第90話 魔術師は西の冒険者の頼みを聞くことにした
「ええと、アストラに頼みことがある」
レイヤはつっかえつっかえ話しはじめた。
彼女は例の竜が住み着いた銀鉱山で栄えていた町の出身で、竜のせいで活気がなくなった町をどうにかしたい。
冒険者になって腕を磨き、竜を討伐しようと考えたが、冒険者組合の職員ですら生まれた時から自分のことを知っているため、討伐依頼を受けることを止められてしまった。
「依頼を受けずに討伐しに行ってはいけないのですか?」
ナーナが首を傾げる。
「山に勝手に入ると、罰がある……」
案の定とっくに試していたレイヤは当時のことを思い出し、目を伏せてしょぼくれている。
「入るだけで罪に問われることがあるのですか」
「封鎖されてる地域に許可なく入れば、そういうこともあり得る。竜とか吸血鬼クラスは、下手に刺激すれば災害になるから」
アイビーが友好的なせいで軽く考えがちだが、上位の魔物というのは太古には神として祀られていたこともある。お互いに不可侵を守るのが一番平和的なのだ。
「それで。なんでそれが、アストラを探すことに繋がるんだ」
「支部長がそう言った」
どうしたら竜の討伐に行かせてくれるかと組合の支部長に掛け合ったら、『噂の赤五つの魔術師でも連れてこい』と言われたらしい。そこで町を飛び出してアストラの目撃情報がある首都に向かい、更に痕跡を辿ってサースロッソに下り、組合の記録でシシー方面に向かったところまで突き止めた。
シシーで痕跡は途絶えたが、もしかすると一筆書きにウェストールに渡ってから首都に戻るのかもしれないと思い、高速船に乗ったという。
「ここで見つからなかったら、諦めると思った……」
話を聞き終えて、ノクスとナーナは顔を見合わせた。アストラの噂を知っている組合職員なら、拠点がどこにあるのかもわからず運良く出会えたところで依頼を選り好みするという、言わば博打度の高い人材だということはわかっているはずだ。もちろんアストラが好んで引き受ける難易度の高い赤の依頼にも関わらず銀鉱山の竜を討伐しに来ないということは、直接頼み込んでも断られる可能性が高い。無理難題を吹っかけてレイヤを諦めさせる口実だったことは間違いなかった。
「……」
自分がおとぎ話に出てくる気まぐれな妖精のような扱いをされているのは一旦脇に置き、ノクスは少し考える。
レイヤは話し方のせいで幼い印象を受けるが、一人で冒険者をしてきた腕を持ち、考え方もしっかりしている。推理は外れたものの結果的にこうして神出鬼没の魔術師に辿り着いたのだから、もはや執念と言っていい。
ノクスは腕組みし、彼女に正体を明かして頼みを聞くことのメリット、デメリットを天秤にかけた。
ナーナと一緒に認識阻害の帽子を被っていればよかったが、既に顔は知られてしまった。レイヤは今のところノクスの顔に心当たりはないようだが、いずれどこかでラノの写真を見て勘付くこともあるかもしれない。アストラとノクスが結びついてしまったら厄介なことになる。
しかし、銀鉱山の竜の存在はいつか片を付けようと思っていた問題だ。ノクスもナーナも西側には土地勘がないので、案内役がいると何かと便利ではある。
「そういえば……。ウェストールって、アコール語を使わないところが多いのか?」
「山のほうはそう。アコールに入るが遅かった。若い人はすこし使う」
ナーナも頷いた。
「鉱山の周辺は、長らく緩衝地帯になっていたと聞いたことがあります」
隣国との境目に鉱物が採れる山があるとなれば、揉め事の種になっていて当然だった。百年ほど前にようやく決着がついたそうだが、今でも町ごとに独特の文化が残っているという。となると、情報を集めるには通訳がいる。
「アストラのこと、知るって言った……。教えてほしい」
口止めにどれくらい効果があるかわからないが、約束を破るタイプではなさそうだという第一印象を信じるしかない。最終的にはレイヤの縋るような目に促される形で頷き、深いため息をついてから口を開いた。
「おめでとう、俺がそのアストラだよ」
レイヤはきょとんとした顔で首を傾げ、『おめでとう』は確かお祝いの意味だった、と前半部分から徐々に理解し、
「……へ?」
時間差で裏返った声を出した。が、ノクスはそれ以上説明せず、壁の時計を見上げた。
「そろそろ昼だな。続きは食べながら話そう」
「え? えと……」
ノクスは混乱しているレイヤを放置して立ち上がると、マガジンラックに刺さっていたメニュー表を取りに行き、ソファーに座り直して開いた。ナーナが横から覗き込んだ。
「さすが、いろいろあるなあ。ナーナは何がいい?」
ランチコースは牛肉と鶏肉、魚介の三種類。その他単品メニューに果実のジュース、酒類とおつまみ。乗客は誰でも注文できるそうだが、値段を見るに、明らかに二等客室に乗れる人間までが対象だった。
「では、鶏肉のコースを」
「俺は魚介にしようかな。レイヤはどれがいい」
「えと、えと……」
メニュー表を見せられたが、単品メニューですら普段の宿代より高い。一応食料は持っているし、しかし断って機嫌を損ねても、とおろおろしている様子を見て、
「奢るから値段は見なくていい。その分、ウェストールでガイドをしてもらう」
ノクスは付け加えた。
「じゃあ、牛のを……」
レイヤは遠慮がちに、しかしせっかく奢ってもらえるなら普段食べられないものを、という冒険者らしい厚かましさで選んだ。
廊下に控えている一等客室専用の従業員に三人分の食事を注文すると、一礼して速やかに去っていく。
それから食事が運ばれてくるまでの間、レイヤはずっとそわそわと室内を見回していた。
「アストラは冒険者? 貴族?」
「レイヤが信用できそうなら話す」
「わかった……」
ほどなくして部屋のドアが丁寧にノックされた。レイヤは運び込まれる食事の豪華さに思わず目を輝かせたが、ハッと我に返り、平然としているノクスとナーナを見て、同じように当然のようなふりをした。
「サースロッソの味と違う。油の種類かな」
「はい。それに、胡椒や香草をよく使うのが西の味付けなんです」
チキンステーキも鮭のムニエルも、あっさりとしているが薄味というわけではなく、中までしっかりと味が染みていて香草の風味が豊かだ。レイヤは見よう見まねで目の前の二人と同じようにナイフとフォークを使ってみるが、食べ辛そうにしている。
「好きに食べればいいよ。誰も見てないんだし」
ノクスはそう言って付け合わせのポテトを手づかみし、ムニエルのソースに付けてから口に放り込んだ。レイヤはそれをぽかんと口を開けて見た後、
「ふふっ!」
ようやく緊張がほぐれた様子で笑い、ナイフとフォークを逆に持ち替えて食べ始めた。どうやら左利きらしい。
「……」
ナーナもポテトのソースディップに興味があったが、ノクスに行儀が悪いところを見せるのが憚られ、我慢して静かに食べた。
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