第102話 魔術師は竜を見つけた
長く人が立ち入ることがなかった坑道は朽ちかけていた。天井から染み出す地下水がぽたぽたと音を奏でて水たまりを作り、四人がそれぞれに足跡を付ける傍らをより低い方に流れていく。補強のために組まれた木材が腐食している部分も多く、お世辞にも状態が良いとは言えない。道が狭く天井も低いおかげで基本的には正面と背後だけを警戒していればいいのは幸いだが。
「ちょっと暴れたら道が崩れるかもしれないな」
そうならないよう魔物を静かに一撃で屠る魔術師の背中を、レイヤとレフラ支部長はぞっとしながらついていく。二人も剣を抜いて構えてはいるものの、ほとんどの魔物は気付いた時には撃ち抜かれているため、時々吹っ飛んでくる死骸をナーナに当たらないように払う程度だった。ナーナのそばにいれば万が一崩落してもついでに守ってもらえるだろうという打算もあり、彼女の警護を怠らないのでノクスとしても楽だった。
坑道内には時々、わざと広めに、そしてなるべく床が平らになるように作られた部屋があった。鉱山が稼働していた頃に労働者の休憩所として使われていたと思しきポイントで休憩を挟みながら、一同は黙々と進む。
何度目かの休憩の際、組合でもらった閉山前の地図にメモを書き込みながらノクスは唸った。
「どうなさいましたか?」
「……竜なんてものが住み着いたら普通、弱い魔物はその住み処には寄りつかなくなるんだ」
ケイの差し金で発生したブラックベアーの時のように、本来なら獣も魔獣も強い存在を恐れて逃げ出してしまうものだ。
「なのに、奥に行くほど魔物の数が増えてるのはおかしい」
強さは入り口付近にいたものとそう変わらない。だが報告書のとおり、出てくる種類がバラバラ。迷宮でもここまでの統一感の無さは珍しい。
「やっぱり竜とは別の異変だと思う」
「別の異変……?」
てっきり竜さえどうにかすれば全て解決するものだと思っていたレフラ支部長は怪訝な顔をする。
「竜を倒してもダメ?」
レイヤも不安そうに聞き返す。
「ダメってことはない。少なくとも鉱山の封鎖は解かれるんだから、あとは人海戦術で原因を探ることもできるだろ」
貴重な銀鉱山からひとまずの危険が去ったとわかれば、ウェストール公爵家はもちろん国も補助を出すだろう。鉱物は術具の素材にもなるのだから、サースロッソ公爵家や術具研からも支援できる。ノクスも多少なら手出ししていいと思っていた。
「まあ、心当たりを一つずつ潰していくしかない」
数枚にわたる坑道の地図と照らし合わせると、そろそろ最深部に差し掛かっていた。人間の道具が付けたものではない、真新しい削り跡が壁や地面のあちこちにあり、その近くには土と石が丸く固められた塊のようなものが転がっている。
「あれ、なに?」
自然にできたものではなさそうな塊の横を通り過ぎながら、レイヤはノクスに訊ねた。
「鉱物竜の糞」
「げっ」
鉱物竜は、自分の好む鉱物が含まれる土や石を丸ごと体内に取り込み、必要ないものだけを体外に出す。人間が考えるものとは全く性質が異なり臭いもしないのに、糞と聞いただけでなんとなく忌避感が出て、少し距離を取ってしまった。
「自分の大きさに合わせて道を広げてる様子はないし、糞の大きさから見ても、体格は大きくない。主食は銀で間違いなさそうだ」
ぶつぶつと呟く研究者モードに入ったノクスにナーナはそっと話しかける。
「もう近くにいるのですか?」
「うん。探知した感じだと、この辺りかな」
「え!?」
地図で見ると二ブロックほど先のエリアだった。急に竜の居場所が近いと告げられてレフラ支部長はあからさまに狼狽したが、レイヤの手前自分がしっかりしなければと思ったのか、口を押さえて表情を引き締めた。
光源を最低限に絞り、できる限り気配を消して進むことしばし。ノクスは不意に立ち止まった。
「この先にいる。ここから会話はなしだ。三人は俺が手を上げたらそれ以上付いてこないこと。ナーナにはこれを預ける」
「? 何でしょう」
魔術収納から取り出したのは、冒険者証だった。
「俺に万が一のことがあったら石を換金して、好きに使ってくれ」
「嫌です。絶対に無事で帰ってきてください」
ナーナが珍しくむっとした表情をして思わずノクスはかわいいと思ってしまったが、今はそれを考えている場合ではない。
「万が一だって。二人はヤバいと思ったら、ナーナを連れて全力で逃げること。狭い坑道の中なら竜は飛べないし、逃げ切れるはずだ」
そう言って、レイヤには地図を渡した。入り口までの最短ルートと、特に状態が悪い箇所や魔物が巣を作っていた場所などの気をつけることが細かく記されていた。無視しても問題なさそうな弱い魔物を几帳面に屠っていたのも、休憩の度に地図を睨んでいたのもこのためだったのかと、レイヤとレフラ支部長は目を丸くした。
「わかった……」
「それじゃ、行こう」
普通の冒険者にとっては間違いなく死にに行くための道だというのに、そしてたとえ赤五つだとしても自分が命を落とすパターンを考慮して対策まで練っているというのに、ノクスはあっさりとした様子で踵を返す。
旅の中で、ナーナはノクスが強い魔物と対峙する姿は何度か見てきた。冷静で躊躇いのない姿は、彼の強さがもたらす自信の現れなのかと思っていた。しかしここでようやく、その認識が間違っていたことに気付く。――彼はただ、死を覚悟することに慣れてしまっているだけなのだ。
「……」
手の中の薄いカードを握りしめ、ナーナはその背中を追いながらじっと見つめる。
それからしばらくして、ノクスは振り返らずに右手を挙げた。
遠くで黒いシルエットが動いた。
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