第106話 魔術師は反省した

 休憩を多めに挟みながら登りよりも時間をかけて山を下り、肩に乗る竜を魔術の重ね掛けで隠して冒険者組合に戻った時には、既に日が暮れていた。

 ところが、


「ウルバンに至急で連絡することは他にあるか!」

「道の整備はどれくらいでできる!?」

「役場行ってきます!」

「明日中に集められそうな冒険者、リストアップしました!」

「支部長、ここの予算なんですけど!」


 普段ならとっくに閉まっている時間にもかかわらず室内は活気に溢れ、職員全員が走り回っていた。依頼の完了手続きをしてもらいたいだけなのだが、あまりにも忙しそうで声をかける相手が見つからない。帰還して間もないレフラ支部長も、早速声を張り上げて指示を飛ばしていた。


「……出直した方がいいかな」

「そうですね……」


 三人とも疲れていることだし、今日は休んで詳しい報告は明日に回してもいいかと頷き合う。支部長宛に『浄化は済んだ。明日の午前中にまた来る』というメモを書いて通りすがりの職員に言付けると、入ってきたばかりの扉からそっと外に出た。


 一年ぶりに実家のベッドで眠るレイヤと別れ、教えられた宿に向かう。ノクスの言いつけを守り、町に着いてからも大人しくしていた竜にベッド代わりの毛布を出してやると、しばらく匂いを嗅いだり前足で踏んで柔らかさを確認したりした後、満足して丸くなった。


 汗を流してようやく人心地ついた気分になり、ノクスはベッドに転がった。


「すっかり二人部屋が定着しましたね」

「えっ。あ、ああ、確かに」


 ナーナと同じ部屋で寝ることをまた意識する羽目になり、途端に隣のベッドに座っている彼女のラフな格好が気になって視線が泳いだ。


「家に帰っても、寝室を一緒にしてもらいましょうか」

「いやっ、さすがにそれは……。部屋が狭くなったら不便だろ……」


 寝るときにナーナがいないと落ち着かない身体になってしまったのはシシーの屋敷で自覚したので、本当は願ってもない申し出だった。しかしいろいろと取り返しが付かなくなりそうな気がする。やんわりと断ると、


「そうですか」


 思いのほか簡単に引き下がったナーナは、何やら満足そうだった。




 治癒魔術を使わずに山を下りて久しぶりにしっかりと疲れていたノクスは、いつもより早く寝息を立て始めた。しかし、


「あら?」


 防御障壁が発動しない。そろりと手を伸ばしてみると、簡単に触れられた。


「まあ」


 全身を覆う障壁の発動が地味に魔力を食うことを、自分で発動できるようになったことでナーナも知っていた。物理的な防御力を捨てて日差しを遮るだけでも消耗するのだから、多機能で高耐久なら尚更だ。竜に結界対策をしたせいで余計に足りなくなったのかもしれない。


「……」


 ナーナは考えた。添い寝は以前痛い目を見たので疲れている今日はやめておくが、この珍しい機会を逃すのは惜しい。とりあえず枕元に座り、そっと髪を撫でた。ノクスは起きない。

 起きている時よりも幼く見える顔をじっと見つめた。半ば冗談で寝室を一緒にしようと言っても、部屋の広さのせいにしただけで嫌だとは言わなかった。それ以外にも、最近は特にふとした瞬間の言い方から自分を好いてくれているのだと感じる。

 ――呪いさえなくなれば、彼が自分との間に引いた線は消え失せるはずなのに。


「もどかしいですね、本当に」


 未だに得体の知れない呪いにだんだんと腹が立ってきたナーナは、呪いのことがあるにしても一言も好きだと言ってくれないノクス自身にも不満が募ってきた。やはり少しくらい何かしてやろう。少し考え、


「……」


 ノクスに預けずにいる少ない荷物の中から、あまり量の減っていない口紅を取り出した。


***


 翌朝、顔を洗いに行ったノクスは、


「うわっ、何だこれ!」


 鏡に映った自分の顔を見て声を上げた。


「ナーナ!?」


 完全に目が覚めた様子で慌てて洗面所から出てきたノクスの頬には、可愛らしい色のキスマークが付いていた。


「さすが、最新の化粧品は簡単に落ちませんね」

「そうじゃなくて!」

「私のほうから頬にキスする分には問題ないこともわかりました」

「いや、あの……」


 寝ている間にキスしたことを改めてはっきりと言われ、ノクスはその場に顔を隠して屈んだ。久しぶりに耳まで真っ赤になったのを見て、やはりこうでなくてはとナーナは大きく頷いた。


「ていうか、俺の障壁は?」


 ひとしきり悶々とした後、ようやく落ち着きを取り戻したノクスはハッと気付く。


「発動しませんでした。それで少しいたずらを」

「あの障壁に使う魔力の量は、昨日残ってた分じゃ足りないってことか。発動できたとしても一晩保つかわからない。もう少し少ない量で発動できるように改良が必要かな……」

「ノクス様?」


 『いたずら』の部分に反応せず魔術に関する考察を優先したノクスを見て、ナーナはギリギリまで顔を近づけてジトッと見つめた。ノクスが顔を上げると鼻先が触れるかどうかという距離にナーナの顔があり、


「っ!」


反射で後ろに引いたところで唇が頬に残った色と同じ色をしていることにようやく気付き、内心でものすごく狼狽えた。ナーナは狼狽えていることに気付いていた。


「組合に報告に行くのですよね? もうすぐレイヤが迎えに来ます。障壁の改良は後にしましょう」

「はい……」

「口紅も落として差し上げますからじっとしてください」

「はい……」


 ノクスはされるがままに顔を拭われながら、ナーナに心配をかけることと、彼女の前で魔術について考え込むことはほどほどにしようと反省した。

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