第105話 魔術師は西の冒険者に提案した

 ナーナの肩を借りてノクスがよろよろと立ち上がると、竜が心配そうに寄ってきた。


「帰りは私が歩きます」

「ちょっと休めば大丈夫だって。脱力感程度ならすぐに戻るって本で読んだ」


 意識を失うレベルになると熱を出すこともあるので危険だが、受け答えができる程度なら身体が慣れれば問題ない。――という話を、自分の身体で実験した魔術研究者が残した記録で読んだことがあった。竜の胴体に寄りかかり、念のため回復薬を取り出して飲む。幸いにも魔術収納を開く程度の魔力は残っていた。


「久しぶりに飲んだな……。ナーナも飲む?」

「いいのですか?」

「うん。ほら、レイヤも」

「ありがと……」


 受け取ったものの、普通の回復薬の味しか知らないレイヤは飲むのを少し躊躇った。が、ナーナまでもが一切逡巡せずに蓋を開けて飲み始めたのを見て不思議に思い、試しに蓋を開けてみると甘い果実の香りがした。


「ホントに回復薬?」

「美味しい回復薬ですよ」


 ナーナが何やら誇らしげに言うので、疑問符を増やしながら一口飲んでみる。


「おいしい!」


 普通の果実ジュースの甘みに驚き、もう一口飲んだ。


「これ、トーバの実?」


 覚えのある味に、レイヤはまじまじと瓶の中身を確認する。


「よくわかったな。そうか、トーバの実の産地は西側だったっけ」

「うん。うちの庭も生えてる」

「庭に?」

「畑に育てるところもある。そのまま食べるし、料理も使う」


 地域が変われば植生も変わるのは当たり前のことだが、東側では貴重な果実がまさか普通に家庭で栽培されているとは。


「……」


 ノクスは考えた。トーバという植物は限られた地域の気候でしか上手く栽培できない。その実は瑞々しいが故に足が早く、魔術収納がなければ隣町まで運ぶこともままならず、首都ですら存在を知る者が少ないご当地食材。ノクスが果実を手に入れられたのは、回復薬の味を改良している時に、ジェニーが昔西側で手に入れたものをおやつとして自分の魔術収納に隠し持っており、面白がって分けてくれたからだ。それからは魔術収納を使って貴族向けの商売をしている商人から仕入れていたので、少々割高だった。


 しかしレフラではその貴重なトーバの実が簡単に育つ。そして薬に精製すると保存が利くようになる。更に都合のいいことにレイヤは水の魔術に適性があり、液体の扱いが得意だ。ということは。


「レイヤ。レシピを教えるから、この回復薬をレフラの特産にしない?」

「え!?」


 一般に流通するようになれば、わざわざトーバの実を仕入れて自分で作る手間が省ける。上手くやれば町の復旧資金にだってなるだろう。ノクスにもレフラの町にも利益があって一石二鳥だ。


「特産……。銀以外の?」

「俺は町の運営みたいなことはよくわからないけど、必要だろ、そういうの。まあ、魔物の襲撃で畑もやられてるだろうから、すぐに量産はできないだろうけど」

「ええ。銀は掘り続ければいずれ枯渇する日が来ますが、植物なら継続して育てられますし」


 町おこしには持ってこいだとナーナも頷いた。まさか日常的におやつにしていた果物にそんな価値があったとは思わず、レイヤはぽかんと口を開けていたが、


「わかった、やってみる」


 町のためになるかもしれないのなら、断る理由はない。


「よし、何にせよまずは町に戻らないとな。そろそろ自分で歩けると思う」


 話がつくと、ノクスは寄りかかっていた竜から背中を浮かせ、試しに足踏みをしてみる。もうふらつかなかった。


「あとは、アンタをどうするかだよ……」


 竜は三人の視線が自分に集まったことに気付いて、グル? と可愛らしく小首を傾げた。完全にノクスに懐いてしまったが、どこに行くにも目立ちすぎる。かと言ってここに置いておいたら山の封鎖が解けない。


「せめて猫くらいのサイズなら、隠して連れ歩くこともできるけど」


 アイビーがサースロッソにいた頃にかけてやっていた結界を誤魔化す障壁と、家を抜け出す時に使っていた姿を見えなくする魔術を組み合わせれば、おそらく町でも隠すことはできる。だが存在自体が消えるわけではないので、この大きさが町中を歩いたら通行人が片っ端からぶつかっていくだろう。


「アンタ、小さくなれない?」


 腕で「これくらい」と大きさを示しながら冗談半分に訊いてみると、


「え、嘘」


 グルル! と一声喉を鳴らし、ぐにゃりと空間ごとねじ曲がったような感覚の直後、本当に猫ほどの大きさになった銀色のトカゲがそこにいた。


「……」

「……」

「……」


 三者三様に絶句した。


 鉱山を乗っ取ったのは、人間がマニュアルに従って勝手に警戒した結果そうなっただけで、本竜に一切悪意がないことは明白だった。アイビーに匹敵するかもしれない力を持ち、人間の言葉を理解する知能はあるが人間社会の善悪が判断できない若い竜。――ヤバい魔物を仲間にしてしまったのでは。


「……すごいな、アンタ……」


 ノクスはとりあえず機嫌を損ねないよう、屈んで頭を撫でながら褒めてやった。竜はもっと撫でろと言わんばかりに頭をノクスの手に押しつけてくる。撫でに満足すると腕を伝ってするすると肩に登ってきたが、銀を纏っているというのに重さはさほど感じなかった。魔物の魔法はまだまだ未知数だと、ノクスは感心すると同時にぞっとした。


「このサイズなら可愛く思えてきました。名前でも付けますか?」


 ナーナは目線の高さに来た竜の顎を、猫にするように指で掻いてやりながら暢気に言い、


「……そのうちね」


 竜には首の辺りに絶対に触れてはならない逆鱗という部位があると聞いたが大丈夫だろうかと、魔物の知識があるノクスとレイヤははらはらしていた。竜はご機嫌だった。

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