第57話 塔長の思いは所長に通じなかった

 何やら大ごとになってきたぞ、とノクスが思っている間に、書類の裏に写し取られた付与魔術の式を他の職員たちもこぞって写し取り、慌ただしく動き始めた。


「ええと……。役に立ったみたいで良かった」

「……次の学会の論文賞は貰ったも同然っすね。賞金出たら、何か美味いもん食べましょうね……」

「ノクス様、来るたびにウチをひっくり返していきますねえ」


 メイはいつも通りの和やかな笑顔でノクスに微笑みかけた後、


「論文書くのかあ……」


と弱々しい声で言いながら書類を運んでいった。


「……差し支えなければ、他にもいくつか見せてもらってもいいっすか……」

「いいよ」


 付与魔術の式が見えるのはアイギアしかいない。違うパターンの式を見比べて更に分析したいと、今度はきちんと新しい紙を用意してペンを構えた。


「ところでアイギア、術具研の人たちって、みんな魔術学院の卒業生なの?」


 魔術学院では習わない独自の魔術を行使しながらも、行ったことがない学校というものに興味を示すノクスを、ナーナはじっと見ていた。


「……半分はそっすね。あとはサースロッソ出身の工芸職人とか、ゼーピアの術具学校出身とか……」


 考えてみれば、術具には魔術式を彫る前の状態があるわけで、金属や木材を加工する専門の職人が必要だ。


「ゼーピアには術具の学校があるんだ?」

「元の人口が違うのでアコールの魔術学院より生徒数は少ないですが、術具を学ぶなら一番です」


 ナーナが頷いた。アルニリカに付いてゼーピアに渡った時に、見学したことがあるという。


「へえ……。じゃあ、アイギアは? 魔術学院?」

「……俺は、魔術学院を卒業した後に術具学校に留学したクチっす……」


 まさかのハイブリッドだった。詳しく聞けば、魔術学院を首席で卒業すると提携している他国の学校に留学できる特典があり、宮廷魔術師へのスカウトを断って留学したとのことだった。実は学院史上稀に見る変わり者として伝説になっていることを、アイギアは知らない。


「魔術学院って確か、四年制だったよな。術具学校は?」

「三年です」

「……アイギアって、今いくつ?」


 魔術学院は十二歳から入れる。貴族学校を卒業した後に入学する者もいるので、年齢はまちまちだ。最短で卒業して十六歳、更にゼーピアに留学して三年で、十九歳。そこから術具研に入って所長まで登り詰めるとなると。


「そういえば、私の記憶では、ずっとアイギアが所長です」

「……四十四っす。ちょうど、お嬢が生まれた年に所長に就任して……」

「ええ!?」

「ええーっ!?」


 見た目には二十代半ば程度にしか見えない男の実年齢にノクスが驚くのとほぼ同時に、ガシャンと音がして背後からも声が上がった。


「あっ、ごめんなさい、試作品が」


 書類を片付けて戻ってきたメイが、よろけた拍子に近くの机にぶつかって試作品を落とした。その顔はいつになく真っ赤で、他人の感情には聡いナーナは何かに勘付いた。


「……耳こそ尖ってませんけど、先祖返りは、寿命も長いらしいっす……」


 エルフ族の寿命は五百年とも千年とも言われる。そして長い人生の大半は、全盛期の姿を保ち続けるとも。


「……先代の記録だと、百二十年くらいは生きれるらしいんで……。まあ、研究職としては、長生きできてラッキーっていうか……」

「……メイは? おいくつか聞いても大丈夫ですか?」

「……二十五ですう……」


 実はアイギアに近づくために頑張って塔長になったメイは、十九歳差という驚愕の事実に眼鏡の下で涙目だった。が、幸か不幸か、アイギアにはよく見えていなかった。


***


 帰り際、ノクスはアイギアにも予定を伝えておくべきかと、任務のことを話した。


「実は冒険者をしてて、明日から何日か、サースロッソを離れるんだ。もし用事があったらナーナに伝えてくれ」

「……わかりました。……あの」


 アイギアは頷いた後、ゴーグルを付けていない目でじっとノクスを見る。少し躊躇ってから、背中を丸めてノクスの耳元に口を寄せた。


「……なんか、白い魔力の中に、黒いのが増えてる気がします……」

「えっ」

「……言うべきか迷ったっすけど、一応……」


 魔王の力を行使できるとわかった時に、ノクスも薄々勘付いてはいた。アイギアが人間の魔力とエルフの魔力を持っているというのなら、自分の中にある黒い魔力はもしかすると。


「……教えてくれてありがとう。気に掛けておく」


 最近はほとんど真っ白になり、このまま消滅してくれればと思っていたのだが。――心当たりは、昨日の会議くらいしかない。


「……っす」


 内緒話をしている様子をナーナがジトッと見ていることに気付いて、ノクスとアイギアは慌てて離れた。わざとらしく話題を逸らして誤魔化す。


「何か必要な素材があったら、ついでに取ってくるけど!」

「……マジすか。でかい魔晶とか出たら欲しいっすけど、そんな強い奴に出くわさないほうがいいっすよね……」


 魔晶は魔物の体内でたまに見つかる、魔力を貯め込む特性の強い石だ。一部の術具に付いている宝石がそうで、術具開発には欠かせない素材だった。


「ちょうど大型の魔物の討伐任務だから、見つかるかもしれない。探しておくよ」

「……助かります……」


普段は組合に買い取ってもらうが、どうせサースロッソの組合に買い取られた魔晶の行き先は術具研だ。ノクスとしては、買い手が付けば何でも良かった。


「……お嬢、めちゃくちゃ付いていきたそうっすね……」


 付いて行くと足手まといになることがわかっているためわがままは言わないが、ナーナはとても悔しそうだった。


「馬車よりも速くて、魔物の襲撃に耐えられる乗り物の開発が急務です」

「……それは大型術具塔の研究っす……」

「出資を検討します」


 こうして、私情を挟みまくりの予算が組まれることになる。

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