第97話 魔術師は子どもたちに囲まれた
「もうそのペンダントは戻ってこないと思ってた」
物の少ない応接室にお茶を淹れて運んできたテレーズは、ノクスが机の上に置いた金のロケットを懐かしそうに見た。
「私を探すのも難しかったんじゃないかしら? わざわざありがとう」
手伝いの申し出を断り手ずから四つのカップを机に並べて座ると、くすんだ金細工をそっと手に取り愛おしそうに撫でる。
「いえ、いろいろと偶然が重なって……」
シシーの迷宮で見つけてからの経緯を、持ち主が魔物になっていたということは伏せてノクスが簡単に説明すると、テレーズは微笑んだまま時々小さく頷き、真剣に聞いていた。ノクスが話し終わると少し冷めた茶を一口飲んで、息を吐く。
「シシーの迷宮……。思ったよりも近くにいたのね」
「どんな方だったんですか?」
「とても真面目で優しい人よ。……私と出会わなければ、そんなに早く命を落とすこともなかったかもしれないのに」
「え?」
悲しげなテレーズの顔に少しだけ自嘲の色が見え、ノクスは聞き返した。ナーナとレイヤも首を傾げている。
「私と釣り合うために出世するって言って旅に出たのよ、あの人」
シシー伯爵家のように平民の女性が貴族の男性に嫁ぐことは珍しくないが、その逆、貴族女性のもとに平民男性が婿入りすることはほとんどない。そして貴族が平民の家に嫁ぐことも皆無と言っていい。貴族の婚姻は、家を維持し、より良くするために行われるものだからだ。
「つまり……。魔術師として名を上げて、ウルバン子爵家に有用性を認めてもらおうとしたと?」
「その言い方、お嬢さんも貴族の家柄なのね。……きっとウルバンよりも位が高い家ね? こんな話し方をしてはいけないかしら」
ナーナが明け透けな言い方をしても、テレーズは気を悪くすることもなく、むしろ面白そうにくすくすと笑った。
「私はただの、彼の付き添いです。お気になさらず続けてください」
「ありがとう。……そんなことしなくていいとは言えなかった。私自身、彼と一緒になるにはそれしかないと思っていたから」
平民が貴族に取り入る方法は大きく二つ。事業で成功して資金援助関係を結ぶか、冒険者として功績を稼ぎ、騎士や宮廷魔術師のような王宮に出入りできる身分になるか。シシー伯爵夫人の家は前者だ。商才はないが腕に覚えがある者は後者を目指すことになる。
「幸いにも、彼は土の魔術ならこの辺りで一番の腕を持っていたから。功績を積んで石二つくらいになれば、宮廷からスカウトが来るかもしれないって。それに賭けたの。……私たちは賭けに負けたってことね」
色褪せた金細工を前に、誰もがかける言葉をなくした。
「でも、彼の消息が知れて良かった。旅先で他の女性に目移りして、私のことがどうでもよくなってしまったのかもって思ってたから」
嘘だ。信じていたからこそ、孤児院に奉公するという形を取ってまでテレーズが独身を貫いてきたことは明白だった。
話が終わって外に出ると、テレーズは改めて頭を下げた。
「届けてくれて本当にありがとう。売ることもできたのに」
暗い雰囲気を打ち消すように、結構良い金を使ってるのよ、と冗談めかして言う。ノクスは首を振った。
「いえ。俺も魔術師なんです。だからあのペンダントの持ち主が使ってた魔術のことが気になっただけで」
「貴方もそういう
「そうですね。残念です」
テレーズは、本当に残念そうに肩を落としているノクスに少しだけ在りし日の恋人の面影を重ね、目を細めた。
ノクスは何やら温かい目で見られていることに気付いて、ばつが悪そうに話題を変えた。
「あの。シシーで彼を見かけた人によると、彼は鉄が採れる場所を探していたそうです。でも、鉱物なら西のほうが探しやすいですよね。どうして川を渡ったんでしょうか」
「竜が住み着いたからよ」
「あ……」
銀鉱山と呼ばれているのは特産品が銀というだけで、ほかの鉱物も採れる。辺り一帯が封鎖されたことによって、もっと産出量が多く汎用性が高い鉱物も採れなくなっているのだ。
「彼は新しい土の魔術の開発に取り組んでいたの。珍しい魔術を使えば、それだけ話題にもなりやすいでしょう?」
そう言われて、ノクスとナーナは顔を見合わせた。例の砂鉄を操る魔術は彼の研究結果だったのだ。
「テレーズさんはその魔術を見たことはありますか?」
「いいえ。彼がウルバンを発った時には、まだ理論だけだったから。……一度くらい見てみたかった。恋人をほったらかして没頭してた研究だもの。一番に見せてもらう権利くらいはあったと思わない?」
テレーズは寂しさと懐かしさが混ざった目をして、庭で遊んでいる子どもたちを眺めた。ノクスは少し考え、提案する。
「……再現しましょうか」
「え?」
ノクスはテレーズだけでなくナーナとレイヤにも少し離れているように言うと、魔術収納から迷宮で手に入れた黒い剣を取り出した。何もないところから突然現れた剣に、魔術に馴染みがない子どもたちや他の職員も何事かと注目し始める。
「確か、こう……」
ウィスプに遭遇した時のことを思い出しながら剣に手をかざすと、黒い剣がさらさらと砂鉄に戻っていった。黒いもやはノクスの周りを魚群のように巡回し始め、初めて見るレイヤがわあ、と小さな声を上げた。
「この砂鉄も、遺品なんですけど」
再びノクスの手のひらに収束した砂鉄は、テレーズのシルエットを取った。
「園長先生だ!」
生きているかのように現れた人形に子どもたちがわらわらと集まってくる。今まで子どもと触れ合う機会がほとんどなかったノクスは、無防備に足元をちょろちょろする小さな生き物たちに少し怯えた。ナーナはノクスが怯えている姿が珍しく、目に焼き付けるのに忙しかったので助けなかった。
「それなあに!? ねんど!?」
「違うよ」
屈んで目線を合わせ、手に乗せた人形を子どもたちに触らせてやると、
「かたい!」
金属の感触に目を丸くしている。彼らが人形を叩いたりしないところから、テレーズがとても慕われているのだとわかった。
「ほかのもつくれる?」
「ねこつくって、ねこ!」
「うん」
一つ応えてやると次々に声が上がり、それからしばらくノクスは人形作りに勤しむことになってしまった。
子どもたちはノクスがリクエストに応える度に警戒心が解け、どんどん距離が近付いていく。仕舞いには背中に乗ったり腕に抱きついたりして間近でしげしげと人形作りを見ていた。最初のうちは恐る恐る接していたノクスの表情が徐々にほぐれていく過程を眺め、ナーナは満足した。
「素敵な魔術です」
「……そうね」
要求がエスカレートしてきたところで面倒くさくなり、『終わり終わり!』と立ち上がるノクスと、木の葉のように振り払われてもけらけらと笑い声を上げ、腕を引いて次の遊びに誘う子どもたちを見て、テレーズは少し目を潤ませながら微笑んだ。
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