第89話 西の冒険者は魔術師を探していた

 相変わらず周辺に自分たちしかいない特徴で呼び止められ、ノクスとナーナはそれぞれ振り返った。呼び止めた少女はノクスの赤い目を見て一瞬肩を震わせ、ノクスはもはや慣れてしまった初対面の反応に小さくため息をつきながら訊ねる。


「何か?」


 意思の強そうな目を持つ、ノクスたちとあまり変わらない年齢と思しき藍色の髪の少女だった。外向きにはねた短髪だが、揃った前髪と顔のサイドの髪だけ長く伸ばして束ねているスタイルにはなんとなく民族的な雰囲気がある。冒険者らしい動きやすさと丈夫さを重視した服装で、腰に佩いている剣は一般的なものだがきちんと手入れされていた。


「えと、さっき、竜とか銀山とか言ったのが聞こえた……。あんたたちは、冒険者?」


 発音がたどたどしく、文法にも自信がなさそうな口調だった。


「そんなに大きな声でもなかったと思うけど。盗み聞きか?」


 ただでさえ船が水を掻きわける音や駆動音が断続的に聞こえるのに、広いデッキの端で話していた内容が聞こえるものだろうかと、ノクスは少しだけ眉根を寄せる。


「すこし耳がいいので! それに、全部は聞かない。知る言葉だったから聞いただけ……」


 徐々に少女の語気が失われていく。少々わかりづらい彼女の話を『全部を聞いていたわけではない。知っている単語だったから聞き取れただけ』と解釈すると、どうやらアコール語が母語ではないようだと二人は察した。田舎のほうには訛りもあるので、こちらの言葉が通じて、相手の言っている意味がわかれば指摘するほどのことではない。


「俺たちが冒険者だったら、何か用?」

「東のほうで来たんでしょ。人を探してるので聞きたい」


 ウェストールから見るとサースロッソもセントアコールもガラクシアも東なのでかなり大雑把な分類だが、一応東側から来たことに違いはない。


「探してる相手が冒険者ってこと?」

「そう!」


 伝わったことが嬉しいらしく、少女はパッと顔を明るくした。初めて年相応の愛らしい笑顔を見せたが、うっかり喜んでしまったことに気付いてすぐに表情を引き締めた。


「俺たちも、他の冒険者のことは詳しくないけど……。名前はわかってるのか?」

「うん、わかる! 『アストラ』!」


 あまりにも聞き慣れた名前が出てきた。面倒事に巻き込まれる気配にノクスは再び眉をひそめて固まり、ナーナはちらりとその横顔を見た。また少し背が伸びた気がすると、全然関係ないことを考えた。


「知りますか? 魔術がすごい強い」


 少女は期待に満ちた表情でノクスとナーナを交互に見る。


「知ってる。……ここで立ち話するのは良くない。とりあえず俺たちの部屋に行こう」


 デッキは他の乗客も出入りする場所だ。皆がこの少女のように耳が良いわけではないが、お互いに深い話をすべきではないだろう。正直に話すかどうかは彼女の事情次第ということで、ひとまず客室に向かうことにした。




 藍髪の少女は、一等客室の上質なソファーにちょこんと座って膝の上で手を握りしめ、ガチガチに緊張していた。

 高速船は半日乗ると言っても夜を明かすわけではないので、ほとんどの冒険者は乗船料だけを払い、誰でも自由に使える共用スペースで過ごす。部屋を取るのは商人か貴族だが、商人もよほどの豪商でなければ二等以下だ。仮眠を取るには身体が休まりすぎるふかふかのベッドが二つ並んだ部屋と、来客対応ができるリビングルームに分かれた一等客室の煌びやかな様子に、目がチカチカしていた。


「アンタ、名前は?」


 対面に座ったノクスは少女に話しかけようとして、名前を聞いていなかったことに気付いて訊ねた。が、少女は視覚から入ってくる情報の多さに泡を吹きそうになっている。ナーナは静かにお茶を淹れていた。


「聞いてる? それとも言葉がわからない?」

「はっ、はい! あ、えと、レイヤ! ……です。レイヤ・レフラ……と言うます」


 話しかけた相手が冒険者ではなく貴族だったこと、そしてその貴族に慣れないアコール語で無礼を働いてしまったことに気付き、レイヤは青くなっていた。アストラのことがわかると思ってホイホイついてきてしまったが、このまま処罰されるのでは。そんな顔をしていた。


「もしかして、私たちが一等客室を借りられる身分だということに萎縮しているのではないでしょうか」

「ああ、そういうことか」


 怯えた様子をしている理由に納得している間に、ナーナは三人分のお茶をテーブルに置いてノクスの隣に座った。


「レイヤ。俺たちは別に怒ってないし、無理に敬語を使わなくていい。アストラを探してる理由が知りたいだけだ」


 レイヤが聞き取りやすいよう、ノクスは少しゆっくり話す。するとレイヤは自分に気を遣って話してくれていることから害意がないことを察し、ようやく肩の力を少し抜いた。


「でもわたし、アコール語話すが下手」

「どうせ暇だし、ゆっくり話してくれ。さすがに船が陸に着くまでには話し終わるだろ」


 なにしろ西に着くのは日暮れの頃だ。大陸の歴史を一から語るわけでもないのだから、長くても昼食前には終わるだろう。ノクスは促し、レイヤは遠慮がちに頷いて話し出した。

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