第104話 魔術師は山を浄化した

 竜は人語を話せないものの、ノクスの言葉は理解できているようだった。三人を覆っていた障壁を消しても敵意を見せる素振りはない。


「ノクス様!」


 障壁から出られるようになると、ナーナが真っ先に駆け寄ってきた。そっとノクスに寄り添うナーナの姿を見ても、グルルと喉を鳴らして首を傾げるだけだ。


「わたしたち、近づくの大丈夫?」

「うん」


 続いてレイヤとレフラ支部長が恐る恐る近づいてきた。大きな金の目が怖いようで、少し距離を取ってしげしげと眺める。


「まさか、竜が人に懐くなんて……」

「懐くっていうか……。竜の習性じゃないかな」

「習性?」


 竜は単独行動をする者が多いが、中でも飛竜をはじめとした一部は群れを作る。知能のある群れには、行動と考えをまとめるリーダーが必要だ。それがどうやって決まるかというと、単純に全員で戦って一番強い者に他の個体が従うのだ。


「群れない竜にもその習性が残ってるのかも」


 つまり自分を傷つけることなく捕獲したノクスを自分より強い者と認め、従うことにしたというわけだ。


「それよりアンタ、なんであんな真っ黒になってたんだ?」


 すると竜は付いてこいと言いたげに首をもたげ、更に奥に向かってのしのしと歩き始めた。四人は顔を見合わせ、ひとまず後に続く。


 ほどなくして辿り着いたのは、坑道の終わりとも言うべき場所だった。天井は低く、長年地下水が流れ込み続けたことで溜まった水が池を作っており――その水は黒く濁っていた。


「これに触ったってことか」

「……魔沼までできてたとは」


 さすがにレフラ支部長は魔沼というものの存在を知っていた。竜は時折ボコッと音を立てて不気味に気泡が弾けるどろどろの液体にはあまり近づきたくないようで、立ち止まるとノクスたちを先に行かせた。見上げると天井から滲み出て池に落ちる液体が既に黒い。


「ここを浄化してもダメだな。大元は上だ」

「上?」

「この山の高い場所に池とか湖はない?」

「あ、あります! 昔は神事にも使われていた泉です。でも、そんな……」

「案内してくれ。宮廷魔術師を呼んでる場合じゃなさそうだ」


 組合に報告しても、浄化魔術が使える魔術師が到着するのは一、二ヶ月後。その間にまた大量発生が起きたら、いよいよレフラの町は保たないだろう。すると話を聞いていたレイヤが、レフラ支部長の肩を叩いた。


「泉はわたしが案内する。おじさんは町に戻って、封鎖解除と安全性調査隊の要請をして」

「レイヤ……」

「少しでも早いほうがいいでしょ。手続きはおじさんにしかできないことだから」

「……わかった」


 そしてレイヤはノクスを見て、今し方話した内容をアコール語で伝えた。


「そうだな。魔沼が生む魔物は弱いし、そのほうが効率がいい」

「じゃあ、ここを出るを急ぐ!」


 ノクスから預かった最短ルートの地図を取り出し、早速来た道を引き返そうとして、


「?」

「……」


 当然のようについてくる竜に一旦立ち止まった。


「この子も一緒……?」

「……どうしようか」


 人間に懐いたから安全だなどと、説明しても理解してくれる人間がどれだけいるだろうか。よしんば町の人々をレイヤとレフラ支部長が説得したところで、この竜は魔力を帯びた銀を産出するわけで、その希少性が新たな争いを生みかねない。つまりどう転んでも坑道に残しておくことはできない。ノクスは一応竜に訊ねた。


「アンタ、俺についてくる気?」


 グルル! といい返事があった。


「……とりあえず、全部終わってから考えよう」




 泉に続く山道はひんやりとした空気に包まれ、平時ならば森林浴でもと言いたくなる景色だったが、登るほど魔物の数も増えてそれどころではなかった。冒険者に必要な体力を備えているレイヤはまだしも、既に坑道で体力をかなり消耗しているナーナに今からの登山は厳しい。迷った末、背に乗せられないかと試しに竜に聞いてみたところ、喉を鳴らして快諾した。というわけでナーナは竜の背に座り、のしのしと断続的な振動を受けている。


「竜の背中に乗った人間はナーナが初めてかもしれないな」

「意外と乗り心地は悪くありません」


鱗は硬く冷たいが、岩のようになっている部分が背もたれ代わりになって安定感があった。ついでに少しでも射程内に入った魔物は竜が消し炭にするので安全性も高い。自分も乗ってみたそうにしているレイヤには治癒魔術をかけながら黙々と登り、二時間ほど歩いた頃だった。


「見えた、あれ!」


 本来なら清く澄んでいたはずの泉は遠巻きにわかるほどにどす黒く淀み、坑道内にあった小さな水たまりとは比べものにならない不快感を漂わせていた。竜が立ち止まったところでナーナとレイヤを待機させる。そこまでは安全ということだ。


「そういえば、竜は浄化の影響を受けないのですね」

「うん、浄化っていうのは穢れを綺麗にする魔術だから。純粋な魔力を持ってる高位の魔物には効かないよ」


 だが魔沼やそこから生まれた魔物、アンデッドの類いには絶大な効果を発揮する。問題があるとすれば、


「さすがにこの広さを浄化したことはないんだよな……」

「確かに、大きな泉ですね」

「泉もそうなんだけど……。魔沼の浄化って、土地ごとやるものだから」


 それを聞いて、ナーナの目が久しぶりに大きく見開かれた。


「土地ごとって……」

「そう、この山ごと。坑道の水たまりに届くくらい」


 地面に浸み込んだ水にまで効果を行き届かせる必要があるからだ。故に本来は複数人が派遣され、数ヶ所に配置された全員が一斉に行うことで土地全体を浄化する。それでも浄化魔術を使った魔術師は魔力を使い切り数日使い物にならなくなるため、宮廷魔術師の間では不人気な役目だったりするのだが、ノクスはそこまでのことは知らない。


「大丈夫なのですか?」

「まあ、一度で無理でもここと地下の池をまとめて潰しておけばなんとかなるだろ。やってみよう」

「そういうことではなく……」


 心配をよそにノクスがやる気満々なのを見て、ナーナは察した。もしやこの魔術師――いや魔術馬鹿は、今まで切らしたことがない魔力を使い切ることに興味があるのでは。今なら竜がいるので少々無茶ができる。

 恋人について『魔術が好きすぎるところだけは相容れなかった』と言っていたテレーズの気持ちが少しだけわかった気がした。

 しかしナーナのそんな気持ちを知る由もなく、ノクスは大きく息を吐くと目を閉じて集中する。


「『浄化』」


 散歩に行くような気軽な声と共に、傾いた日光よりも眩しい光が辺りを包み込み、波となって山を滑るように下りていく。どろりとした水は光に触れた場所から元の透明で清らかな水に戻り、あまりにも神々しい景色にレイヤは思わず見蕩れた。


 そして光が麓に到達した頃、突然ノクスの身体がふらりと崩れた。


「アストラ!?」


 驚いたのはレイヤだけだった。


「おお、身体に力が入らない。魔力切れってこうなるのか」

「……やっぱりそれが目的でしたか」

「最低限は残したよ」


 気絶するわけにはいかないので、一瞬意識がぼやけたところで止めた。座り込んだ自分をいつものように支えることもなく、ジトッとした呆れ顔を向けてくるナーナを見て、ノクスは見下ろされるのも悪くないな、とろくでもないことを考えた。

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