第60話 魔術師は貴族の魔族と対峙した

 仕事を終えたノクスがサースロッソに戻ると、組合の前が何やら騒がしかった。人垣を横目に見ながら通り過ぎ、裏手の報告窓口へ向かう。


「指名依頼の完了報告だ」


 いつも通り最低限の会話だけで、冒険者証と依頼書二枚をカウンターに置いた。


「ええと、北側で目撃されたベアー種の討伐と、東側のゴブリンの集落の掃討ですね。完了者は、――アストラ様?」


 これまたいつも通りに受付の職員が冒険者証を確認して顔色を変えている間に、ブラックベアーをドスンと地面に下ろす。と、


「お、お待ちください! まさか討伐したゴブリンを全て積み上げるつもりですか!」

「ダメか」


 察しのいい職員に慌てて止められ、ノクスは舌打ちした。


「とりあえず一匹だけで大丈夫です、アストラ様のお仕事の速さと正確さはお聞きしておりますので……」


 言いながら、任務の受注日がほんの三日前なことに気付いて「いや早すぎだろ」と思わず口から出かけた職員だったが、頬の裏を噛んで堪えた。どんな魔術を使ったのか検討も付かないが、確かに目の前には大型のブラックベアーが横たわっているのだ。


「群れをまとめてたのは、ゴブリンシャーマンだった」


 職員の妙な表情を怪訝に思いながらも、ノクスは言われたとおりに一匹だけ引きずり出す。獣の皮をローブ代わりにした、細身のゴブリン種だった。


「ゴブリンシャーマンですか? 珍しいですね……」


 普通のゴブリンよりも魔力の保有量が少し多く、魔法を使う知能がある。数体のゴブリンが群れているだけなら人間のごろつきよりも弱いが、集落を作っていて、ボスがシャーマンだったとなると、一般人や駆け出しの冒険者パーティーが遭遇したら、容易に命を落としかねない。


「ベアー種はまあ、あんなところまで行く人間はそういないだろうから目撃情報が少なくても仕方ないけど……。ゴブリンのほうは、あの規模なのに報告されたのが一週間っていうのは、腑に落ちないな」


 職員に止められていなければ、ざっと三桁に届きそうな数のゴブリンの亡骸が広場に積まれているところだった。どちらにせよ後で処理担当が泣くことになる。


「ええ、それは我々も少し不審に思っていたところです。まるで急に出現したみたいで」

「……この目撃情報、持ってきたのは誰だ」

「私ですよ」


 聞き覚えのある声がして振り返ると、仕立ての良い首都貴族の服を着た眼鏡の優男が立っていた。


「てっきり、正面の入り口にお越しになると思って待っていたのに。なるほど、赤の報告窓口はこちらなんですね」

「……」


 従者を連れ、広場に横たわる熊をしげしげと眺める貴族風の男――得体の知れない魔族のケイを、ノクスはフードの下で睨み付けた。


「お初にお目にかかります、アストラ様。私はケイ・スタイン。ただの首都貴族です」

「……何の用だ」


 先ほど表で見た人垣は、アストラの帰りを待っている彼らを、民衆や他の冒険者が物珍しげに見ていたものだったらしい。目の前に立っていても、本当にただの人間にしか見えない。ノクスよりもよほど人間社会に馴染んでいた。


「護衛の依頼を断られてしまったものですから。こうして直接お願いに参ったのです」

「アンタなら、護衛なんかいらないだろう」


 内容も聞かずに切り捨てた青の依頼も、ケイの仕業だったらしい。サースロッソの結界をものともしない、アイビーよりも強い魔族に人間の護衛など必要なわけがない。


「おや? 私のことをご存知なのですか?」

「知らない。それだけたくさん従者がいるんだから、俺の護衛なんか必要ないだろうって言ってるんだ」

「なるほど」


 腹の内がわからない白々しい笑顔。人間のノクスにだって他者の魔力が探知できるのだ。魔族のケイが、ノクスとアストラの魔力が同一であることに気付いていても何らおかしくはないが、組合にバラすつもりはないらしい。


「それで。どうして首都から来たアンタが、東側の山にあったゴブリンの集落のことを知ってる」


 ペースに飲まれてはならないと、話を戻した。いくら赤五つとは言え、貴族に敬語も使わず話しかける冒険者に職員がハラハラしているが、ケイはにこやかな微笑みを崩さず答える。


「正確には、私の従者が発見したのですよ。慣れない街に滞在する私に危険が及ばないように、街の外まで常に警戒してくれておりまして」


 つまり、ゴブリンの集落はケイが作ったとみて間違いない。おそらくは、難易度の低いベアー討伐の依頼も。


「主が偉いと、従者も大変だな。何度頼まれても、護衛は断る。……早く完了の処理をしてくれ」

「は、はい」


 この場から逃げる口実ができたと言わんばかりに、職員は急いで奥に走っていった。


「それで。本当は何の用だ」

「嫌われていますね。……情報を持ってきたのですよ。貴方が欲しているものです」

「え?」


 細められた目からは何の情報も感情も読み取れない。この男はどこまで知っているのだろうかと、ノクスは警戒を強める。回りの従者には顔色を変えないものと、何の話だと怪訝そうにしている者がいた。前者は魔物としての眷属で、後者は貴族としての彼に付いているただの人間ということだ。


「三十年ほど前にも、呪いが発現した人間がいました。サースロッソの西側の山を越えた先にある街の、小領主の息子です」


 懐に手を差し入れたケイを見てノクスは身構えたが、出てきたのは丁寧に折り畳まれた紙片だった。行儀良く差し出されたそれを、魔法の類いが掛けられていないことを確認してから受け取る。


「私は貴方の敵ではありません。信じるかどうかはお任せしますが」


 最後にそれだけ言うと、ケイは「それでは」と恭しく礼をして去っていった。

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