第92話 魔術師は新しい魔術を成功させた

 ベッドのほうから音がしなくなると、ナーナは立ち上がってそろりとベッドのそばに寄った。


「寝た?」

「はい」


 覗き込むとレイヤは身じろぎ一つせずすやすやと眠っていた。気配を消せるノクスならまだしも、何の訓練もしていないナーナが近づいても全く起きる気配はない。


「随分疲れていたようですね」

「だろうな」


 国の半分を一年以上歩き回ってようやく目的の人物に辿り着き、無事に頼みを承諾してもらえた。そこに美味しい食事と寝心地のいいベッドがあれば、気が抜けてしまうのも無理はない。


「アストラがこの隙に逃げるとは思わなかったのでしょうか」

「船の上だから逃げるところはないと思ったのかもしれないけど……。不用心だとは思う」


 ノクスが敵意を一切見せなかったことや、同年代で女連れということで気を許したのかもしれないが、出会ったばかりの相手を信用しすぎのような気はする。騙されたことも一度や二度ではなさそうだ、とノクスは安らかな寝顔を見て呆れた。


「まあいいか……。この寝方なら着くまで起きないだろ。念話の練習でもしよう」


 ソファーに戻り、アイビーとの念話の感覚を思い出す。声が聞こえる直前に、独特の魔力の流れがあった。


「知ってる魔力の相手と会話できるってことは、魔力探知に近いのかな……。でもそんなに遠くの相手を探せるもんなのか?」


 ノクスが新しい魔術を考案する時のぶつぶつと独り言を呟く癖が始まったので、ナーナは邪魔をしないように、今度は少し離れて座った。が、魔族の魔法を再現するという作業にノクスはすぐに行き詰まり、腕を組んで眉間に皺を寄せて低く唸った。


「魔力の形というのは、どういうものなのですか?」


 ノクスが旅の中で時々行う索敵や探知は、魔術に疎いナーナには完全に未知の感覚だった。それどころか、魔術学院で習うものでもせいぜい数や大きさ、距離がわかる程度。死蔵魔術が一蹴されたとおり、離れた位置にいる個体の種類や強さまで見分けるのはエルフの目でもなければ難しいとされていた。


「説明しづらいな。例えば目を閉じた状態で知り合いに話しかけられた時に、わざわざ『この高さと質だからこの人』って考えなくても誰なのかわかるだろ? そんな感じ」

「確かに……。ノクス様は声変わりしてもノクス様の声です」

「……」


 ナーナがガラクシアの屋敷に来た時には、まだノクスもラノも声が高かった。双子なので二人の声はよく似ているものの、ナーナは後ろから急に声をかけられても間違えたことはない。単に口調やトーンが異なるというだけではなく、二人がわざとお互いの話し方を真似したとしても当てられる自信があった。しかしどうやって聞き分けているのかと聞かれても、『ノクスの声だから』としか言いようがない。


「高い頃の声も可愛らしくて好きでしたよ」

「そう……」


 ナーナも四年で多少背が伸び、より大人びた雰囲気にはなったが、ノクスの記憶の中では出会った時から大きな変化はなくずっと美人だ。自分ばかりちんちくりんの頃を知られているようでなんだか恥ずかしかった。

 気を取り直して考えに戻り、ふと思いつく。


「そうだ、まずナーナと試すのがいいかもしれない」

「私ですか?」

「うん、ナーナの魔力の形が一番よく知ってるから」


 ラノではないのかとナーナは首を傾げたが、ここ数年はラノが貴族学校に行っていたこともあり、一緒にいる時間はナーナのほうが圧倒的に多い。彼女と念話ができなければ、他の相手に試したところで成功しないだろう。


「私に協力できることなら」

「ありがとう」


 背が伸びて声が変わっても、その笑顔の破壊力は変わらない。念話の感覚を掴もうとすぐに真剣な顔に戻ってしまったが、ナーナは目を閉じて最新の笑顔をいつでも思い出せるよう反芻した。




 ノクスは魔術のことになると時間を忘れて没頭してしまうので、その間ナーナは雑誌を読んだり、お茶のおかわりを入れたり、軽くつまめるメニューを注文してみたりと適当に暇を潰した。そして、


『ナーナ、聞こえる?』

「!」


 完全に油断して雑誌をめくっていたところで、突然耳元よりも近いところから聞こえたノクスの声にびくっと肩を震わせた。


「はい」

『よかった、成功した』


 思わずノクスのほうを見るが、とびきり嬉しそうな表情をしているその口は動いていない。


『念話でこっちからアイビーに話しかけた時の感覚をやっと思い出したんだ。わざわざ探知なんかしてなかった。魔力の形に向かって話しかけるっていうか、俺が持ってる線を繋げるっていうか――』


 珍しくテンションの高いほくほくとした声が、耳を塞いでも同じ音量で頭の中に入ってくる。


『ナーナ?』


 一方的にまくし立ててしまったところで、目の前でナーナが固まっていることに気付いた。


「ごめん、うるさかったな」


 念話の使い方がわからないナーナはノクスからの交信を切れないのに、成功したことが嬉しくて舞い上がってしまった。申し訳なさそうに落ち込む姿を見て、


「そういうわけではないのです。少し驚いただけで……。成功おめでとうございます」


 慌ててフォローを入れながらも、ナーナの心の中は荒れていた。アイビーに話しかけられた時には何とも思わなかったのに、ノクスの声を直接流し込まれる感覚は刺激が強すぎる。


「お茶が冷めてしまっていますね。新しく淹れ直します」

「ああ、悪いな。ありがとう」


 思わず逃げ込むように簡易キッチンに入り、初めての感覚に混乱しながらナーナはようやく気付いた。どうやら自分で思っていたよりもノクスの声が好きらしい。今更惚れ直すポイントがあるとは思っていなかったので、恐ろしい男だと静かに天井を仰いだ。


「アイギア、聞こえる? うん、念話っていう魔族が使ってる伝達方法を分析してみたんだけど」


 その間にノクスは早速アイギアにも念話を成功させ、術具研はナーナの心境以上に荒れた。

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