第14話 王子は新しい目標を立てた

「ナーナ。どうして一部屋なんて言ったんだ」


 ノクスは二つ並んだベッドの片方に腰掛け、神妙な面持ちで訊ねる。


「問題ありません。婚約しているのですから」


 もう片方のベッドに座って向かい合ったナーナは、相変わらずの姿勢の良さで答えた。


「……そうだった……」


 クソジジイことエドウィン・ガラクシアは、勝手にサースロッソ公爵家と書面を交わしていた。つまり、契約上は正しく婚約関係が成立しているのだ。


「私はノクス様を、精一杯心を尽くして甘やかすと決めましたので。その材料となりそうなものを見逃すわけには参りません」

「……いや、あの、万が一の間違いとかさあ……」

「婚前交渉も駆け引きのうちだと母が言っていました」

「サースロッソ夫人!?」


 隣国の大らかな文化に驚いてばかりのノクスだった。


「『間違い』が起きても、私は構いません。ノクス様はどうですか?」

「……っ!」


 ナーナはノクスの隣に座り、滑らかな手でノクスの膝を撫でた。孤独の中で心の支えとなり、ずっと想いを寄せていた少女が全面的に好意を示してくれていることに、少しだけ揺らぐ。しかし。


「……ダメなんだ。俺はナーナにそういうことはできない」


 膝の上の手をどかし、反対を向いて、ナーナの顔を必死に見ないようにするノクス。


「……ダメ、とは?」

「……」


 悲しげに俯くノクスをそれ以上追求することは憚られ、ナーナは仕方なく自分のベッドに戻った。


「……サースロッソまでは、二ヶ月ほど掛かります。もし良ければ、理由を教えていただけませんか」


 誘惑モードではなくなった空気に、ノクスは小さく息を吐いた。


「調べたんだよ、忌み子について。この髪と目の色は、どう考えてもおかしいから」


 暇にものを言わせて、屋敷の書庫、ガラクシアの街の図書館、果ては王都まで足を伸ばし、古い言い伝えから順に手繰っていった結果、最終的に辿り着いたのは、最新の論文だった。


「結論から言えば、忌み子の呪いは存在する。呪いを受けた本人だけでなく、親しい相手にも影響を及ぼす呪いだ。だから、……そういうことは、できない」

「……」


 おそらくは、ノクスの母、イリスの死にも関わっているはずだ。できる限り触れ合うことは避けるべきだった。


「……では、どこまでなら大丈夫ですか?」

「はぇ?」

「私は年中ノクス様のお側にいましたから側にいるのは大丈夫、それから、腕を組むのも大丈夫そうでしたね。キスはダメですか?」

「……」


 ナーナの表情は、真剣そのものだった。うっかり形のよい口元に目が行き、慌てて逸らした。


「……キスはやめといたほうがいい気がする……」


 治癒魔術が患部に触れた方が効果が高くなることや、おとぎ話でよくある『愛する者のキスで呪いが解ける』という現象に代表されるように、魔術の素養がある者が思いを込めて肌に触れる行為というのは、呪文と同じくらい様々な現象を引き起こすのだ。

 もしも呪いを受けたのがナーナだったなら、もしくはノクスよりもナーナの魔術の素質が高かったなら、呪いが解けることもあるかもしれない。

 しかし逆はむしろ、ノクスの呪いがナーナにも影響してしまう可能性のほうが高かった。


「口ではなく、頬ならどうですか。貴族なら手に口づけをすることもあるはずです。それは?」

「……」


 何が何でも、ノクスと触れ合いたいらしい。


「腕を組むのが大丈夫なら、軽く肌に触れる程度のことは良いということですよね」

「いや、あの」


 再びずずいっと寄ってくるナーナ。


「ちょっ、えっ、何」


 頭を掴まれたと思ったら、そのままノクスの眼前にナーナの豊かな胸が近づいてきた。抵抗する間もなく、もふっとした柔らかい感触に包まれ、馴染みのない良い匂いが鼻をくすぐった。


「遅くなりましたが、お誕生日おめでとうございます。それと、今までお疲れ様でした。大変だったでしょう」


 ノクスは驚いて目を見開いた。

 ナーナはガラクシアの屋敷に来てから、毎年必ずノクスの誕生日にお祝いを言いに来ていた。

 今年は成人の儀の準備であやふやになっていたが、ナーナはずっと、一段落したら言おうとタイミングを伺っていたのだ。


「……ありがとう……」


 ノクスがどうにかそれだけ言うと、ナーナは抱きしめていた腕を放し、満足そうな雰囲気を滲ませて頷いた。


「改めて、これからよろしくお願いいたします」

「こちらこそ……」


 それからしばし、お互いに何も言わない気まずい時間が流れた。


「……先にシャワー使っても?」

「ええ、どうぞ」


 この場から一時退避する口実をひねり出し、ノクスは部屋に備え付けられた狭いシャワールームへそそくさと逃げた。


 頭から水を被り、顔の火照りを冷ます。


「……柔らかかったなあ」


 誰かに抱きしめられる経験すらほとんどなく、ましてや同年代の女子は初めてだ。ノクスには十分に刺激が強かった。冒険者装備の分厚い布地の上からであれなら、直に触れたらどれだけ柔らかいのだろう。


「……」


 ノクスはこの十六年間、あらゆることを我慢してきた。忍耐力は他人よりもある。

 だが、我慢ができるからといって欲がなくなるわけではない。

 何より、相手も乗り気なのに、誰が掛けたかもわからない呪いのせいで我慢しなければならないのが歯痒かった。


「……まずは、呪いを解く方法を探そう。それで」


 それで、呪いが解けたら、ナーナにきちんと想いを伝えるのだ。

 今まで「家を出る」という目標しかなく、これからどうしようかと思っていたノクスに、新たな目標ができた瞬間だった。

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