【書籍化】忌み子の王子は可愛いメイドの実家で楽しく暮らすことにした

毒島(リコリス)*書籍発売中

第1部

第1話 王子は父に呼ばれた

 中庭に、バシャッという大きな水音が響いた。


「まあ、ノクス様! ごめんなさい、気が付かなくて」


 心にもない白々しい声で謝る中年のメイドの手には、掃除の後と思しきバケツ。


「……気をつけろ」


 ずぶ濡れになった少年は、黒い髪からぽたぽたと水滴を垂らしながら、メイドと目も合わせずに立ち去った。


「さすがにやり過ぎじゃない?」


 一部始終を見ていた別のメイドが、中年メイドにそろりと話しかけた。


「だって、いつ見ても気持ち悪いんだもの、あの髪と目」


 中年メイドは、わざと汚水をぶっかけたことを隠しもしなかった。


「そりゃそうだけど。旦那様に告げ口されたら大変よ」

「あの昼行灯に、そんな度胸ないでしょ。旦那様だって、最近全然気に掛けてないし」

「……そうね。弟のラノ様は今日も公務に同行されたっていうのに」

「あの『忌み子』にも王位継承権があるなんて。早くどこかに婿入りしてくれないかしら。王国の恥だわ」

「本当に」


 クスクスと嘲笑するメイドたちの姿を、二階の窓から見ている赤い髪のメイドがいた。


***


「あーあ、久しぶりに派手にやられたな」


 水をぶっかけられた黒髪の少年――ノクス・ガラクシアは、周囲を確認してから髪を掻き上げた。現れた目は、良く言えばルビーのような、悪く言えば鮮血のような赤い色。

 ノクスは犬のように頭をぶんぶんと振って水を振り切り、上着を脱いで適当に絞る。


「少しくらい、やり返せばいいのではありませんか?」


 赤い髪のメイドがどこからともなく現れ、当たり前のように濡れた上着を受け取った。


「どうでもいい。性根の曲がった人間は、相手にするだけ無駄だ」


 中年のメイドはノクスが生まれる以前から屋敷に勤めている。何か言ったところで、今更あの陰険さが変わるとも思えなかった。


「……あのお歳と性格では、解雇されたら次のお仕事はないでしょうね」

「なんて?」


 物騒な言葉が聞こえた気がして振り返るノクス。


「王宮に竜の襲撃でもあれば次期国王になるかもしれない王子に、よくあのような態度が取れるものだと称賛を贈っておりました」

「ナーナもなかなか不敬だよ」


 はあ、とため息をつくノクスだった。



 アコール王国は、大陸の西側に位置する大きくも小さくもない国だ。温暖な気候と肥沃な土地に恵まれ、安定した国力を持っている。

 現国王の弟であるエドウィンは、兄の即位後、ガラクシアという領地を治めることになり、同時に公爵となった。


 そしてノクスは、そのエドウィン・ガラクシア公爵の息子だ。

 つまりガラクシア公爵家の跡取りであり、王弟と現国王の二人の息子に次ぐ、王位継承権四位の王族なのだが――。


「下も脱いでください」

「さすがにそれは部屋に戻ってからかな!」


 使用人一同から、ぞんざいな扱いを受けていた。



 理由は二つ。


 一つは、彼が双子だということだ。


 ノクスの弟、ラノ・ガラクシアは、母譲りの淡い金髪と父譲りの青い目を持ち、誰もが見蕩れるほどの美少年だ。

 加えて聡明で剣術の腕も高く、国中から愛される人気者。便宜上は弟だが、双子なので立場はノクスとほぼ同等。彼こそ次期ガラクシア当主に相応しいという声が上がっていた。


 もう一つは、ノクスの外見だ。


 顔立ちや背格好はラノとそっくりだが、髪は漆黒で、目は魔物を思わせる真紅。

 王族の血統はもちろん、国内を探しても黒髪はほとんどいない。突然変異としか思えないその色合いに、「呪われた子では」という噂が広まった。

 双子を産んだ直後に彼らの母親が死んだこと、そしてアコール王国が保有していた世界一の銀鉱山に竜が住み着いたことが、より信憑性を持たせた。


 ところが、エドウィンは噂を否定することもなく静観するばかりで、ノクス自身も反発しない。

 ラノのようにエドウィンの公務に付き添うよう指示されることも、貴族学校に通う手続きを取られることもなかった。


 そして十五歳を過ぎた今となっては、ほとんどの使用人から蔑ろにされている。


「ナーナも、俺に構うところを見られないほうがいいんじゃないか」


 そんなノクスの世話を唯一しに来るのは、ナーナという若いメイドだった。


 燃えるような赤い髪と黒曜石のような黒い瞳を持つ、整った愛らしい顔立ちの少女だ。私情を挟まずきびきびと動く働き者のメイドだが、表情筋だけが仕事をしない。


「面倒な方が寄って来ないので、むしろ好都合です」


 四年前、突然エドウィンに連れられて屋敷にやってきたナーナは、ノクスよりよほど権力を持っていた。愛想がなくても、当主直々の採用のため他のメイドたちは睨み付けるくらいしかできない。


「ナーナが良いならいいけど」


 淡々とした効率を重視する性格で、常に冷徹なところをノクスは好ましく思っていた。


***


 ノクスがシャワーを浴びて着替え終わった頃、エントランスのほうが騒がしくなった。


「おかえりなさいませ、旦那様」

「ラノ様もお疲れ様でございます。お荷物をお預かりいたします」


 公務を終えたエドウィンとラノが帰ってきたようだった。辛辣な使用人たちが態度を百八十度変えてへこへことへりくだる様子が面白いので、ノクスは時々、その凱旋パレードを見に行く。

 二階の手すりにだらしなく頬杖をついてぼんやりと見ていると、不意にエドウィンと目が合った。

 いつもならすぐに逸らされるのだが、今日は何故か、そのままエントランスの大階段を上って、ノクスの前にやってきた。


「……? 何か御用ですか、父上」


 ノクスは頬杖をついたまま、挨拶もせずに訊ねる。

 後ろから慌てて付いて来た腰巾着たちが「無礼だぞ」とばかりに睨んでくるが、「貴様らの無礼に比べればかわいいものだろう」と、ノクスはその態度を崩さない。


「話がある。夕食後、執務室まで来なさい」


 低く通る声には妙な威圧感があり、ノクス以外の人間は思わず背筋を伸ばしてしまう。


「今更何の話が?」


 はっ、と鼻で笑う。声すら久しぶりに聞いたくらいなのに、と。

 しかしエドウィンは、冷静に繰り返した。


「いいから来なさい。ラノもだ」

「は、はい」


 一触即発の空気を感じて階下からはらはらと見ていたラノが、急に話を振られて慌てて姿勢を正した。

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