第45話 王子は米の味を知った

 炊飯器の様子を窺いながら談笑しているうちにあっという間に一時間が過ぎ、魔術式に夢中なノクスがその存在を忘れた頃に、再びチン! という音がして石の光が消えた。


「……」


 アイギアが緊張の面持ちで蓋に手を伸ばし、そっと開けた。途端に白い蒸気の塊が飛び出し、頭上で消えた。


「所長、どうぞお」


 魔術収納を持っているらしいメイが、木製のしゃもじと器をすかさず渡す。アイギアはそれを受け取り、湯気の下から現れた平らな白い世界にそっと切れ込みを入れた。


「……炊けてるんじゃないか?」


 底側からひっくり返しても、満遍なく火が通っているように見えた。恐る恐る器に盛り、つま先立ちのメイと身体を丸めたアイギアの二人で真剣に確認する。

 頃合いを見計らって様子を見に来た職員たちが固唾を飲んで見守る中、メイが用意した箸で二人はそれぞれ一口ずつ頬張り、ゆっくり咀嚼して飲み込む。そして。


「……!」


 無言でバチィンとハイタッチした。手の大きさが違いすぎるのに、息がぴったりで良い音が出た。


「成功?」

「……っす」


 また取り乱したことにハッと気付いて、アイギアは小さく頷いた。


「やりましたねえ、所長」

「……長かった……」


 二人して涙ぐんでいる。

 経緯を聞けば、この試作品に辿り着く前にも幾度となく試作品を作ったものの、発火して焦げたり硬いままだったり術具ごと爆発したりと、まともに炊けたことはなかったらしい。ようやく理論上は間違いなく動く式と装置を完成させたら、今度は起動できる人間がおらず、泣く泣くお蔵入りするところだったとか。


「ノクス様とナーナリカ様もいかがですかあ? 試作品の術具炊きに抵抗がなければですけどお」


 湯気の立つ白いご飯をメイに差し出され、二人で顔を見合わせる。


「そっかあ、ノクス様はお箸の使い方がわかりませんよねえ。スプーン? フォークのほうがいいかなあ」


 メイが魔術収納を漁る姿を見つめ、アイギアはふと思いついてしまった。


「……お嬢が、『あーん』すればいいんじゃないっすか……」

「!」

「ちょっ」


 今までどうして思いつかなかったのだろうという名案に、ナーナはいつもより素早くノクスのほうを振り向いた。メイから箸を受け取り、すぐに実践する。


「どうぞ、ノクス様」


 アルニリカから倣った美しい箸の持ち方で、程よい量を掬ってノクスの口元に近づける。


「本気? こんな見られてる中で?」

「はい。『あーん』ですよ、ノクス様」


 ノクスはしばし逡巡した後、意を決してナーナの箸から食べた。観衆から謎の拍手が起きた。


 羞恥心でしばらく味がしない気分のノクスだったが、落ち着いて噛んでいるうちに、徐々に甘みがわかってきた。


「美味しいね。初めて食べる味だ」

「でしょう」


 屋敷での食事は、ノクスに気を遣ってアコール内陸部で普及している食材を使用しているものが多かった。これからは米もOK、とナーナは心の中にメモをした。


「残りは食堂に持っていって、あったかいうちにおにぎりにしちゃいましょお」


 すると、


「……おかか」


 アイギアが挙手し、


「じゃあ私はツナでえ」


 メイが頷き、


「昆布が良いです」


 ナーナも便乗した。


「何の話?」

「おにぎりの、具材の話です」


 炊いた米を手で持って食べられるように丸めたものがおにぎりで、中に様々な具材を入れたり混ぜ物をしたりして楽しむのだと教わり、異文化だなあと感心するノクスだった。


 炊飯器ごと食堂階に運ばれていく米を見送ると、職員たちは早速その場で議論を始めた。


「……ひとまず、式は間違ってなかったわけだ」

「魔術師じゃなくても使える消費魔力に抑えないと」

「魔力の循環効率を上げないといけませんね」

「釜をもっと熱が伝わりやすい素材に変えるのは?」

「……アリだな」

「ていうか所長、ゴーグルは?」

「その目かっこいいっすね」


 活気づく第一研究室をノクスとナーナが邪魔にならないよう端のほうで眺めていると、メイがちょこちょこと駆け寄ってきた。


「いやあ、本当に、ノクス様のおかげで一気に研究が進みそうですう」


 改めて深々と頭を下げた。


「役に立てて良かったよ。でも、魔力消費を抑えるのって難しいんじゃないか?」

「大丈夫ですよお、とりあえずきちんと動くものが作れれば、小型化と省魔力化は生活術具塔の得意分野なのでえ」


 ぐっと拳を握り、やる気を見せるメイ。


「それぞれの塔に得意分野があるんだな」

「はい、大型術具塔は逆に、数人がかりで動かすことを前提にした高出力のものを作るのが得意でえ、攻撃術具塔は魔術をそのまま術具に落とし込むのが得意でえ、防衛術具塔は一つの術具の汎用性を広げるのが得意ですう」

「他の塔も見てみたいなあ」

「塔長たちの予定を伺っているところです」


 できるナーナは既に手配していた。生活術具塔は、所長のアイギアが常駐しているので予定を「空けさせた」らしい。


「生活術具塔は、ノクス様がお一人の時でも顔パスで入れるように手続きしておきますから、いつでもお越しくださいねえ」

「いいのか? ありがとう」

「……本当に、いつでも、来てもらっていいんで……。試作品はいくらでもあるし……」


 今後の炊飯器の研究方針が決まったようで、書類束を持ったアイギアが近寄ってきた。


「……今更っすけど、何者っすか、ノクス様。お嬢の公爵家公認彼氏ってことは、貴族じゃないんすか」

「一応そうなんだけど、微妙な立場というか……。外部には、俺が魔術を使えることを広めないで欲しいんだ」

「……いっすよ。黙ってれば術具研が独占できるって言えば、わざわざ広める奴なんか、いないんで。……通達しときます……」


 研究者気質の扱い方を知っている男は小さく頷くと、早速指示するべく輪に戻っていった。

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