第80話 偽学者は魔物の正体を見破った

 寄り道をすることなく正規ルートを進んでいく中、グレアムたちは階下に下りるつれて口数が減り、険しい顔になっていく。

 十三層を半分ほど過ぎたところで、グレアムがぼそりと言った。


「そろそろだ」

「……本当だ、二つ奥の部屋です。ウィスプに似てると言えば似てますけど……」


 あらゆる生物の魔力からは種族ごとに異なる信号のようなものが出ていて、例の死蔵魔術はその信号を辿ることで探知をしている。更に個体ごとの信号があるのだが、人間以外の生物や魔物は生物ほど個体差がなく、地域ごとに違う程度だ。

 しかしウィスプは例外だった。様々な生物の魂が元になっているせいか、一匹一匹個体差がある。


「変異個体でしょうか」


 ナーナが数ヶ月前に覚えたばかりの言葉をぽつりと呟いた。


「そうかも」


壁の向こうから発される信号は今までに出会ったウィスプよりも強くて濃い。それだけ魔力を保持している魔物だということだ。


「なるほど。ただのウィスプでも正面からやり合うには厄介なのに、変異個体なら納得だ」


 迷宮は出現する魔物の強さに規則性があることが多いが、変異個体が出現することは稀にある。それすらも設計者の想定の範囲内なのか、はたまた意図しない不具合なのかについては、研究者の間で議論が分かれていた。


「ナーナは伯爵とここで待機しておいて。伯爵、俺たちに万が一のことがあったら迷わず引き返してください」

「はい。お気を付けて」

「……わかりました」


 魔物が部屋の外に出られないというこの迷宮の特性を活かして、守るべき二人には下がっていてもらうことにする。


「攻撃は俺が防ぎます。いろいろ試してみましょう」

「頼もしいこった」


 フンと鼻を鳴らすグレアムは、もはやノクスの実力を疑っていなかった。


 話のとおり、その物体は部屋の中心で小さく燻っていた。こちらの様子を窺うようにもやもやと揺れている。光らないウィスプと言われれば確かにそう見えた。


「攻撃を加えなければ、素通りすることはできるんでしょうか」

「やってみるか?」

「いいですか?」


 肯定する代わりに顎をしゃくって促す。もはや学者だとは思っていないが、グレアムはノクスの好奇心を止めなかった。三人が入り口付近で警戒する中、ノクスは謎の魔物を刺激しないように壁伝いに移動し、対面にある出口に近づこうとする。と、突然もやが肥大化し、鋭利なトゲのように変形してノクスに襲いかかった。


「動いた!」

「うわっ!? 『障壁』!」


 防御しながら飛び退いたノクスがいた場所を陣取るように、もやが出口を塞ぐ。


「おらっ!」


 入れ替わりにグレアムが踏み込み核を狙って斬りかかるが、今度は素早く避けてざあっと天井に移動し、トゲを雨のように降らせてきた。ノクスは素早く自身とグレアムたちを障壁で包む。さほど強度は上げていないが、やはり魔術障壁による防御は有効だった。


「素通りは無理そうですね」

「だな」


 気配や動きは確かにウィスプに似ているが、攻撃の仕方が物理寄りだ。あのもやは何なのだろうかとノクスが真剣に観察していると


「攻撃してきませんね。前回と動きが違います」


 ネイトがぽつりと呟いた。グレアムたちが最初に遭遇した時には、ネイトが障壁を展開するのがやっとなほど、息つく間もなく攻撃を仕掛けてきたという。


「ノクスが防いだからか?」

「相手を見て戦い方を変える知能があるってこと?」


 モリーが眉をひそめた。


「どちらにせよ、倒さなければ先に進めないようですし……。こちらから攻撃してみるしかなさそうですね」


 ネイトが杖を構えた。


「『火球』」


 天井に滞留されていては攻撃しづらい。小さな火の球を複数作って飛ばし、グレアムとモリーのほうへ追い込む。二人はタイミングを合わせて核を狙うが、黒い球体はすいすいと器用に間を縫って逃げ、再度降り注ぐ黒いトゲをノクスが防いだ。


「ああもう、的が小さい!」


 モリーは舌打ちし、苛立ちながら大ぶりなナイフを手のひらでくるりと回す。もやの大きさに対し、本体は手に握り込めそうな大きさほどしかない。しかも迂闊に近づくとトゲに襲われる。リーチの短いナイフを使うモリーとは相性が悪かった。


「加勢しますか」

「まだいい。ギュンターの仇討ちだからな」

「死んでないでしょうが」


 軽口を返す余裕があるなら大丈夫かとノクスは後方で観察に徹することにしたが、その余裕が確実に敵の攻撃を防いでくれる障壁から来ているとは思っていなかった。


「でもあたしらの攻撃を避けるってことは、やっぱりあの核みたいなやつを叩かれるとまずいってことだ。その辺は普通のウィスプと変わんないね」


 にやりとモリーが笑った。ネイトが誘導してグレアムとモリーが叩く、という連携を数回繰り返したところで、突然ウィスプの動きが変わった。攻撃手段だったもやが一枚の鉄板のようになり、ネイトの火球を防いだのだ。


「ノクスの障壁を学んだってか!」

「嘘でしょ、腹立つー!」


 しかし、そのおかげでノクスは気付いた。


「……もしかしてこのウィスプ、土属性じゃないですか?」

「土ィ?」


 光らないことや、仕掛けてくる攻撃が重量を持っていることがずっと気になっていた。黒く漂っているもやはそれこそ、砂鉄か何かでできているのでは。


「――そういえば! 十年ほど前に、魔術師が一人森で行方不明になったことがあります」


 隣の部屋からはらはらと攻防を見守っていた伯爵が、ノクスの言葉にハッと気付いた。


「土の魔術が得意で、良質な鉄を探していると言っていました。まさか……」


 森に入ったついでに興味本位で迷宮に潜り、命を落としていたとしたら。するとウィスプは見抜かれたことに焦ったかのように渦を巻き、ドリル状の円錐型になると入り口に向かって突進した。


「ナーナ!」


 纏っているのがただの砂鉄なら、本体以外は部屋の外に出られるということだ。隣の部屋にいれば大丈夫だと思っていたことをノクスは後悔した。


「『障壁』っ」


 ナーナはドリルに狙われた伯爵を突き飛ばし、覚えたての障壁を展開して先端を受け止めた。が、力が一点に集中した円錐は一瞬止まった後、まだ不慣れで安定しない障壁を簡単に突き破った。目の前に迫る黒い先端に、ナーナは思わず目を瞑る。

 しかし、覚悟していた痛みや衝撃は襲ってこなかった。そろりと目を開けると、仄かに白く発光するノクスの障壁が数センチの隙間に割り込みドリルを遮っていた。ナーナの障壁で一瞬タイミングが遅れたことで、ノクスの障壁が間に合ったのだ。ほっとしたのも束の間、


「――ナーナに手を出したな」


 今まで聞いたことがないような、低いノクスの声がした。ナーナからは狭い入り口越しにしか姿が見えなかったが、帽子の下で赤い目が光っていた。

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