第81話 王子は剣を手に入れた

 ノクスの怒りは、ウィスプがナーナに危害を加えたからというだけではない。彼女を少しでも危険な目に遭わせた自分に何よりも苛立っていた。


「おい、ノクス」


 グレアムの声も聞こえていない。うっすらと魔力を感じ取れるネイトだけが、室内にノクスの魔力が満ちていくのを感じて人知れず鳥肌を立てていた。ウィスプは危険を察知してドリルの形を崩し、恐れているかのようにノクスに向けて大量の矢を放った。


がただの砂なら」


 ノクスはぼそりと呟き、右手を前にかざした。


「身ぐるみ剥いでやるよ」


 認識阻害の魔術で色もわからなくなっているはずの目が赤く光っているのが、グレアムたちにもわかった。矢の雨はノクスに当たる直前でぴたりと止まり、先端からぼろぼろと砂に戻っていく。ウィスプが自身を守るために纏っていた残りの黒いもやまでもがノクスの右手に引き寄せられ、やがて柄も刀身も黒い剣の姿となって収束した。


「魔物から、魔法の制御権を奪った……?」

「何それ、そんなことできんの?」


 信じられないものを見る目で呆気に取られているネイトに、モリーが訊ねる。その間にノクスは球体に向かって踏み込み、黒い剣を振り下ろした。動くこともできなくなった様子の球体はパキンと音を立ててあっけなく割れ、ひとまわり小さな金色の何かが床に軽い音を立てて落ちた。


「ノクス様」


 決着がついたことがわかるや否や、ナーナが急いで駆け寄る。声を聞いた瞬間、ノクスの表情が元通りに柔らいだ。手に剣を持ったままなことに気付き、首を傾げながらとりあえず魔術収納に放り込んだ。


「ナーナ……。ごめん、怖かっただろ」

「大丈夫です」

「膝、怪我してる。治そう」

「いえ、それは後で……」


 伯爵を突き飛ばして倒れた時に膝を少しすりむいただけだ。しかしノクスはまだぼんやりとした様子で屈み、ナーナの静止も聞かずに人差し指の先で軽く膝に触れた。傷は瞬く間に消え、案の定目の前で見たこともない速度の治癒魔術を見せられたグレアムたちがぽかんと口を開けている。これ以上はまずいとナーナは一瞬のうちに考えを巡らせて、


「ほかに怪我してるところがあったらすむぐっ」


 とりあえずこれ以上喋らせないほうが良いと、低い位置にあるノクスの頭を抱きしめた。


「ノクス様、しっかりしてください」

「ナーナ!?」


 ナーナの胸に思いきり顔が埋まる形になり、突然の柔らかさでようやく正気に返ったノクスは、慌ててナーナから離れた。


「私は大丈夫です。それよりも、突き飛ばしてしまった伯爵の怪我を治していただけますか」

「わ、わかった……」


 ノクスは抱きしめられた拍子にずれた帽子を被り直し、伯爵に痛む場所を聞いて、手や膝の擦り傷を治した。


「大きな魔術収納に、広範囲の防御魔術に、一瞬で治せる治癒魔術……。おとぎ話みたいなものばかりですね」


 ははは、と笑うネイトの目は笑っていなかった。


 いろいろと聞きたいことがありそうなグレアムパーティーの面々だったが、


「とりあえず、込み入った話はここを出てからにしませんか」


 伯爵がそう声をかけると、


「まあ、ここで揉めても意味ないか。後でちゃんと事情は聞くからな」

「あはは……」


 モリーがまず考えるのを諦め、ほかの二人もそれに従い次の部屋に続く出口に向かった。精神的にはどっと疲れたが誰も大きな怪我は負っておらず、来た道を引き返すよりも最下層まで下りて迷宮の主を倒し、転移陣から帰ったほうがいいという判断だった。ノクスも後に続こうとしたが、


「ナーナ、どうしたんだ」


 不意に屈んだナーナに、まだ痛むところがあったかと訊ねた。


「何でしょう、これ」


 ナーナが拾い上げたのは、金色をした薄い楕円系の塊。ウィスプから落ちたものだった。


「おい、どうした」


 ついてこないノクスたちに、グレアムが顔だけ出して訊ねる。


「ウィスプが何か落としたみたいです。……ロケットかな、これは」


 ナーナから受け取ったそれは、元は同じ色の鎖が付いていたであろうロケットペンダントだった。蓋には細かい彫刻が施されており、それなりに値の張るものだと推測できる。


「ロケット?」


 伯爵やほかの二人も戻ってくる。ノクスを囲む形で手の中を覗き込む。少し硬くなっている蓋に爪を入れて開けると、少し古いデザインのドレスを着た美しい女性の写真が入っていた。


「例の、土属性の魔術師の持ち物でしょうか」

「だろうな。心残りがある奴がウィスプになるんだろ」

「どうしましょう、これ」

「とりあえずノクスに預けるよ。迷宮の魔物の落とし物なんてレアだし、学者先生としては気になるでしょ?」


 口ではそう言いながらも、いよいよ誰もノクスを学者だとは思っていない。だが迷宮や魔物の知識があることは確かで、魔術収納もあり、この中で一番強い。万が一ほかの魔物が取り返しにくるようなことがあっても、ノクスが持っていれば安全だという判断だった。


「……わかりました」


 ほかに落ちているものがないことを確認すると、少々ぎこちない空気のパーティーは、今度こそ部屋を後にした。

 魔物を探知して知らせ、必要に応じて連携をとる以外の会話をしないまま、進むことしばし。


「……ナーナ。俺、さっき何した?」


 ぼそりと、ノクスはすぐ後ろを付いてくるナーナに訊ねた。


「え?」

「よく覚えてないんだ。ナーナが攻撃されそうになって、慌てて障壁を使ったところまでは覚えてるんだけど」

「……ノクス様がわからないなら、誰にもわかりません」

「そっか……」


 いつの間にか手の中にあった黒い剣のことも後で調べようと考えているうちに、とうとう最下層に続く階段の前まで来ていた。

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