第29話 メイドは酒という魔術の手強さを知った
ノクスは更に一、二杯飲んだが、特に様子が変わらなかった。
割と強いらしいということだけがわかり「これは飲み比べで潰すしか」と野蛮な考えに至ったナーナが、いつ勝負を持ちかけようかとタイミングを伺っていると、不意に隣の席に座る者がいた。
「お姉さん、可愛いねえ。どこから来たの?」
まだ遅い時間ではないのに既に出来上がった、町の青年だった。多少小綺麗な見た目をしていて本人も自信があるのかもしれないが、ナーナにとってはただのじゃがいもだ。
「……」
ナーナはじゃがいもをしらっと無視した。
「旅の人でしょう? いつまでいるの?」
「……」
しつこい。カウンターの向こうの店主は助けを求めれば適当にあしらってくれるだろうが、身体を触るとか、直接手を出してこない限りは自発的に動きそうにない。
ノクスを飲ませ潰すのは一旦見送って、今日はもう宿に帰るべきかと思案していると、じゃがいもはようやくノクスの存在に気付いた。
「隣は弟さん? 姉弟で旅してるの?」
これにはナーナもイラつき、言い返そうとした。
が、先に口を開いたのは、ノクスのほうだった。
「さっきからしつこいよ。嫌がってるのがわかんないの?」
立ち上がり、するりとナーナの腰に手を回すと、
「彼女は俺の婚約者だよ」
「こ……!?」
まるで自分のものだと言わんばかりにふてぶてしく睨み付けた。そして言い放つ。
「こんな美人がアンタみたいな奴の相手をするとでも? 身の程を知れ」
途端に酒場全体がしん、と静まり返る。どうやら常連たちは、このやり取りがどう決着するか聞き耳を立てていたらしい。
一拍置いて、店内には拍手と爆笑、そして指笛が鳴り響いた。
「かっこいいぞ、彼氏! よく言った!」
「それもそうだ! お前にゃ勿体ねえ!」
「よく見りゃ兄ちゃんのほうもいい顔してんじゃねえか!」
「お幸せに!」
賑わう空気の中、じゃがいもは連れの男に首根っこを掴まれ、酒のせいだけではない真っ赤な顔で端の席に回収された。恥を掻いても出て行かない辺りよほど酒が好きらしいと、ナーナは呆れた。
「マスター、その兄ちゃんに一杯奢ってやってくれ!」
「俺からも一杯! 田舎者が邪魔した詫びだ」
「え? でも……」
「貰っときな。お嬢さんもいける口みたいだし、一杯ずつだ」
戸惑うノクスに対し、ナーナは好機を見逃さない。
「では、先ほどと同じものを彼にも」
店主はわかっていたとばかりに頷き、甘くて強い酒をそれぞれの前に置いた。
*****
奢りの一杯を飲み終わり、二人は陽気な酔っ払いたちに見送られながら酒場を後にした。
「ノクス様、先ほどはありがとうございました」
「んー? 何が?」
隣を見ると、ノクスがふわふわと揺れている。今頃酔いが回ってきたのかと、ナーナは転ばないよう寄り添った。
「絡まれているところを助けてくださったじゃないですか」
「あれは俺がムカついたからだよ」
「え……」
姉弟に間違われて腹を立てていたのは、ナーナだけではなかった。
「でも、弟に見えたってことは、まだ釣り合ってないってことだよなあ」
そしてノクスは、ナーナの腰を引き寄せ、肩に頭を預けた。
「……待ってて。ちゃんと、ナーナに釣り合う婚約者になれるように頑張るから」
「!!」
耳元で囁かれた、いつもより低い艶のある声に、ナーナは思わず耳を押さえて飛び退いてしまった。
「どうしたの、ナーナ」
月の白い明かりに照らされてふにゃふにゃと笑いながら、ん? と首を傾げるノクス。今度は『ギュン』が来て、ナーナの心は一人で忙しかった。
宿に帰って簡単にシャワーを浴びたノクスは、さっさと寝てしまった。
普段より安らかに見える寝顔を確認してから明かりを消し、布団に潜ったナーナは、今日の酔っ払いノクスの姿を覚えておかねばと、悶々と反芻した。
そして、
「……美人って言っていましたか?」
じゃがいもに言い返した言葉をハッと思い出した。
「……私のことを、美人だと、思ってくださっている?」
頬が熱いのは、少し飲み過ぎたせいだろうか。手を当て、途端に旅で日焼けしパサついている肌が気になってきた。
いや、じゃがいもを牽制するための言葉の綾かもしれない。迂闊に喜んではいけない。しかし。
「……釣り合えるようになりたいのは、私のほうです……」
今後間違いなく大成する未来の夫の側に居続けるために、改めて頑張らねばと意を決するナーナだった。
*****
ノクスの朝は早い。起こされなくてもなんとなくいつも同じ時間に起きてしまうのは、酒を飲んでも同じだった。
「おはようございます、ノクス様」
いつもより少し早起きをして入念に肌の手入れをしたナーナが、いつも通り既に身支度を終えた姿で挨拶をする。
「おはよう、ナーナ」
ノクスは、なんだか肌がツヤツヤしてるな、と思いながら、いつも通り挨拶を返した。
それから、昨日の出来事を思い返し、首を傾げた。
「……俺、昨日、酔って変なことしなかった? 二杯目くらいから、記憶が曖昧で……」
「えっ」
ノクスは悪酔いしないだけで、実はしっかり酔っていた。
――つまりナーナを美人だと言って助けてくれたかっこいいノクスも、月明かりの下で囁いてくれた艶っぽいノクスも、全て酒という名の魔術に掛かった幻覚。
「……」
「やっぱり何かしたんだ!?」
「……いえ、何も」
急にスンとしたナーナを見て、ノクスは今度は何をやらかしたのかと慌てたが、口の堅い婚約者は何も話してくれなかった。
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