第103話 魔術師は竜を手懐けた
鉱物竜の特性は外皮に色濃く表れる。金属を好むならその金属が、宝石を好むならその宝石が、鱗となって身体を覆うのだ。つまり極力傷を付けずに少人数で討伐できれば死骸一体で豪邸が建つほどの価値になるのだが、素材欲しさに手心を加えると返り討ちに遭いかねないため、記録の限りでは綺麗な死骸が残った例はない。
金属が高温の炎で溶けることを利用し、火属性に適性のある高位の魔術師を集め、気付かれる前に先手を取って集中砲火による短期決戦を行うことが推奨される。討伐しても小さな欠片や焦げて質の落ちた貴金属が採取できる程度で、損害を考えると完全に赤字だ。ちなみに肉は毒性が強く食用にならない。
本で読んだ内容をいつものように反芻しながら、しかし今回は口には出ないように気をつけながら、ノクスは一人でそっと奥へと進む。三人の周りには障壁を二重に張ってきた。
尖った岩を背負ったトカゲのようなシルエットが、狭い坑道の通路を塞ぐようにしてガリガリと無心に壁を削っていた。時々音が止んでもぞもぞと動くのは、削った岩を口に運んでいるのだろう。動物も魔物も食事中が一番無防備になるので不意を突くには良いタイミングだが、ノクスはその姿に違和感を覚えた。
――体色が黒い。
銀を主食にしているのならその外皮は純度の高い銀に覆われて小さな光源でも光を反射するはずなのに、黒い影は近づいても黒いままだった。不審に思いながらもひとまず本来の作戦通りに魔術を発動する。
「『障壁』」
一番使い慣れた防御魔術だが、掛ける相手はノクス自身ではない。白く光る壁は音もなく黒い竜を包み込んだ。ようやく敵を認識した竜は透明な球体の中で暴れるが、衝撃はすべて壁が吸収する。
「何だこれ……」
巨体による体当たりでも障壁の強度が足りることが確認でき次第、すぐに最大火力で燃やす予定だったノクスだが、竜の異常な様子をついまじまじと観察してしまった。念のため外側にもう一回り大きな障壁を作る。
最低限に絞っていた光源を大きくしてしっかりと確認したところ、鱗の材質は一応金属の硬さを持っているように見える。だが塗り固められたような漆黒はどう見ても銀には見えない。高位の魔物というのは見蕩れてしまうほどの洗練された空気を纏う者が多く、竜と言えば金色の瞳をしているというのが定説だ。なのに目の前で無様にもがく姿から放たれる不快感と赤く光る目は、まるで下級の魔物だった。
「これは……。呪い? いや、何か違うな……」
思わず考え込みそうになったところで、ふと魔物に詳しい吸血鬼のことを思い出した。
「アイビー、今話せる?」
『む!? 念話を習得したか! よいぞ、話せ!』
アイビーは話せと言いながら、もごもごと慌てて何かを飲み込んだ。念話は口を開けて喋るわけではないのにどうして口の動きが乗るのか不思議に思いながらも、脱線している場合ではないのでノクスはスルーする。
「今、銀鉱山の竜を捕獲したんだけど。銀を餌にしてるはずなのに、身体が黒くて目が赤いんだ。心当たりはない?」
『身体が黒くて目が赤い? ……ふむ』
さすがのアイビーもふざけている場合ではないと気付き、真面目なトーンで考え込んだ。
『近くに
「魔沼……って、汚染された魔力が水に溜まるアレ?」
発生原因は不明で、魔物の多い森や山に発生し、存在する限り魔物を際限なく生み出す厄介な沼。
冒険者組合では見つけて報告するだけの依頼として貼り出されることがあり、労力の割に報酬が良いのでノクスも数回受けたことがある。強力な浄化魔術でないと消し去ることができないため、報告したポイントに後から宮廷魔術師が赴くのだ。もちろんノクスは自分で浄化するなどという余計なことはしない。
『アレじゃ! 人間はアレを水だと言うが、わらわからすればアレも魔物じゃ』
それを聞いて、ノクスは腑に落ちた。
「……本体は見つけてないけど、たぶん近くにあるな」
大量発生してレフラの町を襲った魔物の原因が別にあるという予測は当たっていた。魔沼が出現したのがここ一年の話なら、最近になって突然襲撃が始まったことにも説明がつく。竜という特大の恐怖が存在しているせいで、誰も他に異常があると思わなかったのだ。
『なら、黒い竜の治し方は魔沼と一緒じゃ。できるじゃろ?』
「……うん、やってみるよ。ありがとう、アイビー」
『うむ、崇め奉れ! 礼なら今度会った時に一口吸わ――』
ノクスは一方的に念話を切り、球体の中で暴れ続ける竜に更に近寄った。
遠巻きに見ていたナーナたちは、危ない、どうして、と叫びたくなる口を手で塞いではらはらと見守っている。
「アンタ、苦しいのか」
浴びたのか飲んだのかはわからないが、とにかく竜がこうなっている原因もまた魔沼にある。魔除けに使われるほど不浄な魔力への抵抗力が高い銀を食べているおかげで、何とか暴れ出さずに済んでいるに違いない。それでも本来なら正気を失うほどの苦痛のはずだ。元々の知性が高いことが窺えた。
「治してやるから落ち着いてくれ。竜は負けた相手に従うんだろ」
さすがに言葉は通じないかと思いながらも一応声をかけると、竜は障壁への体当たりをやめ、赤く光る目でノクスをじっと見てから座り込み、静かに頭を垂れた。
「嘘……!」
「竜が言うことを聞いた……!?」
レイヤとレフラ支部長は口を塞ぐことも忘れ、信じられないものを見る目で魔術師の背中を見た。
「……」
ナーナは竜の生態には詳しくないが、竜が大人しくなった理由が魔王の力のおかげではないことと、どうやら最大の危険が去ったらしいことを察して静かに安堵した。
ノクスは竜の障壁を解き、顎に触れた。
「『浄化』」
暗闇をかき消す眩い光に驚き、レイヤとレフラ支部長は思わず目を閉じる。ナーナも目がチカチカしたが、少しでもノクスから目を離すまいと必死に開けていた。
「良くなったか?」
やがて光が落ち着き、優しく話しかけるノクスの声がした。
艶やかな銀色の身体と聡明そうな金色の瞳を取り戻した竜は、
「いてっ」
大きな頭をノクスにぶつけ、グルグルと喉を鳴らした。
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