第44話 王子は術具の作り方を習った

 炊飯術具は三十分の浸漬という過程を経た後に火が入り、更に数十分掛けて炊き上がるという。


「手間が掛かるんだなあ」

「調理の手間そのものは、パンよりは少ないかと」


 アコールの主要地域の主食はコーンと芋、それから貴族のみ、イースベルデで栽培される麦も食べる。以前は粗く挽いたものを煮て食べるのが主流だったが、最近はもっぱらパンに加工する。脱穀して細かく挽いて粉にしたものを捏ねて焼くというのは、言われてみればかなりの手間だ。


「……はあ、書類仕事を後回しにしたツケが……」

「だから、保留になってる試作品の整理をしましょうっていつも言ってたのにい」


 アイギアは先ほど水を持ってきた眼鏡の女性と共に、炊飯術具の隣で様々な試作品の書類と睨み合っていた。早い者勝ちにしたら研究所に血が流れかねない有様だったので、ノクスに試してもらいたい術具を改めて各自に申請させ、優先度を決める羽目になったのだ。


「アイギアがあんなに大きな声を出せるなんて、知りませんでした」

「……お恥ずかしい限りっす……。まさか『炊飯器』が動く日をこの目で見られるとは思わなかったんで……」

「確かに、結構強かったよ。その……『炊飯器』?」


 ノクスの魔力の使用率で敵の強さを図るとするなら、下位種の変異個体より少し弱いくらい。冒険者組合では「一人での討伐はほぼ無理」と評価されるクラスになるわけで、起動できる人間が今まで現れなかったのも納得だった。


「この目でって言っても所長、ゴーグルで見えてないんじゃないですかあ?」

「……見えてるし。……今は真っ白で綺麗だ」

「見えてなくないですかあ?」


 ノクスの魔力が無事に術具の中を循環しているということだ。術具の性能や不具合を見るには便利な目だが、やはり不便そうだった。


「書類の文字は、裸眼でも見えるのか?」

「はい、まあ……。紙やインクに魔術が掛かってなければ……」

「じゃあ、そのゴーグルをちょっと見せてくれないか? 気になってたんだ」


 人の頭に載せられる程度というのは、術具の中ではかなり小型だ。どんな技術が使われているのだろうかと、ノクスは興味津々だった。


「……まあ、今はいいか……。どうぞ……」


 アイギアは後頭部のベルトを外し、ゴーグルを取ってみせた。切れ長の目はグレーで、本来なら虹彩よりも濃い色をしているはずの瞳孔が光っているように見える。


「アイギアの目元を、初めて見ました」


 ナーナが少し驚いていた。


「……寝る時以外で、久しぶりに外しました……」


 アイギア自身慣れないらしく、目頭を揉んでいる。


「ありがとう。術具って確か、内部に魔術式を組み込むんだっけ?」


 受け取って内側を見ると、壁に貼ってある書類に書かれた式と似たようなものが刻んであった。


「そうですう。所長のゴーグルは、所長の目が常時発動してる魔法に近い効果を抑える式が組み込んであるんですよお」


 眼鏡の女性研究者が、目を輝かせながら答えた。それから、まだ名乗っていなかったことに気付いて頭を下げた。


「申し遅れました、生活術具塔の塔長の、メイですう」

「……小型術具の研究は、彼女が一番っす……」

「所長には及びませんけどねえ」


 制服の袖が少し余っている小柄な研究者メイは、照れくさそうにオレンジ色の頭を掻いた。


「ノクス様は、魔術師ですよねえ。術具に興味がある方は珍しいですねえ」

「そうなの?」

「魔術師の方は、自分たちが苦労して身につけた魔術を誰にでも使えるようにするっていう術具の考えを、良く思わない方も多いのでえ」

「……なるほど」


 魔術師は貴重だ。王宮や貴族は優秀な魔術師を召し抱えて囲い込もうとする。故に冒険者には強い術が使える魔術師が少なく、物理攻撃の効かない魔物への対処が遅れるのだ。


「別にいいと思うけどなあ。それで不便が解消されるなら」


 特にアイギアのような、日常生活に支障をきたすレベルの不便を抱えた人間には必需品だ。


「まあ、式を組み込む都合上、どうしてもある程度の大きさが必要になるのがネックですねえ」

「……そいつも、かなり小型化したほうっす……」


 確かに、ゴーグルは金属の板にびっしりと式が刻まれている。最小限まで文字を小さくすることで、どうにか頭に乗るサイズに収めたらしい。


「魔術式って、どういう組み立て方をするんだ?」

「えーとお」


 アイギアは、書類そっちのけでノクスに魔術式の書き方を説明し始めたメイ――淡い緑色の魔力の塊だ――を横目で見て、こっちを手伝えと口を開きかけて、ノクス――濃度がやたら高い白い魔力の塊――がほわほわと嬉しそうに揺れるのを見て、ため息をついて視線を書類に戻した。


「じゃあ、例えば弱い風を起こす魔術を発動するんだったら、こう?」

「それなら、こう書いたほうが短くなりますねえ。それか、こういう形状にして回すだけにすると、もっと短くなりますよお」


 メイは器用に、ケヴィン愛用の風呂で見たようなプロペラを描いた。


「なるほど。構造込みでなるべく短くなるように考えるのか。難しいな」

「いえいえ、飲み込みが早いですよお。ノクス様も術具研で働きますかあ?」

「それもいいなあ」


 冒険者が適職かと思っていたが、魔力を持っているだけで必要とされるのなら全然アリだな、とノクスは真剣に考えた。


「……」


 メイに向けて朗らかに笑うノクスをナーナはじっと見て、


「……お嬢、嫉妬っすか」

「違います」


 赤い魔力の塊がめらめらと揺れるのを見たアイギアの言葉を、食い気味に否定した。

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