第20話 魔術師は蜘蛛退治に成功した

 太古の昔は水が流れていたという渓谷を、ノクスは覗き込んだ。


「『冒険者になるには、まず汚いものと高い場所、そして虫や爬虫類への忌避感を克服することから始めなければならない』ってか」


 ぼそりと呟く。

 屋敷の書庫にあった古い冒険譚に書かれていた言葉だ。目の前は絶壁、背後に蜘蛛の集団という状況で、急にそんなことを思い出していた。


「何か言いましたか?」


 渓谷に吹く風の音にかき消されて、ドルクの耳には届いていなかった。


「さすがにあれはぞっとするなって言ったんだ」

「ええ……」


 こちら側とあちら側、数百メートル離れた崖の間に、件の巣はあった。

 白い糸が岩場に細く放射状に張り巡らされ、虫型の魔物を中心に様々な獲物が引っかかっている。そしてその中心に、大きすぎて規模感がわからなくなりそうなサイズの蜘蛛がいた。更に渓谷のあちこちに、こんもりと白いドームのようなものが張り付いている。


「ナーナが見なくて本当に良かった」


 迷宮の森を難なく付いてきた気丈な彼女だが、蜘蛛が得意ではないことに、ノクスは気付いていた。


 他の者が掃除に来ないノクスの部屋には小さな蜘蛛の巣が張っていたが、ナーナは巣の主がいないことを確認してから、恐る恐るといった様子で取り除いていたのを知っている。それを見てから、蜘蛛の巣だけはナーナが気付かないうちにノクスが率先して自分で払っていた。

 ――何故自分で全部掃除しないかというと、ナーナが自分の仕事を取られたと言わんばかりにジトッと見つめてくるからだ。


「……さっさと終わらせよう」


 ノクスも、慣れたと言っても得意なわけではない。ぞわぞわと首筋や頬に不快感を覚えながら、人差し指を巨大蜘蛛に向け、ぶれないようにもう片手を添えた。


「『炎錬砲』」

「え」


 大した予備動作もなく、ゴッ! という音と共に熱風が生まれ、真っ赤な球体が一直線に巣の中心をえぐった。直後、形容しがたい耳をつんざくような音を出し、巨大蜘蛛だった塊が燃えながら渓谷の底へ落ちていく。


「うわっ! あいつ、変異しかけだった!」


 ノクスは不快な音で何かを察し、谷を背にして振り向く。


「おいアンタ、一応冒険者なんだろ。自分の身は自分で守れよ」

「えっ、ええ!?」


 一瞬の出来事に呆気にとられているドルクに声を掛けている間に、周辺をのんびりと蠢いていた蜘蛛たちが一斉にノクスのほうを見た。


「馬車に戻る前に殲滅!」

「馬車に戻らないのですか!?」


 ドルクは一緒に来た冒険者たちに応援要請を、と思ったのだが、


「そんなことしたら、ナーナが失神する!」


 こんな大群を引き連れて、ナーナの元に戻るわけにはいかない。ノクスは襲ってくる蜘蛛たちを片っ端から焼いていき、ドルクも魔術収納から自分の剣を取り出し捌いていくが、キリがない。


「ああもう、面倒くさい! ちょっとアンタ、もういいから俺のローブの端掴んでおいてくれる!?」

「は、はい!?」


 ノクスはドルクに雑に指示すると、両手を開いて前に向けた。


「『竜巻』!」


 短い呪文を唱えた瞬間、先ほどの熱風とは比べものにならないほどの突風が発生し、周辺の蜘蛛たちが吸い込まれ巻き上げられていく。


「うわぁぁぁあ!?」


 ドルクは髪や衣服がぐしゃぐしゃになりながら、自身も巻き上げられないようにノクスにしがみついているので精一杯だった。


 更に、


「『爆炎』!」


 大量の蜘蛛で黒ずんだ竜巻が炎を纏い、赤く染まった。ノクスは手を谷に向かって振る。と、竜巻は振った方向に移動し、意思を持っているかのように谷底に降りて、周辺の白いドーム――ドットスパイダーの卵嚢群を焼き切ると、静かに消えた。


 一拍置いてから、燃え残りの死骸がボトボトと谷底に落ち、ようやく辺りは静かになった。


「……」

「……」


 地面に広範囲の焦げ跡を残し、蜘蛛が寄ってこなくなったのを確認して、


「戻ろう」


 はあ、と大きくため息をつき、ノクスはさっさと歩き出した。


 取り残されたドルクは、


「はは……。なるほど、化け物だ」


 腰が抜けたまま、引き攣った声で呟いた。


***


 その少し前、馬車の周りでは、冒険者たちが暇そうに四方を守っていた。

 大蜘蛛は気持ち悪いが、刺激しなければ害はない。それよりもあの、支部長がやたら丁寧に扱っているフードを被った妙な冒険者のほうが、よっぽど怖い。

 だが、


「見た感じ、俺らより年下ぽくなかった?」

「うん、顔はイマイチ見えなかったけど、中にいるお嬢ちゃんと同じくらいの背丈だったし」

「なんで俺らアイツの言うこと聞いてんだっけ?」

「……なんでだっけ?」


 ただ従わねばならないという気持ちになったから従った。そうとしか言いようがなかった。

 外のそんな会話を幌越しに聞いて、ナーナは一人自慢げだった。


 と、直後、谷のほうから何かの悲鳴のような音が聞こえてきた。


「おい、なんか蜘蛛の様子、おかしくないか?」

「警戒! ……あれ?」


 見張っていた冒険者たちは、突然一斉に動き出した周りの蜘蛛たちに慌てて武器を構えるが、蜘蛛は馬車には目もくれず、ぞろぞろと同じ方向を目指して移動していく。


「あっちって、支部長たちが向かった方角じゃ……」

「えっ!」


 蜘蛛はもう見たくないが、さすがにナーナも外の様子が気に掛かった。逡巡してから、意を決して幌の布をめくる。と、蜘蛛はどこにもおらず、よく見ると既に遠くのほうで蠢く何かになっていた。


「なんだあれ……!」


 冒険者の一人が指を差す先に、おぞましい黒い筋が空に昇っているのが見えた。竜巻のように見えるそれは周辺の黒ずみを吸い込み、次の瞬間には赤く染まる。


「……ノクス様」


 ナーナは、ノクスの魔術だ、と直感的に察した。


「ヤバいんじゃないの、あれ」

「どうする? 今のうちに逃げるか?」

「でも、別に俺たち被害受けてなくね」


 わいわいと揉める声を遠くに聞きながら、


「……綺麗」


 ノクスの目の色に似た赤色に、場違いな感想を呟いた。

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