第34話 メイドは王子に魔術を習うことにした
野営をする時、料理はナーナが作ることになっている。
別にノクスが指示したわけではなく、普通に分担して作ろうとしたら、ナーナが「ノクス様の給仕は私の仕事です」と言って憚らなかっただけだ。
「うむ! 美味い!」
そして今は、ノクスよりも先にアイビーがナーナの作った昼食を食べている。
「吸血種って、血以外もいけるのか……」
てっきり血しか飲まないものかと思っていたが、普通に食事に参加していた。
「大した補給にはならぬが、おやつくらいにはなる。おかわり!」
「おかわりはありません。元々、ノクス様と私の分の食料しかないのです。娯楽で消費する余裕はありません」
「そ、そんなあ」
ナーナに素っ気なく断られ、アイビーは物足りなさそうにスプーンをかじった。
「仕方ない。その辺で獣でも狩ってくるか……」
よいしょと立ち上がるアイビーに、ノクスは訊ねた。
「吸血種は日光を好まないって聞いたことがあるんだけど、アンタには関係ないの?」
下位の吸血種は、日光を浴びるとその場で浄化されたように灰になることがわかっている。
しかし人型を成すような上位の吸血種は個体数が少ない上、人前に姿を現す時は全てを蹂躙する時なので、生態はほとんどわかっていない。
「うむ! わらわの防御魔法は日光の力を弾く特別製じゃ!」
「へえ、そういうのもあるのか」
人間も、夏場や山の強い日差しの効果を打ち消せるなら便利そうだ。
「わらわの魔法に興味があるか? 一戦やったらもっといろいろ見せてやるぞ?」
「やらないってば。『魔法』に興味があるのは確かだけど」
すると、自分の分を用意したナーナが、ノクスが用意した椅子に腰掛けながら訊ねた。
「アイビー様が使っているのは、魔術とは違うのですか?」
「うん。魔法は、魔物が感覚的に使うものだから」
彼らに原理や仕組みなどという小難しい考えはないので、教わることはできない。人間にできるのは、使っているところを見て理論を推測して、魔術で再現することだけだ。
つまり実際にその魔法を受けてみるのが手っ取り早いのは確かで、実践して命を落とした研究者も少なくない、とジェニーは言っていた。
「防御魔法くらいなら、かけてやってよいぞ? 人間の肌も、日光に弱いのじゃろ?」
「本当か? 助かる」
ノクスが頷くなり、アイビーはパチンと指を鳴らした。途端にノクスとナーナをベールのような光が包み、すぐに消えた。
「……これで終わり?」
ナーナ共々、手を裏返してみたりするが、見た目には何の変化もなかった。
「うむ! わらわは食事をしてくる。しばしゆっくりしておれ」
そう言うと、音もなく飛び去った。
「……あの飛行魔法も、習得できればなあ……」
上空に浮かんだ瞬間、魔力でできた黒い羽のようなものが現れた。アイビーの魔法を真剣に観察するノクスの横顔を、ナーナは真剣に観察していた。
*****
アイビーが飛び立ってから三十分ほど経った頃だった。
「……確かに、いつもより日差しが気になりません」
「そう?」
ノクスにはよくわからなかったが、ナーナはしっかり効果を感じていた。
「防御魔術って、難しいのでしょうか。これが使えれば、サースロッソの夏も快適に過ごせそうです」
「サースロッソって、そんなに暑いの?」
ガラクシアやイースベルデは東部と呼ばれる地域で、比較的気候が穏やかだ。夏はそれなりに暑いがからりとしているし、冬も雪が積もるほど降ることは少ない。
しかし。
「冬はガラクシアよりも暖かくて過ごしやすいですが……。夏場の日差しは、生物への殺意があります」
「殺意」
思わず繰り返したが、ナーナは至極真面目な顔だった。
「……うん、まあ、ナーナが防御魔術を覚えるのは、賛成かな」
ナーナを実家に送り届けたら、ノクスは冒険者になる。側にいられない時に身を守る術を持っていれば、より安心だ。
「成人の儀の時、多少は魔術が使えるって言ってたよな」
「はい。本当に、一般教養というか、嗜み程度ですが」
ノクスの魔術を見た後では使えると言うのもおこがましい、薪に火を付ける程度の簡素な魔術だ。
「しかも、火の魔術にしか適正がないようで……。水と土は全くと言っていいほど使えませんし、風もそよ風が吹くくらいの威力です」
「普通なんじゃないか? ラノなんか、四属性魔術は何一つまともに発動できなかったし」
魔術の才の無さは、文武両道で人望も厚い弟の唯一の欠点と言っても良かった。辛うじて無属性の身体強化魔術が少し使えた辺り、生粋の戦士だ。
「やってみよう。防御魔術は無属性のものが多いし、適正は関係ないはずだ」
「必要なのは魔力の量とセンス」とは、ジェニーの言葉だ。
「でも、何から始めれば?」
「まずは感覚を掴むところからだな。俺が普通の防御魔術を張るから、魔力の流れを見ててくれ」
ノクスはそう言って立ち上がり、手を差し出す。ナーナは一瞬ためらってから、そろりと手を重ねた。
「『障壁』」
二人の周囲を淡い光が包み、重ねた手のひらが不意に熱を帯びた。
「自分の中の魔力を意識して放出するのは他の魔術と同じ。それを凝縮するんじゃなくて、卵の殻みたいな薄さに伸ばして包むような感覚をイメージするんだ」
その薄さは、均一であればあるほど良い。
「それから、包んだ魔力に効果を付与する。今回は、物理的な衝撃を拒絶する」
すると二人を包んだ魔力が一瞬強く光り、手のひらの熱が引くのに合わせてすうっと透明になった。
「これで完成。あとは解除するか、俺の魔力が切れるまで効果が続くよ」
ノクスは簡単に言うが、通常は凝縮してなるべく濃くしたものを一瞬だけ放出するような使い方しか習わない。防御魔術にしても、一時的に硬い壁を出現させるのがせいぜいだ。それを薄く伸ばして維持しろというのは、常識外の話だった。
「……ノクス様の魔術の才を改めて思い知りました。素晴らしいです」
「えっ、あ、ありがとう」
最近ナーナの『褒め』が落ち着いて油断していたノクスは、防御魔術が通用しない攻撃を真正面から受けて固まった。
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