第109話 二人はメイドの実家に帰り着いた

 思ったより久しぶりになってしまったサースロッソ領は、予想通り雨期の真っ只中だった。

 二人を背中に乗せた竜はノクスの指示する方角へ向けて昼間の空を堂々と飛び、時折ゴロゴロと音を立てて光る分厚い雲を突き抜ける。雲の下では、往路で見た時よりも背が伸びた細い緑の葉が、大粒の雨の中で風の形を浮き上がらせていた。


「障壁って、傘の代わりにもなるのですね」


 見えない壁にパタパタと音を立てて遮られる雨粒を見上げながら、ナーナが感心する。


「人前じゃ使えないけどね」


 竜が飛ぶスピードともなればノクスの強化走法より速いだろう、山の上の気温を考えると上空はより冷えるだろう、といったことを考えて、様々な効果を重ねて分厚めに張った障壁が雨を防ぎ、二人も竜も一切濡れていなかった。


「アイビーもそうだったけど、翼を出すからって鳥みたいに羽ばたくわけじゃないんだよな。どうやって飛んでるんだろう」


 飛ぶというよりは、自身の位置をそのまま行きたい方向に移動させているような。あまり考え込むとナーナの視線が雨期の湿気よりもジトッとしてくるので、ノクスはほどほどに仕組みの解明に努めていた。



 シシーとサースロッソを隔てる山を越えると、ナーナは落ちないように細心の注意を払いながら、竜の肩からそろりと顔を出した。


「……よく見えません」


 サースロッソの街を上から見てみたかったのだが、地上は相変わらず雨で霞み、白っぽくぼやけていた。


「また晴れた日に飛んでもらおう」

「そうですね」


 やがて人気のない郊外に静かに降り立ち、そこからは歩くことにする。


「ありがとう。助かった」


 竜の首を撫でてやると、クルル! と高めに鳴き、すぐに小さくなってノクスの肩を登ってきた。すっかり定位置が決まってしまった竜を連れてひとまず公爵家を目指すが、建物が増えてきた辺りでノクスはふと気付く。


「しまった。傘、一本しかないな……」


 サースロッソ家のお嬢様に親しい相手がいることはじわじわと民衆にも広まっているようだが、ノクスの家柄や魔術を使えることは知られておらず、しばらくは知らせるつもりもない。そんな中、土砂降りの街を傘も差さずに歩いていたら不審がられてしまう。

 ちなみに旅の中では視界が悪くなる雨の日はできる限り動かないようにしており、サースロッソに来てからは屋敷にある上等な傘を使っていた。もちろんノクス一人の時は使う必要がなかった。


 人の多い場所でのカムフラージュに使うため辛うじて安物を一本だけ持ってはいるが、一人だけが差すというのも妙な話だ。


「……仕方ない。屋敷まで姿を消して――」

「いいえ、こうすればいいのです」


 ナーナはひょいと傘を奪い取って開くと、ノクスに持たせて思いきり密着した。


「ほら、離れていると不審がられますよ」

「えっ、あ、うん」


 傘を持った腕に自分の腕を絡め、歩きづらい格好であるにもかかわらずナーナは心なしか嬉しそうに歩く。


 そのまま街を横切りサースロッソの屋敷に着くと、エントランスポーチのぎりぎり雨がかからない所でアルニリカがそわそわと待っていた。


「いいわね! 相合傘なんて素敵じゃない!」


 娘と婿候補の仲睦まじい様子を見たアルニリカは、長いアプローチを歩いてくる二人ににこにこと満面の笑みを浮かべながら声をかける。


「相合傘?」


 ノクスは聞き慣れない単語に首を傾げた。


「恋人同士が一つの傘に入って歩くことを、サースロッソではそう言うんです」

「え!?」


 にわか雨や通り雨の多い地域ならではの言い回しだった。ナーナの策略にまんまとはまり、


「これからはサースロッソの文化をもっと勉強するよ……」


 堂々と街を歩いてきてしまったがいいのだろうかと思いながら、ノクスは庇の下で傘を畳んだ。


「おかえりなさい。その分だと元気そうね」

「はい、ただいま戻りました」


 アルニリカは四年ぶりに会った時と同じようにナーナをぎゅっと抱きしめ、ナーナも抱きしめ返す。それからアルニリカは同じ笑顔でノクスに微笑みかけ、


「ノクス様も。おかえりなさい」

「……ただいま戻りました」


 ノクスはむず痒いような不思議な感覚に戸惑いながらおずおずと返した。アルニリカは満足そうに大きく頷いた。


「お母様、さすがに毎日外で待っていたわけじゃないでしょう? よく今日帰ってくるとわかりましたね」

「アイギアが連絡をくれたの。ノクス様のことだから、きっと今日明日中にとんでもない方法で帰ってくると思うって」

「……」


 信用するとは言われたものの信用のされ方がおかしい気がする、と思いながら、ノクスは口には出さなかった。


「二人とも、傘一本だった割に全然濡れてないのね。それもノクス様の魔術?」

「そうです」


 ナーナが頷く。靴に少し泥が跳ねている程度で、それ以外は綺麗なものだ。使用人にタオルまで用意させていたが、それも必要なさそうな様子にアルニリカは感心した。


「羨ましい限りね。大したことじゃないと思っているかもしれないけど、そういうちょっとだけ便利なものが、一番みんなが求めてるものなのよ」

「そうなんですか」

「ええ。そういう話も、これからたくさんしていきましょう」


 ノクスのおかげで術具研の研究は好調だが、本人が自分の価値をわかっていないのが問題だというのが、サースロッソ家と術具研の総意だった。二人がサースロッソを離れている間に、魔術面の話は術具研が、商業面の話はアルニリカが少しずつ教えていこうという話でまとまったことをまだノクスは知らない。


「とりあえず、今日はゆっくり休みたいです」


 アルニリカにノクスとの時間を削られる気配を察したナーナが割って入る。


「もちろん。部屋はちゃんと掃除してシーツも替えてあるし、お風呂もいつでも入れるようにしてあるから――」


 話しながら家の中に入っていく二人の後ろ姿をノクスはしばし見つめ、


「ノクス様?」


 立ち止まっているノクスに気付いて振り返ったナーナと目が合い、


「何でもない」


 先ほどの不思議な感覚がもう一度やってきて、悪い感覚ではないことを確認してから後を追った。

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