第88話 二人は船に乗った

 海と見紛う大河の上を、船が滑るように横切っていた。川幅が広すぎるせいで小さく見えるが、物資と人を同時に運ぶことを想定された高速魔導船は、世界に現存する船の中でも大きい部類に入る。


「すごいな、本当に速い」


 部屋の確認もそこそこに後部デッキに出た二人は、船から見える景色を堪能していた。動き出してから三十分ほどで陸地は遠のき、ノクスは船が描く波の軌跡を面白そうに眺めている。聞いていたとおりの穏やかな気候と川の流れのおかげで揺れは少なく、心配していた船酔いは二人とも今のところ起きていない。

 ノクスは急な揺れに備え、手すりを掴んでいないほうの腕でナーナの腰を支えている。端から見れば仲睦まじく寄り添って景色を眺めているようにしか見えなかった。ナーナはそれに気付いていたが、もちろん指摘はせず、むしろ少しよろけたふりをして身体を預けたりする。


「ケヴィン様と術具研に感謝しないとな」


 無邪気に笑うノクスの顔を見て、ナーナも帽子が飛ばないように押さえながら父とアイギアたちに感謝していた。この事業を進めたサースロッソ家の人間が乗船するとわかれば過剰なもてなしをされてしまうかもしれないということで、顔が知られているナーナは認識阻害の帽子を被っておくことにしたのだ。


「やっぱり、固定できるものに付与するべきだな」

「そうですね……。でも本当に便利です、この帽子」


 こうしておおっぴらにノクスに寄り添っていてもサースロッソ家の娘に恋人ができたなどというゴシップにならずに済むのだから、偉大な発明だ。広まると犯罪に使われる可能性が高いので不用意な商品化はできないが、大枚叩いてでも欲しがる貴族はたくさんいるだろう。冒険者として危険を冒さずとも、これだけで一財産築ける代物だということにノクスは気付いていない。


「被ってる間は少しずつ魔力を消費してるみたいだから、もしかしたら発動できない人とか、魔力不足で具合が悪くなる人もいるかもしれない」

「そうなのですか」


 ナーナは特に魔術が得意なほうではないが、迷宮で長時間被り続けていても何ともなかったので、消費量は微々たるものなのだろう。術具研がいつも省魔力に頭を抱えていることを考えると、付与魔術というのは本当に革命的な技術だと改めて実感していた。


「付与魔術の研究が進めば、結界も小型化して、一人でも持ち歩けるようにできるかもしれませんね」

「それが実現すれば、旅が少しは楽になるな」


 海や川には水棲の魔物がいる。サースロッソとウェストールを船で繋ぐにあたり、最も難点だったのが、安全に横断する方法だった。陸地に近いところはそれぞれの領地の結界に守られるが、川の中央に向かうほど効果が薄れ、むしろ陸に近づけない魔物が溜まっている箇所があるという。そこをどう切り抜けるかというと、船自体に結界装置を載せることで解決している。そしてその分船は大型になった。


「この船自体が宿場みたいなものってことだよな。――ん?」


 のんびり雑談していると、不意にノクスが何かを感知して空を見上げた。覚えのある感覚、と思った途端、


『おい! ノクス! 西に来ておるのか!?』


 元気な吸血鬼の声がした。


「うわっ!? びっくりした、アイビー?」

「え? アイビー様ですか?」


 ナーナには何も聞こえず、辺りを見回しても姿はない。ノクスが念話という魔法だと説明すると、


『ナーナもそばにおるんじゃな。ナーナ、聞こえるか』


 アイビーはすぐにナーナにも聞こえるように調節した。


「聞こえました。お久しぶりです」


 念話初体験のナーナは、奇妙な感覚に目を丸くしている。


「今、シシーから西側に渡る船の上だけど。アイビー、近くにいるのか?」

『わらわはわらわの町におる。ぬしらのことは、眷属から知らせを受けて知った』

「眷属って、そんなにあっちこっちにいるのか……」


 あまりにもフレンドリーなので忘れそうになるが、本来は出現しただけで冒険者組合が警戒レベルを最高値まで引き上げる災害級の魔物なのだということを、ふとした拍子に思い知らされる。


「念話って、随分遠くまで飛ばせるんだな」

『言ったじゃろ、魔力を知っている相手なら誰とでも話せると』


 そういえば、魔物会議の前にそんなことを言っていた。距離を完全に無視して話ができるのか、アイビーが特別遠くの相手とも会話できるだけなのかはわからないが、便利なものだとノクスは感心した。


「俺も覚えられるかな。西側からアイギアに連絡できたら便利そうだ」

『おぬしならできるじゃろ。そんなことより、西に何の用じゃ? こっちまで来るのか?』

「いや、そんなに長くはいない。すぐにサースロッソに戻るつもり」


 迷宮で拾ったロケットペンダントの話をすると、アイビーはあまり興味がなさそうに、ふーん、と言った。


『川を渡って、サースロッソにすぐに戻れる辺りというと……。あの辺りには、竜がおるのではないか?』

「竜?」

『山を根城にしておる若い竜じゃ。冒険者なら知っておろう』


 居場所がわかっていて、冒険者の噂になるほどの竜というと、思い当たるのは一つしかなかった。


「……もしかして、銀山の?」


 十六年物の塩漬け依頼。すっかり失念していたが、確かにあれはウェストールからの依頼だった。


『そうじゃ! 竜と戦ってみたいと言っておったろ? ついでに倒してくれば良い』

「戦ってみたいとは言ってない……。ていうか、簡単に言うなあ……」


 実際、アイビーからすれば簡単なことなのかもしれない。それならさっさと倒しておいてくれればいいのにと喉まで出かかったが、面白そうなことにしか食指が伸びない吸血鬼に言っても仕方がないので、口には出さなかった。

 念話についてもう少し詳しく聞きたかったが、


『おぬしが行くならわらわも――ん? 何じゃ、やめろ服を引っ張るな! 泣くな! ノクス、ナーナ、また後でな!』


 何やらアイビー側で非常事態が発生したらしく、念話は一方的に切れた。


「相変わらず元気そうだな、アイビーは……」

「はい……」


 船の駆動音と波の音だけになったデッキが、妙に静かに感じた。


「……風も強くなってきたし、そろそろ中に戻るか」

「そうですね」


 いつの間にか陸は線状にしか見えなくなり、辺りに目新しいものもなくなっていた。まだ昼食の時間には早いが、船内にはいくらか暇つぶしの設備もあるという。部屋でアイギアとの念話を試してみてもいい。何をしようかと話しながら戻りかけた時、


「あの! そこの黒髪の人と帽子の人、待って!」


 突然、女性の声に呼び止められた。

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