第53話 王子はメイドの元に帰り吸血鬼は飛び去った

「面白い会議じゃった!」


 入り口の孤島に戻るなり、アイビーは満足そうに笑った。


「やらかすなら、事前に言っておいてくれ……」


 一方のノクスは疲弊していた。


「言ったら面白くなかろう」

「なんでそこまで面白さを追求するんだか……」


 にやにやと顔を歪めながら、アイビーは手を差し出す。ノクスがその手を取ると、二人の身体は再び空に舞い上がった。真っ暗な海に浮かんだ小さな島は、すぐに豆粒のような大きさになる。


「長く生きていると、暇でな」


 人間の寿命ではわからない感覚なのかもしれない。ノクスは深くは追求しないことにして、話題を逸らす。


「て言うか、会議では戦闘は禁止じゃなかったのか?」


 ケイが放った攻撃のせいで、魔族たちに顔が知れ渡ってしまった。愛想が良く表向きにはノクスに協力的に見えたが、信用ならない男だ。


「会議中はな。終わった後は何でもアリじゃ」

「屁理屈だなあ」


 とは言え、起きてしまったことは仕方がない。


「あのキサって奴は魔王に心酔してるみたいだったし、警戒したほうが良さそうだな……」

「あれは、死にかけのところを王から力を分け与えられたおかげで生きながらえたそうじゃ」

「なるほど」


 命の恩人を殺した者の末裔が同じ力を持っているとなれば、不愉快にもなる。

 ――そう、一番の問題は例の力だ。


「そもそも、どうして俺が魔王の力を使えるんだ? 呪いどころか、これじゃ俺自身が魔王みたいじゃないか」


 今までの情報やジェニーの話では、忌み子の呪いは生気を奪い弱体化させるというものだったはずだ。


「王の血縁に、魔王の子種が混ざっていただけだったりしてな!」

「冗談に聞こえないからやめてくれ……」


 アイギアのように祖先に心辺りがあるのならまだしも、ノクスは一応、由緒正しき王族の血筋だ。婚姻を結ぶ際には相手の血筋に卑しいところがないかもきっちり調べられる。

 ケイの存在がある以上、今までにも貴族社会に魔族が紛れていた可能性が全くないわけではないが、ただ力の強い魔族が混ざっていただけなら、魔王と同じ力は発現しない。


「結局、何かわかるどころか、俺の呪いの謎は深まるばっかりだ」


 何なら上位種たちに目を付けられて、厄介事が増えただけのような気さえする。


「外見が魔族に見える以外に支障はないのじゃろ? 面白おかしく使えばよいではないか。命令し放題じゃぞ」

「しないよ……」


 せっかくガラクシアを離れて穏やかな生活が送れそうなのに、よく分からない魔王の力なぞ行使したくない。


「もったいないのう」

「アイビーだって言ってたじゃないか。言うことを聞かない奴がいるほうが面白いって」

「一声で何でも言うことを聞くのなら、それはそれで面白いじゃろ。実際、あのキサが突っ伏したのは痛快じゃった」


 要は面白ければ何でもいいらしい。しかし、ノクスには一つ気になることがあった。


「……王の力で命令された時って、どんな気分なんだ」


 自分を『友達』と呼んでくれた相手を命令で縛るのは、抵抗があった。

 しかしアイビーは、あっけらかんとした様子で首を振る。


「気分も何も、『初めからそうしていた』という感じじゃな。暗示に近いのではないか? 先にキサに仕掛けたような、直前の行動を打ち消す命令でもなければ、力を使われたことにも気付くまいよ」

「『教えろ』はあの時限りだとしても、『人間のルールに従え』は続いてるんだろ?」

「案ずるな、特に不便はしておらぬ。せっかくじゃ、このまま『どこまでなら大丈夫なのか』を調べてやろうぞ」


 クククと悪そうな顔で笑うアイビーは、何でも遊びに変えてしまうプロだった。


*****


 アイビーによってサースロッソ家の屋敷まで送り届けられたノクスが門の前に降り立つと、夜勤の門番の隣に、見慣れたシルエットがあった。


「ノクス様!」


 寝間着の上に薄手の上着を羽織ったナーナが、ノクスに気付いて慌てて駆け寄ってくる。


「ただいま、ナーナ……。もしかして、ずっと待ってたのか?」

「おかえりなさい。お怪我はありませんか。お腹は空いていませんか」

「大丈夫だよ。ありがとう」


 あまり明るくない最低限の外灯の下で頬やら手やらをぺたぺたと触った後、ナーナはようやく安堵の息を吐いた。


「ご無事で良かった……」


 その声が震えていることに気付いて顔を覗き込もうとしたノクスを、ナーナはしっかりと抱きしめた。珍しく取り乱した様子のナーナに、ノクスはぎこちなくされるがままになる。


「妬けるのう」


 にひひとアイビーが笑った声で、二人は我に返って慌てて離れた。門番はできる限り気配を薄くし、目を逸らしていた。


「アイビー様、無事にノクス様を送り届けていただいて、ありがとうございます」

「無事ではないかもしれぬぞ。魔族の上位種どもに、顔と名前がばっちり知られたからな」


 それはアイビーのせいでもあるのだが、吸血鬼を全面的に信用してしまった自分にも落ち度があると、ノクスは肩を落とした。


「……何があったのです?」

「……公爵と夫人にも知らせたほうがいいと思うから、改めて話すよ。今日はもう、寝よう」

「わかりました……」


 本当はすぐにでも問い正してノクスの安全を確保したいナーナだったが、ぐっと我慢した。

 その様子を眺めるアイビーの目が、少しだけ優しげに細められたことに、二人は気付かなかった。


「では、わらわは帰る。いつか西にも遊びに来るがよい。ぬしらなら、わらわの町にも入れてやるぞ!」

「うん、いろいろとありがとう」

「お元気で」


 そして、人一倍騒がしい吸血鬼は新月の空に音もなく消えた。

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