第65話 王子は静かに執着心を燃やした
徐々に狭く、険しくなる山道を歩くことしばし、ちょうど、前の宿場と次の宿場の中間ほどに差し掛かった頃だった。
ノクスが不意に立ち止まって振り返り、ナーナが首を傾げた。
「魔物だ」
ナーナが自分の背後を振り返るよりも早く、ノクスは彼女を背に隠し、防御魔術を展開した。薄暗い以外には特に代わった様子の見られない木々の奥を睨み付ける。数秒後にガサガサと茂みが揺れ、飛び出してきた複数の黒い影が透明な障壁に弾かれる。不意打ちを狙ったはずが逆に虚を突かれた身体が宙を舞った。
「ウルフ種が五体か。『飛礫』」
ぼそりと低く呟くのとほぼ同時に、上空に向けて掲げた人差し指の先に岩が現れ、魔獣と同じ数に砕けて飛び散った。石の粒は魔物たちが着地するよりも早く額や喉など急所を正確に射抜き、ボトボトと死骸が地面に落ちた後、辺りは静かになった。
「襲撃よりも前に気付くなんてすごいです」
ノクスが息を吐くのと同時に、ナーナが小さく拍手をした。
「結界が途切れる辺りから、ずっと索敵してたから」
近頃なりを潜めていたナーナの『ノクスを大げさに褒める遊び』がまだ続いていたことに驚いたものの、なんとか平静を装うノクス。少しだけ目が泳いだことに満足するナーナ。
「そんなに長く魔術を発動していられるのもすごいと思います。私なんて、敵襲に気付いてから防御魔術を出すだけで精一杯なのに」
ノクスは何でもないことのように黒ずんだ狼の死骸を回収し始めるが、本来は継続的に魔術を発動するのはとても難しいことだ。ナーナも知識としては知っていたものの、魔術の訓練をし始めてから身をもって知り、より一層ノクスを尊敬した。
「防御魔術の発動も本当に一瞬ですし……。練習したら、私ももっと素早く出せるようになるでしょうか」
「なるよ。何度も繰り返して、魔術が発動する時の感覚を覚えるんだ」
ノクスも、始めから瞬時に発動できたわけではない。身を守るために必死だったということもあるが、結局は反復練習の賜物だった。
「ノクス様が寝ている時に発動する壁は、どういう仕組みなのですか?」
条件に応じて自動で発動できるようになれば、より便利なのではとナーナは考えた。
「あれは、ええと……。感覚的には、自分の身体に付与魔術を掛けてることになるのかな……」
そもそも自分が使っている魔術が一般的ではなく、古代魔術に近いものだということすら知らなかったので、ノクスには説明が難しかった。
「付与魔術ということは、私の身体に施すこともできますか?」
「生物には試したことがないから、やりたくないな……。もし間違えたら、魔術が際限なく魔力を吸って、倒れるかもしれない」
魔力不足は貧血のような症状を引き起こし、あまりにも急激な場合には、命を落とすこともあるという。
「では、服やアクセサリーに施すことは?」
「それならまあ、できると思う……。どういう条件で発動するようにすればいいか、思いつかないけど」
旅の中や普段の護身用に使うとなると、『術者が気を失ったとき』のような明確な条件ではない。『敵に襲われそうになった時』と定義しても、今度は何を敵とみなすのかという問題が出てくる。なにしろ、害なすものは魔物だけではない。町の結界のように魔物だけを弾くという手もあるが、アイビーのような例もあり、街中ではむしろ人間のほうが厄介だ。
「人間の場合、怪我させるだけで騒ぎになったりするしなあ」
かと言って、ただ身体に触れないよう弾くだけでは逆上される場合もあるため、塩梅が難しい。
「魔物や獣に襲われた時みたいに、問答無用で殺すわけにもいかないし……」
と歩きながら腕組みをして悩んでいるノクスを見て、ナーナはぽつりと訊ねた。
「……ノクス様は、人を殺めたことはありますか?」
「あるよ」
獣や魔物の命を容赦なく刈り取る躊躇いのなさを見て、ある程度予想はしていたが、ノクスはあっさりと頷いた。
「組合の依頼ですか?」
一応、貴族や商人の護衛任務中にもし襲って来る者がいたら、斬り捨てて良いことになっている。他にも、追い剥ぎなどを行う盗賊の類いや犯罪者には、公的機関や冒険者組合から賞金が掛けられることがあり、基本的には生け捕りだが凶悪犯は生死を問わない条件になる場合もある。
「依頼じゃないよ。人が絡むのは、青の依頼だから」
報酬はその辺の魔物討伐よりも良いが、突き出した犯罪者の親族や組織に狙われることも少なくないため、ノクスは割に合わないと判断して手を出していない。
「賞金首の捕縛や討伐を専門にする冒険者は『首狩り』って呼ばれるんだ。冒険者っていうより、それ一つで仕事って感じ」
赤や緑をメインに活動する一般的な冒険者とはあまり馴れ合わず、なんとなく敬遠されている。そういう意味ではアストラと近しい部分があるかもしれないと、彼らの生き方や仕事に興味を持ったこともあったが、さほど交流はない。
「……では、人を殺めたのはどのような経緯で?」
「別に面白い話はないよ。……最初に殺したのは確か、組合に所属してない、たちの悪い冒険者だった。俺が討伐した後の獲物を横取りされそうになったんだ」
報酬の良い依頼を受ける組合所属の冒険者をマークしてその帰路を狙う、悪名高い集団だった。標的となった冒険者は殺され、組合に所属している者を買収して換金の仲介をさせる。証拠を残さないため、組合側は彼らを討伐する依頼を出すこともできない。一人で依頼を受ける小柄なノクスは格好の的だった。結果的に、まだ子どもだからと標的の実力を見誤った彼らは、金では買えないものを失うことになった。
「冒険者組合には冒険者同士の諍いを咎める規則はないし、家無しの冒険者は、どの国の法律にも守られないから」
それは殺しても咎められることはないという意味と、ノクス自身も、アストラとして活動する時には守ってくれるものは何もないという意味だった。
「それからも何度か、ごろつきみたいなのに襲われたことはあったよ。子どもが一人で冒険者なんかやってると、どうしてもね」
そして、赤い瞳がナーナを真っ直ぐに見た。
「でも、殺したことを後悔はしてない。これからもしない」
躊躇いのなさの根底にあるのは、幼少の頃から幾度となく命の危険に晒されてきた経験だった。やらなければやられるのだ。
それから、ノクスはぼそりと言った。
「もちろん、ナーナを狙う奴もしっかり殺す」
何なら自身を狙う輩よりも容赦なく。スッとルビーの目から光沢が消えた。
「……ご無理はなさらないでください」
ノクスから自分への執着心のようなものが垣間見えた気がしてナーナは一瞬喜んだが、内容が内容なので少し複雑な気持ちになった。
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