第71話 姫は引き出しの鍵を見つけた
小説を借りて、カティアの部屋から書庫に戻る途中、
「あっ」
またしても、何かを思い出した様子でカティアが小さく声を上げた。その視線は、ちょうど通り過ぎようとした扉のほうを向いていた。
「どうかした?」
ノクスとナーナが扉を注目してしまい、しまった、という顔で少し目を伏せ、視線をうろうろと泳がせるカティア。それから、観念して答えた。
「あの……、この部屋は、父の兄……、フーゴ様のお部屋だったのです」
「え?」
視線を辿った先にあるドアノブには、書庫と同じく埃が被っていた。
「父が話していないようだったので、言うべきか迷ったのですが……。やっぱり一応、伝えておくべきかと思って……」
フーゴが実際に暮らしていた部屋というだけで、呪いにまつわる資料が残されているわけではない。しかし、
「書庫と同じで、私が生まれるよりも前から、誰も入らない部屋なのだそうです」
それを聞いて、ノクスとナーナは顔を見合わせた。つまり、中の物は当時からそのままなのでは。
「……入れるかな?」
伯爵が部屋の存在を言わなかったということは、できればそっとしておいてほしい場所だということだ。だが、少しでも可能性があるなら、見ておきたかった。
「鍵の場所は知っています。お二人の希望にはできるだけ応えるようにと言われていますので、父には私から話します」
カティアは決心した様子で頷いて、一人で階下へ向かった。
***
フーゴの部屋は、気味悪がられていた書庫と違い、この部屋にいた存在を大切に思っていた誰かが、時間を止めておくために鍵をかけていたような、温かさと寂しさの残る空間だった。
「……本当に、当時からそのままみたいだ」
中のものがなるべく日に焼けないように、カーテンは閉められていたが、それでも経年で家具や布類は色褪せ、場所によっては黒くカビの跡があった。海の手で湿気の多い地域なのだから、人間が寝食をしていた部屋を放置していればそうなる。書庫の本も、いくらかカビているものがあった。
「フーゴ様は、亡くなる直前まで書き物をしていたのでしょうか」
ナーナが見ているライティングデスクの上には、ペンが転がっていた。ペンの先にはインクがついたままで、インク壺の蓋は開いたまま、中身はカラカラに乾いていた。メイド時代の習性で、蓋を閉めて所定の位置に片付けたいのを我慢しているようだった。
「でも、肝心の紙は、ないな……」
死の間際まで、何を書いていたのだろうか。自分とそう歳の変わらない、ほとんど外にも出られない病弱な少年が、部屋で行う書き物。ノクスはじっと考え、ナーナとカティアはその横顔を、それぞれ違った表情で見つめていた。
「日記?」
はっと思い立ち、ライティングデスクの引き出しを見る。三つある引き出しの最上段には、鍵が付いていた。引き出してみるが、しっかりと施錠されている。
「ここの鍵は?」
「そんなに小さな鍵は、なさそうです……」
カティアは持っている鍵束を確認するが、いずれも扉に差し込むような、大きな鍵ばかりだった。
「さすがに、引き出しの鍵は一緒に保管してないか……」
きっと大切な鍵だ。伯爵自身が管理しているかもしれないと、ノクスが一旦諦めようとした時だった。
「……この机で日記を書いている時に、フーゴ様の容態が悪くなったとして……」
ナーナが、ぽつりと呟いた。
「ペンもインク壺も片付けなかったご家族が、日記だけわざわざ引き出しに仕舞って、鍵まで掛けるでしょうか」
そして、鍵のない下段の引き出しを順に開けて中を確認し、今度は椅子を引いて床に膝を突き、机の裏を見た。
「ありました」
「ええ?」
引き抜くようにして、小さな鍵を取り出した。カティアがぽかんと口を開けている。
「そんなところに、どうやって隠してたんだ?」
ノクスは床に座って誇らしげに鍵を見せるナーナの隣に屈み、裏側を確認する。と、長さ数センチメートルの細長い布が、ベルトループのように両端だけ机に張り付いていた。挟んであったのだ。
「父も、ここに隠していました。小さい頃、私が机の下に潜って見つけてからは、別の場所に隠したようですが」
一緒に覗き込んだ姿勢のまま、はい、と鍵を渡してくるナーナの顔が想定外に近く、ノクスは慌てて離れようとして、
「いてっ」
机の下に頭をぶつけた。ナーナは満足げに、そして自分は頭をぶつけないよう慎重に離れた。カティアがとうとう勘付き、はっと口に手を当てた。
「ええと……。鍵がここにあったってことは、フーゴさんは、自分で隠したのか」
ぶつけた頭をさすりながら、ノクスも机の下から恐る恐る這い出した。二重の意味で恥ずかしそうな、ラノが一番しそうにない表情だったが、カティアは目を輝かせている。ノクスは失態を思い切り見られていたことに気付いたが、気付かなかったことにして気を取り直した。
「……開けてもいいかな……」
隠したということは、死ぬ間際でも、日記を家族に見られたくなかったということだ。三十年前の話とは言え、曝いていいのだろうかと、良心が咎める。
「この際ですから、開けてみましょう。本当に見られたくないことは、日記にも書きませんよ」
手のひらで輝く小さな鍵を見て躊躇うノクスに、ナーナはあっさりと言った。
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