力はあったんじゃないか?」


 少しでも家の役に立ちたかったのだろう。徐々に難易度を上げて行き、十三歳の日記に差し掛かった頃には、中級魔術に手を出していた。水の魔術に適性があり、部屋の床を濡らして怒られたという記述もあった。


「でも、日によって内容がまちまちですね」

「確かに。この日は中級魔術を使ってるのに、こっちはコップ一杯の水を精製するだけで疲れたって書いてある」


 魔力は本来、きちんと食事を摂って休めば、半日ほどで回復する。だというのに、発動できる魔術の規模が日によって違うということは、回復量がまちまちだということになる。


「……フーゴさんは、元々身体が弱いんじゃなくて、慢性的な魔力不足のせいで病弱になってたのかもしれない」


 魔力不足は、軽度ではめまいや吐き気、重度になると発熱や意識障害を起こす場合がある。医者が診ていたとしても、三十年前の医学知識だ。近くに魔術に詳しい者がおらず、しばらく休めば回復するとなると、『身体が弱くてすぐに風邪を引く体質』という結論になってもおかしくなかった。

 そこから、体調と魔術の練習記録に重点を置いて読むことしばし、


「……月に一度、特に酷く体調を崩してる」


ノクスはひと月分のページを指でつまんで、ぽつりと言った。


「難易度の高い魔術を使った後にも寝込んでるせいで、不定期に見えて誰も気付かなかったんだ」


「……あの、どういうことでしょうか?」


 首を傾げるカティアに、ノクスは答える。


「魔術を使っていなくても、ひと月に一回、フーゴさんの身に魔力を極端に消費する何かが起きてたってこと」


 パターンがあるということは、フーゴの体調不良は本人が頑張りすぎたせいで起きているものだけでなく、作為的なものが働いていると見るべきだ。となると。


「――魔王の呪いは、宿主の生気じゃなくて、魔力を吸ってるのかもしれない」

「確かにそれなら、ノクス様が何の影響も受けていない理由も、説明がつきますね」


 ナーナは頷く。呪いが一度に吸収する魔力量を、ノクスの体内にある魔力量が常に上回っているせいで魔力不足が発生しないだけと考えれば、辻褄が合う。この日記を元に、もう一度ジェニーに相談してみるべきかとノクスが思案していると、


「では、呪いが吸収した魔力は、どこに行ったのですか?」


カティアが訊ねた。


「単に、苦しめながら弱らせるのが目的なのでは」


 ナーナが仮説を立てたが、ノクスは首を振った。


「それなら、もっと確実な呪いはたくさんある。不眠とか、幻覚とか、身体の一部がじわじわ腐るとか」

「……趣味が悪いですね」

「アイビーが言ってただろ。『嫌がらせには持って来い』のものを、『良いものを作る』って。感覚の違いじゃないかなあ」


 魔物が使う魔法には、そういった明確な悪意が見えるものや、負の感情を引き起こすものが多かった。彼らが嫌われる要因の一つだ。


「何かに魔力を使ってるって考えるほうが、自然だろうな。俺の魔力も、知らないうちに使われてるのかも」


 そう考えるとますます気味が悪い。日記を一旦机に置き、腕組みして唸っていると、


「……兄さん?」


 不意に、入口から声がした。振り返ると伯爵が立っていて、ノクスの顔を見て、ハッと我に返った。


「あ……。いえ、申し訳ございません。久しぶりに、その椅子に誰かが座っているのを見たもので」


 亡き兄が生きていた頃とほとんど変わらない歳の、同じ色をした少年の姿を見て、懐かしむように目を細める伯爵。


「お父様! 勝手に鍵を開けてごめんなさい、後でお伝えしに行こうと思っていたのですが」


 カティアが慌てて弁解するが、伯爵は首を振った。


「構わないさ。いずれ見つかるだろうと思っていた」

「すみません、俺がお願いしたんです」


 ノクスも頭を下げる。しかし、


「何か、見つかりましたか」


 伯爵は穏やかに、寂しそうに訊ねるだけだった。ノクスは、どう答えたものかと考えながら、目を伏せる。


「……はい。フーゴさんの日記です。呪いの症状が細かく書いてありました。……とても参考になりました」


 もし、虚弱体質の原因が魔力不足だと、フーゴが存命中にわかっていれば、根本的な解決にはならずとも、もっと長く生きられたかもしれない。それはきっと、アコールという国が建ってから、連綿と繰り返されてきた悲劇だ。


「伯爵も、読みますか?」

「……いえ、今はやめておきます。元の場所に戻しておいてください」


 鍵の開いた引き出しに視線が一瞬移り、それではまた夕食で、と微笑んで、伯爵は去っていった。

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