第3話 王子はメイドと迷宮に挑むことにした

 それから三日後。ノクスは、アコール王家が管理する迷宮の前にいた。


「競争、ねえ……」


 真新しい革鎧と剣、そして背中に弓を携え、ノクスは小さくため息をつく。


 少し離れたところにいるラノの周りは、随分と賑やかだ。


「ラノ様、頑張りましょうね!」

「ラノ様の剣の腕なら、こんな迷宮なんて一瞬ですよ!」


 三人まで選んでいいことになっている従者たちが、やんややんやと囃し立てている。争い事が苦手なラノ本人は、曖昧に笑うばかりだ。


「ていうか、負けなければいいだけですから。余裕ですよ」


 こちらを見て囁く、ひょろりとした日に焼けた男。普段は庭師をしている奴だ。ラノが少し悲しげな顔になったことに、誰も気付かない。


 一方のノクス陣営はというと、


「うーん、清々しいほどの人望のなさ」


 思わず笑ってしまった。

 元々誰かに声を掛けるつもりもなかったが、まるで周囲に見えない壁でもあるかのように、ノクスの周りは広々としていた。

 唯一側にいるのは、


「ナーナ、あっちに行かなくていいのか?」


 いつも隙なく結い上げている真っ赤な髪を、今日はポニーテールにしたナーナ。


「人手は足りているようですので」


 吸い込まれそうな黒曜石の瞳は、いつも通り落ち着いている。


 彼女の言う通り、ラノの側仕えは常にポジションの奪い合いだ。

 アコール王国では、基本的に男子にしか家督の継承権がない。故に――下世話な話になるが、女性たちはより高位の貴族の側仕えをして、主人や息子の手付きとなり、実家とのパイプとなることを望まれていた。


 女性の立場の向上と自由が叫ばれるようになり、徐々にそんな風習も変わりつつあったが、ガラクシア公爵家の場合は様子が違っていた。


「ラノ様! お茶はいかがですか?」

「ラノ様、襟が曲がっていますわ! お直しいたします」

「ラノ様、こちら実家から届いたお菓子です。道中でお疲れの時に食べてください」


 何しろラノは、容姿、性格、実力、家柄の全てが揃った最上級物件。もし気に入られれば、ゆくゆくは国内で王家に次ぐ権力を持つ公爵家の夫人だ。

 故に年頃のメイドたちは、聞いてもいないのにナントカ爵の何番目の娘だとか、実家にはどんな特産品があるから今度プレゼントしたいとか、自己アピールに余念がない。ラノが引いているのにも気付いていないほど熱心だった。


 そんな中、冷徹で出世意欲の低いナーナはいつもその輪から離れ、ノクスの世話を焼きに来る。もはやノクス専属のメイドと言ってもいい。


「もう一回確認するけど、本当に付いてくる気?」


 彼女は普段の使用人の制服ではなく、動きやすく頑丈な布地のパンツスタイルだった。魔物の討伐や迷宮の攻略を生業とする、冒険者と言われる人々の格好。


「ノクス様が危ないことをしないように見張ってほしいと、ラノ様が」


 面倒事を好まないナーナがどうして忌み子の従者に立候補したのかと思いきや、過保護な弟の差し金だった。


「簡単な迷宮って言っても、多少は危険だぞ?」

「護身術の心得はございます」


 確かにガラクシアの使用人は、有事の際には戦闘員になれるよう訓練を受けている。本人の言う通り、普段はロングスカートに隠れて見えないナーナの脚には、きちんと実用的な筋肉が付いていた。


「忌み子のお供なんて、想定外のトラブルに見舞われる可能性もある」

「その時は腹をくくりましょう」


 ナーナの頑固さと胆力の強さは、普段から周りの陰口を一切気にせずノクスの世話を焼いていることからも周知の事実だ。彼女がそうすると決めたなら、覆すことはない。


「仕方ない……。くれぐれも気をつけて付いてくるように」


 結局、ノクスのほうが折れた。


「ノクス様の足手まといにならないよう尽力いたします」


 頷くナーナ。足りない装備があれば今のうちにと思い、ノクスは彼女の装備を再度確認した。


「使えない武器は荷物になるだけだし、まあ、短剣一本でいいか」

「魔術は威嚇程度にしか使えませんが、回復薬と包帯、それから念のために攻撃魔術のスクロールを用意しました」


腰のポーチを開けて中身を見せるナーナ。ノクスが自身を戦力として数えないことを分かった上で、自分の身を守る道具と、怪我をした時の対策をきちんとしている。


「なら、十分かな」


 ノクスは頷きながら、屋敷ではまず見ることがないナーナの格好が新鮮で、引き締まった身体をつい眺めてしまった。いつもより存在を主張する胸元に視線が移動したところで、ジトッと見つめられて慌てて逸らした。


***


 ラノの初陣とあって、迷宮前の空き地は祭りの様相すら見せていたが、


「定刻だ」


 叫ばずともよく通るエドウィンの声で、急速に緊張が高まる。


「今回は、同時に二人が成人の儀を受けるという特殊なケースだ。核を手に入れられなかったほうも、最深部まで辿り着ければ、成人の儀の用件を満たしたこととする」


 その言葉で、にわかに周囲がざわついた。使用人たちはてっきり、核を取って来られなかったほう――即ち忌み子の兄は、これを理由に王位継承権を剥奪されるものだとばかり思っていたのだ。


「両者、全力で取り組むように。それでは、位置に付け」


 言われた通り、ラノとノクスは迷宮の扉の前に立った。


「用意、始め!」


 時計を手にした父の号令で、二人はそれぞれ、重い足取りで迷宮へと足を踏み入れた。

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