第64話 二人はゆっくり食事を楽しんだ

 翌日の日が暮れる頃、二人はサースロッソとシシーの間にある少ない宿場の一つに着いた。


「確かこの宿場には、山菜料理が食べられるお店があったはずです」


 町の景観を見て、ナーナは幼い頃に両親に連れられてシシーに行った時のことを思い出した。


「山菜?」

「はい。まだお店があるかどうかはわかりませんが……」

「行ってみよう。せっかくだから食べてみたい」


 ガラクシアは、南側こそサースロッソとの境目になる山脈があるが、それ以外に山らしい山はない。特に屋敷のあった中央部では、山菜はまず手に入らない食材だった。


「確か、こっちのほうだったと……」


 ナーナの記憶を頼りにしばらく歩き、やがて、見落としてしまいそうなこぢんまりとした看板が掛かった店を見つけた。


「本当だ、山菜料理って書いてある」

「ちょうど、夜の営業が始まった頃のようですね。良かったです」


 中に入ると店内にはカウンター席しかなく、地元の老人が一人で早めの晩酌をしているだけだった。


「こんばんは、いらっしゃいませ。ウチはメニューがないんですよ。その日に入った食材で作るものですから」


 初老の男性店主がカウンターの奥からにこやかに声を掛ける。


「へえ。今日は何ですか?」

「今日は山菜が多めに採れましたから、天ぷらの盛り合わせです」

「天ぷら?」


 またしても聞き慣れない単語に出くわし、ノクスはナーナを見る。


「小麦粉や米粉を水で溶いた薄い衣をつけて、油で揚げたものです。フライとは風味が違って美味しいです」


 ゼーピアから伝わった調理法だと言われ、ノクスは道理で知らないわけだと納得した。


「……」


 そのやり取りを見ていた店主が、そろりと訊ねた。


「あのう、違っていたらすみません。もしかしてそちらのお嬢様は、サースロッソの領主様の、血縁の方ではありませんか?」


 素性を話すことを少し躊躇ったナーナは、ノクスを見る。店主の無害そうな様子を見て、ノクスは大丈夫だろうと頷いた。


「はい。ケヴィン・サースロッソの娘です」


 すると店主は、見る見るうちに満面の笑顔になった。


「やはりそうでしたか! 以前にもお見かけしたことがあった気がして」

「おそらく母ではないでしょうか。よく似ていると言われます」

「ええ、覚えております。十年ほど前に、お嬢様もおいでくださいましたね。大きくなられて」


 そのやり取りを見て、ノクスは感心していた。

 領主というのは、基本的には貴族だ。保守的な彼らはあまり旅を好まず、宿場に立ち寄るのも渋々。常に辺りを警戒せねばならない疲れから不機嫌になり、特に自領では横暴な振る舞いをする者のほうが多く、そうでなくても市民のほうが粗相をすることを恐れて煙たがる。急な来訪なら尚更だ。しかしこの店主は変に畏まる様子もなく、敬愛と親しみの籠もった態度だ。サースロッソ家の面々は、どこに行っても変わらないらしい。


「ああ、お喋りばかりで申し訳ございません。すぐにご用意いたします」


 冷静に見ていたノクスの視線に気付き、店主は慌てて調理場に入っていった。


「……怖がらせたかな」


 サースロッソの生活で自分の外見を気にすることも減っていたが、魔物のような赤い目で見つめられたらさすがに怖いかと、ノクスは少し落ち込んだ。すると、


「大丈夫さ。旅人相手の商売のくせに、ビビリなんだよここの店主は」


 端でちびちびと酒を傾けていた老人が不意に言った。


「まあ座んな。まだ若いが、領主のお嬢様の護衛なら腕の立つ冒険者なんだろう」


隣の席を勧められ、老人の隣にノクス、その隣にナーナが座る。


「まあ、それなりには」

「必要以上に謙遜しない。良いことだ。へりくだりすぎると依頼人が不安になるからな」


 ナーナはノクスの実力を信じ切っているので不安に思うことはないが、そういうこともあるのかと、納得する。


「もしかして、貴方も冒険者だったんですか?」

「昔はな。ここが気に入って、そのまま居着いちまった」


 ノクスの問いに頷きながら、和え物をつまむ老人。


「旅も良いが、帰る場所があるのはもっと良い」

「……ええ、そう思います」


 ふ、と微笑んで頷いたノクスと、ノクスの横顔をじっと見ているナーナを見て、何かを察した老人はフンと鼻を鳴らした。


 ゆったりとした時間が流れる中、奥から油のはねる音が聞こえてきた。しばらくして、綺麗に盛り付けられた天ぷらが運ばれてくる。


「お待たせしました」


 当然のように米と箸を付けた後、店主はハッと気付く。


「お箸でないほうが良かったでしょうか。フォークをお出ししますか?」


 冒険者なら箸に馴染みがないのではという気遣いに、ノクスは首を振った。


「いえ、大丈夫です」


 おにぎりの一件以来、サースロッソ家の食卓にはゼーピア料理が並ぶようになったため、ノクスは箸の使い方を練習した。もちろん公爵も夫人も無理に使う必要はないと言ってくれたものの、せっかくだからと持ち前の勤勉さと器用さですぐに身につけたのだ。おかげでまだ少しぎこちないが、魚の小骨を取るような細かい作業がなければ普通に食事に使えるようになった。


 ナーナは「あーん」の口実がなくなり、少し寂しく思っていた。


 食前の祈りの後、二人はそれぞれ、先端が曲がった細い山菜を口に運ぶ。サクッと軽い音がした。


「うん、美味しい」


 少し苦みのある味と歯ごたえのある繊維質な食感を楽しんでいるノクスに、店主はホッとした様子だった。


***


 山菜料理を満喫した二人は、元冒険者の老人に宿の場所を訊ね、おすすめを教えてもらった。


 建物の中に入り、受付に近づいたところで、ナーナは少し身構えた。が、


「二人部屋を一つ」


ノクスが人差し指を立てながら自然な流れでそう口にしたので、思わず顔を二度見した。

 受付スタッフの男性から一本だけの部屋の鍵を受け取り、


「行こう、ナーナ」


自分の顔をいつにも増してじっと見てくるナーナに、不思議そうにしながらも声を掛けるノクス。


「はい」


 ナーナは腕に抱きつき、柔らかいものが当たってノクスは少し動揺した。


「どうしたの、さっきから」

「ノクス様の成長を喜んでいたのです」

「成長……? 確かに、背は少し伸びたけど……」


 まさか何の抵抗もなく二人部屋を選んでくれたことが嬉しいのだとは、気付かないノクスだった。


「……いいなあ」


 受付の男性は、どう見ても相思相愛の二人を見送り、小さくため息をついた。

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