第30話 王子は巨大コウモリを射落とした
首都とサースロッソの間には、さほど高くない山脈が寝そべっている。
高くないと言っても山は山だ。緩やかに蛇行する坂道が通行人の体力を奪い、平坦な道を行くよりも時間が掛かる。
「さすがにこんな道に石畳を敷くわけにはいかないか」
辛うじて道は作ってあるものの、平地の街道とは違い、馬車がようやくすれ違える程度の幅しかない。
すれ違う人影もまばらな中、二人は言葉少なに山の中腹にある宿場を目指して進んだ。
「ナーナ、大丈夫?」
定期的に休憩を取って治癒魔術をかけてはいるものの、延々と続く坂道は登るだけで息が上がってくる。ノクスは度々ナーナを気遣った。
「登りだけでも、馬車を使えば良かったかな」
ノクスはあまり馬車が好きではなかった。車内は狭いし、よく揺れるので乗り心地が悪い。大荷物を運ぶわけでもなし、徒歩とそう変わらない速度しか出ないのなら、歩いたほうが気楽だというのがノクスの感覚だった。
「構いません。思っていたより楽しいです」
ノクスの心配をよそに、ナーナは首を振った。
治癒魔術をかけるために足に触れるノクスは何度やっても遠慮がちでいじらしく、下を向く時に見えるつむじを思わずわしゃわしゃと撫でたくなる衝動をじっと我慢していた。
「そう? 今日は宿場で休めると思うから、もう少し頑張ろう」
柔らかい微笑みのせいでわしゃわしゃしたい衝動がより高まり、ぐっと堪えた。
「ごめん、くすぐったかった?」
「……いえ、大丈夫です」
己の足の感覚を忘れていたナーナは、不意にくすぐったい感覚を取り戻してまた堪えた。
*****
夜は魔物が活発になるため、日が傾き始めると人々は道を急ぐ。だが、
「魔物だ!!」
あと十分も歩けば次の宿場に着くという夕暮れ時、ノクスたちの背後から叫び声がした。振り返ると、三人ほどの人影が一目散に走ってくる。
「おい、アンタたちも走れ! 飛竜だ!」
ノクスたちよりも少し年上に見える冒険者たちだった。
「飛竜? 宿場の近くなのに?」
竜種は幼体でも多少の知能があり、人里を好まない。こんなところに現れるわけが、と見上げると、赤く染まった空には確かに羽の生えた黒い物体が数匹飛んでいた。
「何してんだ、早く逃げろって!」
手で庇を作り、羽の生えた魔物をじっと観察するノクスと、その後ろでノクスを観察するナーナ。
「おい! 食われちまうぞ」
「うるさい。あれは飛竜じゃないよ。コウモリだ」
「……コウモリ?」
言い合いをしている間にその輪郭がはっきりしてきた空飛ぶ物体は、確かに巨大なコウモリだった。五匹ほどの群れで、うち一体は特に大きい。胴体だけで人間の大人ほどのサイズがありそうだった。
「スパイキーバット。どっちにしろ、普通はこんなところには出ない魔物のはずだけど」
名前の通り鋭利なトゲを持つ巨大コウモリは、本来ならもっと西の高い山に生息している。怪訝そうに首を傾げながら、ノクスは魔術収納から弓を取り出した。
「まあいいや、調べればわかる」
緩い姿勢から放たれた矢は次々と黒い翼を射抜き、コウモリたちは甲高い悲鳴を上げながらバランスを崩して落ちていく。
突然の事態に、冒険者たちは逃げることも忘れてぽかんと口を開けて固まっていた。
「落ちた奴は俺が見てくるから、アンタたちは町に行って組合に報告!」
ノクスが指示を出すと、ぼんやりしていた冒険者一向は慌てて動き出した。
後ろ姿を見送ると、ノクスは一番大きなコウモリが落ちたほうに向かう。元々群れで行動する魔物だが、明らかに指令役のような個体がいるとなると、ドットスパイダーのように変異を起こしているか、上位種の可能性があった。
「あれ?」
しかしそこに巨大なコウモリの姿はなく、
「にゃあぁぁあ! 服が破れたのじゃー!?」
ノクスよりも年下に見える金髪の少女が、穴の開いた黒いケープコートを見て涙ぐんでいた。
「あ! さっきの矢はおぬしじゃな!? いきなり撃ち落とすとは無礼な奴め!!」
ゴテゴテとしたフリルたっぷりの服を着た少女は、ノクスを見ると指を差した。
「……」
「……」
ノクスとナーナは、状況が飲み込めずに固まった。
「おい! なんとか言わんか! わらわの服を台無しにしよって!」
金髪の少女がキャンキャンと喚く。なんとなく察しはつきつつも、ノクスは棒読みで白々しく言った。
「……おかしいなー、俺が撃ち落としたのはコウモリのはずなのに、なんでこんなところに女の子がいるんだろう」
すると少女は、
「はっ」
自分の失言に気付いたようで慌てて小さな口を押さえた。
「そ、そうじゃ! わらわはこの近くに住む可愛い人間のおなごじゃ! 矢で撃ち落とされたコウモリなぞ知らぬ」
目を逸らし、口の辺りに握りこぶしを添えてうふふと可愛らしくぶりっこしてみせる。
「知ってるか、本物の人間は自分で人間って言わないんだよ」
いつでもぶつけられるように小さく凝縮した風の球を準備するノクス。すると少女はあわあわと腕を前に出し、顔を庇った。
「な、なんでじゃ!? わらわは供を連れてちょっと散歩しておっただけじゃ! まだ何もしておらぬ!」
「まだ?」
「はっ!」
自称人間の少女は、再び口を押さえた。間の抜けた会話にどうしても警戒心が緩んでしまう。
「……ノクス様。彼女も、魔物ですか?」
ナーナがそろりと口を挟んだ。ノクスは頷く。
「たぶん。コウモリに化けられるってことは、吸血種か?」
すると少女はまだ涙目のまま立ち上がり、ふんすと胸と虚勢を張った。
「バレてしまっては仕方ない! 我が名は誇り高き魔族アイビー! ぬしらの言うところの吸血鬼じゃ!」
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