第35話 王子は自分の好きなものを知った

 ナーナが防御魔術を使うために必要なのは、魔力を思い通りに引き延ばしたり縮めたりできるようになる訓練だった。


「目を閉じて、自分の中にある魔力を感じるんだ」


 ナーナは言われたとおりに目を閉じ、自身の感覚を研ぎ澄ませる。


「焦らなくていい。得意な魔術を使う時には、何も考えずにできてるはずなんだから」


 視覚を閉ざしたことでクリアになった聴覚に、木々のざわめきと共に伝わるノクスの穏やかな声が心地よい。


 と、真っ暗な闇の中に、不意に赤く光る筋が見えた。これが、ノクスが言っていた「色の付いた魔力」というものだろうか。ならばこれを手繰って集めて、好きな形にできるようになれば――。


「なんじゃ? 面白いことをしておるのう!」


 しかし、あと少しでつかめそうだったナーナの集中の糸は、元気な声でブツンと途絶えた。


「うわっ、もう帰ってきたのか」

「うむ。この辺りの獣は西のほうとはまた違った味がして良い」


 満足そうなアイビーの背後には、ずんぐりとしたイノシシが横たわっていた。


「ぬしらは肉のほうが好きじゃろ? 土産じゃ」

「あ、ありがとう……」


 要は食べ残しなのだが、見た目には大した傷もなく、解体すれば食料として問題なさそうだった。買い取ってくれる店があるなら引き渡してもいいと、ノクスは一応受け取り、魔術収納に仕舞った。


「ノクス、茶は持っておるか? 飲みたくなった」

「いろいろ嗜むんだな……」

「うむ!」


 自由すぎる吸血鬼のリクエストに応えて、魔術収納からイノシシと入れ替わりに茶葉を取り出すノクス。ナーナは黙って受け取り、三人分の茶を淹れた。

 客人に茶を出すことは構わないが、二人の時間を邪魔されて若干不愉快だったので、ノクスに先に渡す。

 と、


「……ぬしらは『つがい』なのか?」


 その様子をじっと見ていたアイビーが、突然訊ねた。

 あまりにも開けっぴろげな問いに、ノクスが茶を吹き出しかけた。


「はい」


 アイビーに茶を渡しながら平然と頷いたナーナに、更に咽せた。


「そうか! なんじゃ、『かけおち』という奴か? 人間の町に出回っておった本で読んだことがあるぞ」


 アイビーは目を輝かせている。ノクスは慌てて訂正した。


「違うって! ナーナをサースロッソの実家に送るんだ」

「実家? ……婚姻の挨拶か!? 『娘さんを僕にください』という奴じゃな!?」

「そうです」

「ナーナ!? ていうか、アイビーもなんでそんなのばっかり読んでるんだ!?」


 興味の無いことは覚えられないと言っていたくせに、読んだ恋愛小説の内容は覚えているらしい。


「結婚式とやらは、人間がたくさん来て面白いのじゃろ!? わらわも呼べ!」

「貴族の結婚式ですから、堅苦しいですよ」

「そうなのか? 料理もないのか?」

「料理はたくさんあります」

「ならば呼べ!」

「人間のマナーは覚えていただきますよ」

「うゅ」


 当事者の片方を置いて、勝手に話が進んでいく。ノクス自身も「ドレス姿のナーナはさぞ綺麗だろう」などと妄想してしまい、にやける前に顔を覆う羽目になった。


 *****


 それから、ナーナの寝る前の日課が増えた。体内の魔力を感じて捏ね回し、操る訓練だ。

 ノクスは邪魔をしないように、側にいるだけだ。静かに見守っていることもあれば、先に寝てしまうこともある。


 一週間が経ち、明日にはようやく山の麓の町に着くという頃、


「あっ」


 ノクスのような安定感はないが、仄かに赤みを帯びた光がナーナを包んだ。


「おお! すごいすごい。やったな」


 自分のことのように成功を喜ぶノクスの笑顔が、ナーナの何よりのモチベーションだった。


「ようやくスタートラインです」


 これを安定させて、更に任意の刺激を弾く効果を付与しなければならない。先は長そうだ。魔術でできることが増える度に、ノクスがどれだけすごいのかわかり、遠い存在になっていく気がしていた。


「ナーナならすぐにできるようになるよ。……俺も頑張らないとなあ」

「? ノクス様はこれ以上、何を頑張るのです?」

「えっ! い、いや、ええと……」


 ノクスは考えていた。アイビーが見せてくれたように、防御魔術を身体に密着する形で纏わせられるようになれば、呪いの効果を怖がらずにナーナに触れられるのではないかと。


「ほら、あの空を飛ぶ奴とか。真似できるようになれば移動がもっと楽になるし」


 まさか煩悩のために頑張ろうとしているとは言えず、目を泳がせしどろもどろになりながら答えた。


「……そうですね」


 何かを隠していることは勘付いたものの、それが自分に向けた劣情だという重要な部分には気付けないナーナだった。


「ええと……。そうだ、もうすぐサースロッソに着くけど、どんなところなんだ? 工芸が有名って聞いたことはある」


 無理矢理話題を逸らしたことにも気付いたが深くは突っ込まないことにして、ノクスの話題に乗る。


「冬でも雪が降る日は皆無と言っていいほどありません。母のこともあり、海を挟んだ隣国ゼーピアとの交流が盛んです。術具の研究施設もありますよ」

「術具かあ。それは見てみたいな」


 赤い目がパッと輝く。


「……ノクス様は、本当に魔術がお好きですね」


 ナーナは旅の中で、ノクスが本当は年相応に表情が豊かなのだと知った。同時に、四年も側にいたのに好きなものもろくに知らなかったのだと気付き、少し落ち込んだ。しかし、


「そうか、俺は魔術が好きなのか」


 ノクス自身、言われて初めて気付いた。魔術は身を守る術や生計を立てる術としていつも側にあり、好き嫌いで考えたことはなかった。

 だが言われてみれば、湧き上がる感情はアイビーの言う「面白そう」に通じるものがある。生きるためには必要なくても知りたくなる。つまりそれは、趣味好きなことなのだろう。


「ナーナは何が好きなんだ?」

「ノクス様ですが」


 間髪を入れずに答えが返ってきて、ノクスは固まった。


「ノクス様です」


 もう一度繰り返しながらずいと隣に座りに来るナーナ。風呂上がりの髪から良い香りがする。


「そういう意味じゃなかったんだけど……」


 俯いて照れている顔を覗き込んで、ナーナは満足した。

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