第93話 魔術師は手紙を受け取った

 レイヤはほんの二、三時間ベッドを借りたら、共用スペースに戻るつもりだった。しかし。


「レイヤ、起きてください。そろそろ着きますよ」


 ナーナに揺り起こされて目覚めた時には、窓の外は黄昏だった。しばらくぶりに安心してゆっくり眠れたせいで寝ぼけてしまい、ここはどこだっけと今の状況を理解するのに少し時間がかかった。


「! もう夜!?」


 一気にいろいろなことを思い出して跳ね起き部屋を見回すと、ようやく出会えた神出鬼没の魔術師と目が合う。最初は少し怖く感じた赤い目も、改めて見れば綺麗だと思った。


「あと三十分くらいだってさ。そろそろ着替えたほうがいい」

「そうだった!」


 今のレイヤの格好は快適すぎる綿の部屋着だ。貴族のように見えるのに何故か他人の身支度を手伝うのが上手いナーナに付き添われ、急いで着替える。


「ありがとう……。いっぱい迷惑かける……」

「別に。寝てただけだし」


 レイヤはしょぼくれていたが、むしろずっと寝ていてくれたのでノクスとしては楽だった。一通り念話を試した後、大型術具である船の設備を見学しに二人が一度部屋から出たことにも気付いていなさそうだ。




 やがて船は岸に着き、三人はようやくウェストールに降り立った。とはいえ既に日は暮れていて、ぽつぽつと外灯が灯っているだけなので周辺の様子はよくわからない。

 ほかの乗船客と共に外灯に沿って進むと、すぐに街の輪郭が見えてきた。よほどのことがない限りほぼ全ての乗船客がこの街の宿に一泊するため、川のそばに大きな宿が複数営業しているらしい。

 それぞれの予算と用途に合わせた宿に客たちが吸い込まれていく中、ノクスたちは中の上程度の宿を選んだ。


「えと、わたしは……」


 もっとランクを下げた安い宿を探そうとしているレイヤに、ナーナが訊ねる。


「青一つというのは、そんなに稼ぎが低いのですか?」


 素朴な疑問だった。石付きの冒険者はどこでも重宝され、できる依頼の数も報酬も増える。赤五つは特例とはいえ、緑の石付きだというグレアムパーティーも特別資金繰りに困っているようには見えなかった。ノクスはすぐに察する。


「貯金してるんだな。家に帰った時のために」

「……そう。町が元気になるのは、お金がいる」


 アストラが竜を討伐してくれたとしても、十数年止まっていた採掘場の設備は劣化しているだろう。閉店した店もたくさんある。節約して少しでも多く資金を持ち帰り、復興に役立てるつもりでいた。


「身体を壊してまでお金を貯めても、町の皆さんは受け取ってくれないかもしれませんよ」

「あ……」


 レイヤに竜の討伐依頼を受けさせなかったのは、組合職員の意地悪ではない。むしろその身を案じているからこそ、勝てない相手に無謀に挑んで欲しくなかったのだということは、レイヤも理解していた。


「体調管理に必要なお金は明日のための投資だと父が言っていました」

「……わかった、気をつける」

「うん。俺たちも特別高いところには泊まらないから安心してくれ」


 素直に意見を聞き入れる姿を見てノクスは少し微笑み、レイヤは初めて見た柔らかい表情を意外そうな顔で見て、ナーナは無言で嫉妬した。


***


 翌朝、ノクスとナーナの部屋を訪ねてきたレイヤは随分と体調が良さそうだった。


「案内がんばる」


 フンスと気合いを入れ、改めて地図を見ながら、これからの道のりを説明する。


「ウルバンまで、小さい町がいっこあるだけ」

「そこまではどれくらい?」

「二日くらい」

「じゃあ、一晩野宿か。買い物してから発とう」


 川辺の街は船を使った物流が発達しているとのことで、上流にあるウェストール中央部からの物資が運ばれてくるため、品揃えは悪くなかった。


「ナーナ、昨日と顔が違う?」


 帽子を被っていないナーナを見て、レイヤは首を傾げた。昨日は緊張してあまり顔を見ていなかったが、なんだか印象が違う気がすると、改めてまじまじと見る。


「アストラの魔術です。他人から顔を覚えられなくなるのです」

「そんな魔術があるの?」

「秘密ですよ」

「わ、わかった」


 珍しいものや聞いたことがないものの存在は、依頼に関係がなければ隠しておくに限る。金にならない厄介事に首を突っ込まないための教訓として、冒険者の多くが肝に銘じていることだった。


「魔術収納を持ってるってことは、レイヤも魔術師?」

「ううん、そんなに使えない。すこし教えるもらった」

「西には魔術収納の使い方まで教えてくれる学校があるのか」

「ちがう。首都で、図書館の人が教えてくれる」


 ノクスの言い方を真似て言い間違いを正したレイヤだったが、そんなことはどうでもいい。


「「図書館?」」


 思わずノクスとナーナの声が被った。首都の図書館で魔術を教えてくれる人というと、思いつくのは一人だけだ。ノクスは恐る恐る訊ねた。


「その人、もしかしてジェニーって名前じゃない?」

「そう! ジェニーさん、アストラも知ってる?」

「知ってる」


 ジェニーから習ったのなら、あまり魔術に詳しくないレイヤが魔術収納を使えることにも納得する。彼女は普段から情報を適切に捌くことを生業にしているからなのか、他人にものを教えるのが異様に上手いのだ。


「あんなに人の多い首都で同じ人物と知り合うなんて、偶然もあるものですね」


 ナーナは感心したが、ノクスは首を振った。


「偶然じゃない。ジェニーのことだから、レイヤが俺を探してるって知ってて近づいたんだ」


 おそらくは、ノクスが銀鉱山の竜を討伐する際の手助けになると思って。


「レイヤ。冒険者組合で、俺の情報が知りたいなら図書館に行けって言われたんじゃないか?」

「うん」

「ほらね」


 冒険者は新しい街に来るとほぼ確実に組合に立ち寄る。レイヤが来たらそう言うように、あらかじめ職員に言い含めていたに違いない。


「忘れてた! アストラに会ったら渡してくれって、手紙をもらった」

「手紙?」


 レイヤは頷くと、綺麗に封のされた汚れ一つない手紙を魔術収納から取り出した。確かに、普段のジェニーからは想像できない涼やかな達筆で署名が入っている。


「まさか、これをなくさずに持っていかせるためだけにレイヤに魔術収納を教えたんじゃないだろうな……」

「なに?」


 ノクスがぼそりと早口で呟いた言葉は、幸いにもレイヤにはうまく聞き取れなかった。

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