第37話 王子はメイドもとい姫のご両親に挨拶した
ナーナと同じ赤い髪に黒い瞳、そして一際仕立ての良いドレスから間違いなくサースロッソ夫人とわかる女性は、ナーナを全力で抱きしめた。
「ただいま戻りました、お母様」
「おかえりなさい。すっかり大きくなって」
手紙のやり取りはしていても、十四歳で奉公に出た娘との四年ぶりの再会だ。どこにも怪我がないことを確認して、もう一度抱きしめた。
それから、
「初めまして、ノクス殿下。ナーナの母、アルニリカ・ゼーピア=サースロッソと申します。まずは、娘を無事に送り届けてくださったこと、感謝いたします」
サースロッソ夫人は丁寧に頭を下げ、涙で潤んだ目で微笑んだ。
「初めまして、サースロッソ夫人。こちらこそ、ナーナ……、いえ、ええと、ナーナリカ姫にはいつも良くしていただいて、感謝しています」
「ナーナで構いません。普段通りになさって」
「ありがとうございます……」
ナーナとよく似た顔で朗らかに笑う女性に、ノクスは少し戸惑った。
「さあ、中にどうぞ。長旅で疲れたでしょう」
それから、二人の服装を確認し、
「荷物は……。ああ、魔術収納をお持ちなのね。ナーナの分を預かります」
すぐに気付いて、視線だけで若い男性使用人が前に出て一礼する。
彼にナーナの荷物を渡した後、ノクスはふと思い出して、野菜の入った大きな袋を取り出した。
「これ、ナーナからのお土産で、イースベルデの農産物です」
「まあ! 早速今夜の食事に使いましょう! 持って行ってちょうだい」
続けて、夫人はきびきびと指示を出す。
「ノクス殿下のお部屋は準備できているわね? 粗相のないようにもう一度チェックしてらっしゃい」
「はいっ」
ザッと音を立てる勢いで使用人たちが敬礼し、速やかに散った。
「あの、俺は……」
当然のように屋敷に泊まる流れになっている。町の宿に泊まるつもりだったのだが、とノクスは慌てた。
「遠慮なさらないで。娘婿になる方ですもの、早く屋敷に慣れていただかないと。ねえ、ナーナ」
「はい」
「ええっ!?」
ナーナも再び強く頷いた。この母にしてこの娘だった。
*****
呆気に取られている間に応接室に案内され、久しく座っていなかったふかふかのソファーを勧められた。
「……」
入り口に気配を感じてノクスが顔を上げると、
「うわっ、びっくりした」
いつの間にか、応接室の扉から背の高い男性がそっと様子を窺っていた。
「あなた! また人見知りして!」
あなた、ということは、とノクスが情報を整理している間に、男性はススッと静かにサースロッソ夫人の隣に立つ。
「……ケヴィン・サースロッソと申します。ノクス王子殿下にご挨拶申し上げます」
ナーナの父、サースロッソ公爵は、美しい礼と共に大変控えめな音量で挨拶した。
「は、初めまして。ノクスです」
「……」
慌てて挨拶を返すノクスを、穏やかな緑の目でじっと見つめるサースロッソ公爵。その仕草に既視感を覚えた後、すぐに「ナーナがよくやるやつだ」と思い出した。
「ごめんなさいね、ノクス殿下。ちゃんと歓迎しておりますのよ」
気品と威厳のある男性だ。しかし、何故か見知らぬ来客を警戒する飼い猫のような雰囲気があった。夫人はため息をつくと、気を取り直して優雅に微笑む。
「コーヒーはご存知かしら? お口に合うといいのですが」
ノクスは頷いた。
「何度か飲んだことがあります」
新しものが好きなジェニーに、まだ数が少ない首都のコーヒー店に連れて行かれたことがあった。
ノクスの返事を聞くとすぐに、テーブルに湯気の立つコーヒーが置かれる。
「ノクス様、ミルクはこちらです」
「ありがとう」
差し出された小さなピッチャーを自然な動作で受け取ったところを見て、夫人と公爵はおお、と音には出さずに口を開け、一拍置いてから、うむ、と顔を見合わせた。自分でミルクを入れていたノクスは気付かなかった。
「ナーナ、あなたまだそんなにお砂糖を入れているの?」
ナーナはスプーンで三杯目を入れようとしたところで、夫人に止められた。が、
「やっと帰ってきたので、贅沢がしたいです」
手を戻さずに三杯目を入れてかき混ぜ、更にミルクも入れた。
「この子ったら、甘やかして育てたものだからわがままで。殿下にご迷惑を掛けていませんか?」
「いえ、本当に良くしてくれています。……ナーナがいなかったら、成人を待たずにガラクシアを出ていたところです」
ナーナとは手紙のやり取りをしていたようだし、『ガラクシアを継がなかったほう』と婚約させる契約を結んだのだから、ある程度の事情は知っているはずだ。ノクスはできる限り正直に答えることにした。
「まあ! それならもっと早くお呼びすれば良かったわね」
「え?」
「そうですね。成人など気にせず提案すべきでした」
「いや、待って」
時々飛び出すナーナの過激な思想は間違いなく夫人譲りだ。隣で静かにカップを傾けていた公爵が、大変控えめな声でそっ、と言った。
「……未成年の王子を年頃の娘と同居させるのは、体裁が悪いよ」
「そうでした。ではやはり、これが最速最善だったということですね」
うんうんと頷くサースロッソ一家。どうやらつつがなくご両親の御眼鏡に適ったことはわかったが、あまりにもスムーズすぎて、ノクスは逆に戸惑った。
「あ、あの……。俺が『忌み子のほう』だというのは、ご存知なんですよね」
歓迎してもらえるのはありがたいが、自分の悪評がサースロッソの名前に傷をつけるのではと心配した。しかし。
「もちろん。でも、魔術に長けていて、真面目で研究熱心だと娘から伺っています。これからのサースロッソに、間違いなく必要な人材です」
ぽかんと口を開けたノクスを見て、夫人は優しく目を細めた。それからちらりと公爵を見て、肘で小突いた。公爵ははっと気付いて咳払いする。
公爵は改めて姿勢を正し、ノクスを真っ直ぐに見ると、
「我々は、殿下を心から歓迎いたします。――ようこそ、サースロッソへ」
少しだけ声の音量を上げて、ゆっくりとそう言った。
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