第27話 一方その頃弟は長旅で疲れていた

 首都に来て三日目の朝、ノクスとナーナはジェニーに別れの挨拶をするため、再び図書館を訪れた。


「もう行くのかい? せっかく家を出たんだから、一ヶ月くらい首都で遊んでいけばいいのに」

「ナーナをサースロッソに送り届けなきゃいけないから、そんなにゆっくりはしてられないよ」


 サースロッソまでは、首都から一ヶ月ほど南下する道のりだ。首都にひと月も滞在していたら、季節が変わってしまう。


「それに、あんまり長居すると面倒事に巻き込まれそう」


 昨日冒険者組合で出会った男のこともあるが、何よりもこの街は、現国王の直下だ。エドウィンは騎士団を指導するために一年の半分以上を首都で過ごしているし、第二王子の信奉者には殺されそうになったこともある。あまり居心地のいい場所ではなかった。


「そうか……。まあ、またいつでも会えるからね。引き続き呪いについての調査は進めておくよ」

「うん、ありがとう」


 名残惜しそうなジェニーがノクスを抱きしめるが、今度はナーナは嫉妬しなかった。

 それじゃ、とノクスは手を振り、ナーナも美しくお辞儀をしてから去って行った。


「本当に良かった」


 仲睦まじそうに歩いて行く二人の後ろ姿を見えなくなるまで眺めてから、ジェニーは大きく背伸びをして、自分の持ち場に戻っていった。


 *****


 ノクスとナーナが屋敷から消えた二週間後、ラノもイースベルデへ旅立っていた。


 約半月の行程を経てイースベルデの領主館に着いたラノは、


「……やっと着いた……」


 自分にあてがわれた寝室に入るなり、へたり込んだ。


「同じ領内なのに、どうしてこんなに遠いの……」


 使用人たちの前ではなんとか気丈に振る舞ったものの、もはやシャワーを浴びる気力もない。過酷な旅で母譲りの美しい金髪は艶がなくなり、白い肌は少々日に焼け、いくらか痩せた。


「冒険者や旅商人って、すごいんだなあ。農家の人たちも、どうやってガラクシアまで食材を運んでるんだろう」


 実はガラクシアで売られているイースベルデ産の食材は、あくまでも食材が傷まない程度の距離から移送したものだったりする。

 気候や育て方、品種はほとんど同じなのだから「イースベルデ近郊」で穫れたものでも「イースベルデ産」と言ったほうが聞こえがいいということで、半ばブランドとして使われている名称だということをラノが知るのは数日後の話だ。


「はあ、せめて着替えなきゃ」


 このまま床で寝落ちそうな勢いだったが、さすがにまずい。最後の気力を振り絞って立ち上がり、よたよたとクローゼットに向かった。


 次期公爵の側仕えになるための熾烈な争いに勝ち抜き喜び勇んで付いてきたメイドたちも、今日ばかりはラノの寝支度を手伝いに来る者はいない。実家ではラノが断っても世話をしに来ていたというのに。


 この半月、常に従者たちと共に行動し、寝る時でさえ一人になる時間がなかったラノには都合が良かったが、それにしても疲れた。

 なんとか一人で寝間着に着替えると、すぐにベッドに突っ伏す。


「距離的には、首都よりも近いはずなのに……」


 初代国王が整備した首都から延びる街道は、ガラクシアから先にはない。

 揺れる馬車で大量の荷物と共に移動し、昼夜を問わず魔物や賊の襲撃を警戒し、天候にも左右されて夜までに中継点の町に着けず、野宿も度々した。

 ひとときも気が休まらない旅路は、身体だけでなく精神的にも来るものがあった。道理で父も、東側にあまり行きたがらないわけだ。


「ノクスがいてくれたらなあ」


 ノクスは冒険者としての経験がある。少しでも快適な旅路にする知恵を持っているはずだ。

 魔物と対峙するにしても、お互いの気配がわかるので連携が取りやすい。

 いや、ノクスが出て行った日に廊下で磔にされていたメイドを見るに、戦闘はノクス一人で事足りるかもしれない。

 それに、大きなベッドを収納できるほどの魔術収納があったら、守る馬車の数も少なくて済む。

 兄を便利な道具のように使いたくはないが、いてくれたらどれだけ心強かったことかと、度々考えていた。


「……でも、ノクスがいなくなったのは僕のせいだもんな……」


 ラノはずっと自分を責めていた。

 エドウィンが息子にあまりにも無関心だったことは擁護のしようがないし、ラノ自身も不満に思うことは度々あった。

 しかしラノが父を必要以上に恐れず、わがままを言ってでもきちんと話をしていれば、ノクスの扱いがあんなに酷くなることはなかったはずだ。


「せめてこれからは、僕がしっかりしなくちゃ」


 エドウィンはノクスが出て行ってから、何かにあてられたようにぼんやりとしていることが多くなった。

 少し前までは今でも王座を狙っている野心が垣間見え、剣術を習うために対峙するだけでも身体が震えるほどだったのに、ガラクシアを発つ前の最後の手合わせでは勝ち筋が見えた気がした。――まるで、急速に衰えているような。


「あの時のノクスは確かにちょっと怖かったけど、あれが原因なわけないよね……」


 ノクスの話を聞いている父から感じたのは、目の前の息子に対する畏怖だった。

 ラノは元々他人の怒りの感情や言い争いの場が苦手だが、数多の修羅場をくぐり抜けてきたはずのエドウィンが何も言い返せず、ましてや恐れるというのは、少し妙な感じだった。

 だが微かな違和感は眠気に押し流され、ノクスはすごいなあという感想だけが残る。


「……僕も、はっきり意見を言えるようにならないと……」


 兄のような啖呵を切れる未来は思い浮かばないものの、もう少し強気にならなくてはと、まどろむ意識の中で考える。

 ノクスとまた会えた時に胸を張って話ができるように、自分にできることからやっていこう。


「……街道の整備って、どれくらい予算が必要なのかなあ……」


 せめて道が平らなら、身体の疲れはまだマシだっただろう。首都から四方に延びる街道は初代国王が生涯を賭けた一大事業だったと聞く。それでも成し遂げたいくらい国王も移動が大変だったのだろうなと、先祖の偉業を改めて噛みしめながら、ラノは眠りに落ちた。

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