第68話 二人は伯爵の娘と出会った

 ノクスが魔術を使えることについては口外しないよう伯爵に言い含め、外ではためくカーテンをよそに、二人は書庫の資料を読みふけった。

 本当になりふり構わずといった様子でかき集められており、古い書物や王立図書館の蔵書の写しから、地方の貴族に直接聞きにいったという伝承、更には他国に伝わる類似の物語まで、多岐にわたっていた。


「ジェニーは随分要約して話してくれたんだなあ」

「そのようですね……」


 初代国王にまつわる伝説が書かれた児童書をめくりながら、ノクスは感心していた。ジェニーはここに収められた情報のほとんどを調べ上げ、その中から必要な部分だけを抜き出し、まとめて教えてくれたに違いない。

 それでも何か新しい情報があればと真剣に読み進めていると、不意に書庫の扉がノックされた。


「失礼いたします。あの、昼食のご用意ができました」


 本棚の間からひょこっと顔を出したのは、シシー伯爵と同じ髪色をした少女だった。


「ええと、食堂にご用意しておりますが、こちらでお食べになりますか?」


 十三、四歳ほどに見える、あどけなさの残る愛らしい顔立ち。おどおどと目を泳がせ恐縮した様子だが、上等なワンピースを着て、丁寧に梳かれた艶のある長い髪を見るに、使用人ではなく伯爵家の人間だ。少女は、書庫にカフェテーブルが設置されていることに少し驚いたようだった。


「貴女は確か……、カティア、でしたっけ」


 ナーナは、彼女が生まれた祝いで両親と共にシシーを訪れた時のことを思い出し、名前を記憶の奥底から引っ張り出した。当時のことをカティアが覚えているわけもないので、初対面と言っていい。


「あっ、はい! 申し遅れました、シシー伯爵の娘、カティアでございます」


 慌てて淑女式のお辞儀をするカティア。ナーナも立ち上がり、同じスタイルで挨拶を返す。


「ノクス様、どうされますか」


 ナーナの美しい仕草に、やはり公爵令嬢なのだなと見蕩れていたところで話を振られ、ノクスは挙動不審になった。


「えっ、ああ、せっかくだから、食堂に行こうかな。気分転換にもなるし」

「承知しました。ご案内いたします」


 少し内気で人見知りな性格らしいカティアは、ノクスからスッと顔を逸らして先行した。


「もう昼ってことは、二時間近く書庫にいたのか」

「あっという間ですね」


 あまり長居するとシシー家の負担になってしまうが、資料全てに目を通すとなると、本当に雨期になってもサースロッソに帰れないかもしれないと、ノクスは懸念した。いざとなったら、書庫の中身を持ち出す許可を貰って、丸ごと魔術収納にぶち込んで持ち帰るか、と荒っぽいことまで考える。


「あの、父は、公務に向かいました。自由におくつろぎいただくようにと、承っております。ご不便がありましたら、お申し付けください」


 ちらちらと、ノクスの顔を見ながら話すカティアを見て、ナーナは何かを勘付いた。


「ありがとう。カティアにもしばらく迷惑を掛けると思うけど、よろしく」


 ノクスが微笑みかけた瞬間、カティアの頬が染まり、ナーナの直感は確信に変わった。



 食堂に通され、魚を使った料理が中心の昼食をカティアと共に取っていると、


「あ、あの……。ナーナリカ様とノクス様は、お二人だけで山を越えていらしたのですか?」


カティアがおずおずと訊ねた。

 基本的に、旅というのは道中身を守るため、複数人で行うものだ。何かと入り用な貴族なら尚のこと、大量の荷物と共に、護衛や身の回りの世話をするための従者が複数人付くのが普通だった。四大公爵家の人間ともなれば、動く人数はちょっとした集落並みになる。

 しかし、父から聞いたところによると、屋敷に泊まるのは若い二人だけ。従者どころか荷物も見当たらない。カティアが疑問に思うのも当たり前だった。

 シシー伯爵は信用に足る人物だと判断したが、彼女にはどこまで話したものかとノクスが考えていると、


「ノクス様はお強いのですよ。お一人で旅をされた経験もありますし」


ナーナが先に口を開いた。


「まあ!」


 それを聞いて、カティアは顔を輝かせる。


「そ、そうですよね。王弟陛下もラノ殿下も、剣術がお得意だと聞きました。ガラクシア家は、武芸に秀でたお家柄なのですね」

「うん、まあ……」


 突然の勢いに気圧され、ノクスは曖昧に頷く。魔術が使えると知らなければ、そういう結論になるのは仕方ない。あえて訂正もしなかった。


「もしや、ガラクシアからサースロッソまでの旅もお一人で?」


 ナーナが四年間ガラクシアにいたことは、ガラクシア家とサースロッソ家以外、誰も知らない。不在の期間はゼーピアに留学していたことになっていることを、改めて思い出した。


「あっ、申し訳ございません。私は町から出たことがほとんどないので、外からいらした方のお話を聞くのが楽しみで……」


 前のめりになっていたことに気付いて、カティアは恥ずかしそうに顔を赤らめて小さくなる。


「そういうことなら、少しくらいは。泊めてもらうお礼も兼ねて」

「本当ですか! ありがとうございます」


 カティアの態度は、明らかにノクスに好意を持っている様子だ。ずっと心配していた懸念事項がとうとう現れてしまったと、全く気付いていない様子でにこやかに話すノクスをジトッと見ながら、ナーナは静かに対策を考えていた。

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