第4話 王子は弟を勝たせてやることにした
迷宮の内部は、外からは想像できないほど広い。失われた古代の魔法技術はどんな仕組みなのか、現代の魔術師たちは未だに解明できていなかった。
「洞窟みたいな場所を想像してましたけど……。なんだか、神殿みたいですね」
ラノのお供の一人、普段はメイドをしているすばしっこそうな女が言う。
彼女の言う通り、アコール王家の迷宮は明らかに人の手によって作られた建物の内部を模していた。
「ま、歩きやすくていいですが。ラノ様、早く行きましょう」
ノクスを一番ナメている庭師が、またしても嫌らしい視線を向けてからラノに言った。
「うん。……それじゃノクス、また後で」
「ああ、気をつけてな」
そんなやりとりを最後に、お供に引っ張られるようにして、ラノは先行していった。
声が聞こえなくなると、ノクスはため息をつき、腕組みした。
「さて」
「……ラノ様に、核を譲るのですね」
ナーナがぽつりと言う。
「もちろん。俺にはイースベルデは荷が重い」
ノクスは当然のように頷く。
誰にも期待されていないし望まれていないのに、人望のある弟を蹴落としてまで成り上がるような気概は持ち合わせていない。
「棄権は許しませんよ。ラノ様にも怒られます」
即座にナーナが先手を打った。
「なるほど、それで付いてきたのか」
危険なことをしないようにというのも本心だが、どちらかというとサボらせないためのお目付役だった。
「わかってるよ。どうせ一階層は魔物も出ない。のんびり行こう」
「魔物が出ない……? どうして、そんなことがわかるのですか」
散歩のような足取りで歩き出すノクスの後ろを追いながら、ナーナが訊ねた。
「迷宮なんて、大体そういうもんだろ? 下に行くほど、魔物の強さも密度も上がっていくんだ」
「いえ、そうではなく。……どうしてノクス様は、迷宮の仕様をそんなにご存知なのですか」
「……」
言い訳を考えて泳いだ視線を、黒い瞳がジトッと追いかけた。
ラノには小さい頃から文武共に熱心な教育係が付き、つい先日まで貴族学校にも通っていたが、ノクスにはまともな教育が与えられなかった。と言うのも、誰もが忌み子の側に寄るのを嫌がり、教育係を辞退したせいだ。
しかし、さすが双子と言うべきか、ノクスはラノ同様に物覚えが良い。加えて、少し臆病なラノよりも好奇心が旺盛な性格だった。
時にはラノが習ったことを教えたり、部屋にノクスを隠して一緒に授業を聞かせたりもした。文字を覚えてからは書庫に籠もって本を読んだり、食事中にパスカルを質問攻めにしたりして、勝手に学習していった。
「いつ家を追い出されるかわかったもんじゃないだろ。知識は付けておいて損はない」
「……時々お屋敷を抜け出してどこに行っているのかと思っていましたが、まさか」
「ちょっと見物しに行っただけだって。後学のためにさ」
もしかしたら、跡目争いの火種になることを恐れた誰かがエドウィンをそそのかし、追放や幽閉の憂き目に遭うかもしれない。そうなったら逃げ出して冒険者にでもなろうと考え、ノクスは不定期に予行演習に繰り出していた。ついでに欲しいものを買うための資金調達にもなって、一石二鳥だ。
「ラノ様が『ノクスには強いお供は必要ない』と仰っていた意味が分かりました」
「そんなことを言ってたのか。相変わらず買い被られてるな」
勘の良い弟は、兄が何をしようとしているのかうっすら気付いているようだった。口に出すことはないが、止めることもない。
「そういうラノだって、剣術の腕はかなりのものだ。実力で最下層まで行けるさ」
天使のような愛らしい外見に惑わされて、地面を舐めた兵士は少なくない。
「ま、しばらくは魔物よりも――」
ノクスは不意に、ナーナの腕を引いた。
「人間に気をつけたほうがいいかもな」
抱き留めた瞬間、キン、と小さな音がして、一拍前までナーナがいた場所に細い光線が走った。
「なっ」
さすがのナーナも驚いて声を上げる。
床には庭師がよく使う、害虫や害獣を駆除するための簡単な罠が仕込まれていた。魔術の心得のある者ならちょっと見ればわかる、杜撰な工作。
「曲がりなりにも王族の俺を、害虫扱いとは良い度胸だ」
ノクスはフンと鼻で笑った。
「工作しないと、ラノが俺に追い越されるとでも思ってるのか。主人の実力を信用してないのも残念だ」
「……出世に貢献したという実績が欲しいのかもしれません」
「不必要な妨害は、むしろ評価を落とすだけだろ」
「ええ、きっちりと報告いたします」
従者を連れる理由は、戦力の増強だけではない。お互いが不正をしないか監視するためでもあった。仕事に忠実で信用度の高いナーナの報告は、かなり響くはずだ。
「威力は大したことないけど、数が多い。全部解除するのは面倒だし、なるべく俺が踏んだ場所を同じように踏んでくれ。俺のせいでナーナが怪我をするのは嫌だ」
「承知しました」
抱いていた肩から手を離し、ノクスは先に進む。その後ろを追いながら、ナーナはじっとノクスの背中を見つめていた。
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