第4話 出会い
振り返ると、騎馬が一騎駆けてくるところだった。
さっき中庭にいた将軍っぽい人だ。黒い鎧に身を固めた姿は威厳にあふれているが、まだ四十代前半といったところか。
男は馬から降りると、折り目正しく頭を下げた。
「トルキア王国将軍、グレンと申します。これを」
そう言って、書状を差し出す。
「中の者にお渡しください。委細書き含めております。あとはレイラーク侯爵家ご令嬢が、万事取り計らってくれましょう」
「ありがとうございます」
俺のために、わざわざ追いかけてきてくれたのか。
感動しつつ、受け取ろうと手を伸ばしたが、
「……と。魔術印を失念しておりました。失礼いたします」
グレン将軍が、手紙に左手をかざす。
左利きなのかな? と何気なく思ってから、違和感に気付く。
剣は左に提げている。
と――
「あれ?」
グレン将軍の全身に、光の模様が浮かび上がっていた。
片桐の時と同じだ。片桐は灼熱の赤だったが、今度は黄色だ。
ただ、何かがおかしい。右肩から先が薄くなっている。
「ちょっといいですか? ここ、詰まってるような……」
「? 詰まっている?」
将軍の右肩に触れる。やはり光の流れが滞っている。なんだか苦しそうだ。
手のひらに意識を集中させながら、幾度かさすってみる。すると、右肩で滞っていた光が指先まで流れ始めた。
「あ、治った」
グレン将軍がぴくりと眉を跳ね上げる。怪訝そうに右手をわきわきさせていたが、そのまま手紙にかざした。
紙面にサインが浮かび上がる。
「おおー」
すごい。こんな魔術もあるのか。
感動していると、グレン将軍が驚いたような顔で俺を見ていることに気付いた。
「どうかしましたか?」
「いえ。右腕を酷使しすぎたせいか、数年前から右手で魔術を発動できなくなっておりましたので……」
グレン将軍は、パーカーにジーンズという俺の格好を見ていたかと思うと、道を外れた。
「夜も更けております、裏口からお入りください」
よく手入れされた芝生を横切って案内されたのは、こじんまりとした扉だった。
扉の両脇に控えた兵士二人が、グレン将軍に気付いて敬礼する。
「扉を開け」
「は! あの、この方は?」
「後宮の主となられる御方だ」
「! で、ではこの方が異世界の!」
「詳しくは追って沙汰する。通せ」
「は!」
おかげで無事に入れた。
扉が閉まる前に、振り返って頭を下げる。将軍も折り目正しく頭を下げていた。
そこは裏庭のようだった。といっても、ものすごく広い。木々が伸びやかに枝を張り、美しい噴水が月明かりに照らされている。静謐で神秘的な雰囲気だ。
しかし、どこに行けばいいのだろう。
ひとまず人を探そうと歩き出した時。
「あの、すみません」
か細い声が聞こえてきた。
あたりを見回すが、誰もいない。
「あの、ここです。上です」
鈴のような声に導かれて、顔を上げる。
木の枝に、女の子がいた。
「すみません、このようなところから、このような格好で」
一瞬、天使が木に引っ掛かってしまったのかと思った。
太い枝の根元にちんまりと座り頬を染めているその少女は、ついぞお目に掛かったことがないくらいに可憐で愛らしかった。
白く透き通る肌に、今にもこぼれ落ちそうな大きな瞳。淡く色づいた珊瑚色の唇。リボンをあしらった亜麻色の髪が、ふわふわと夜風に踊る。淡いピンクのドレスが月に照らされて、夢かと思ってしまうほどに幻想的だった。
少女はおずおずと両手を伸ばし、何かを差し出した。
「突然で申し訳ないのですが、この子をお願いできますか。巣立ちの途中で、木に引っかかってしまったようで」
それは、炎のような毛並みをした小動物だった。一見すると子犬のようだが、翼が生えている。
俺はグレン将軍にもらった書簡を、慌ててパーカーのポケットに突っ込んだ。
伸び上がって、慎重に子犬を受け取る。
温かくて柔らかい。尻尾の先に炎が灯っているが、不思議と熱くはない。
胸に抱くと、きゅうきゅうと鳴きながらしがみついてきた。
少女がほっとしたように「良かった」と笑う。
滑らかな頬がバラ色に上気して、まるで花の精のようだ。
「きみは大丈夫?」
「はい、いま降りますねっ」
少女は愛らしい声でそう言うと、枝の上でもたもた、もぞもぞと蠢いた。
しばらく足を出したり引っ込めたりしてもがいていたが、やがて「ふえぇ」と力ない鳴き声が降ってきた。降りられないらしい。
俺は子犬をパーカーのフードに入れると、腕を広げた。
「一回こっち向いて座って、そのまま飛び降りれる?」
「あ、で、でも」
「大丈夫、そんなに高くないし、ちゃんと受け止めるから」
「そんな、申し訳ないです」
何かいい方法はないだろうか。そう考えているさなか、少女の亜麻色の髪を飾るリボンが、木の枝に引っかかっていることに気付いた。
「あ、リボンが……」
「え?」
言い終わるよりも早く風が強く吹いて、リボンがほどけた。
「えっ、あっ、だめ……」
少女が慌てて髪を押さえる。その瞬間、バランスを崩し――
「きゃ!」
「おっと!」
間一髪、落ちてきた少女を受け止める。
「っと……怪我はない?」
「は、はい……」
少女は俺を見上げてぽーっとしている。その瞳の色に目を見張る。鮮やかに輝く、真紅の瞳。まるで、夜明けを告げる暁のような。
こんな瞳の色は見たことがない。ひどく綺麗だ。その神秘的な輝きに、俺は我を忘れて魅入り――ふと、少女の手からリボンがすり抜けそうになっていることに気付いた。
風にはためくリボンを、慌てて少女の手を包み込むようにして押さえる。
手と手が重なった、刹那。
少女の指先に、淡い光が灯った。
「!」
重なる手を通して、温かなものが行き交う。
少女の白い肌に、光の模様が浮かび上がっていく。
まるで宝石のような、赤く透き通る、清らかな輝き。
「えっ、あっ、あっ」
少女が戸惑いの声を上げる。
慌てて手を離すと、光は収まった。
「い、今のは……?」
少女は目を白黒させていたが、俺に抱かれたままなことに気付くとはっと頬を染め、慌てて降りた。
ぺこー! と頭を下げる。
「あ、ありがとうございますっ! なんとお礼を申し上げればいいか……!」
「無事でよかった。大事なリボンなの?」
「はい、妹から預かったもので……」
そういって、リボンを愛おしげに見つめる。よほど大切にしているらしい。
「それにしても、よく登ったね」
「は、はい、無我夢中で……木登りなんてしたのは、子どもの頃以来です」
少女は恥ずかしそうに笑った。
ふと、そのドレスの裾が裂けていることに気付く。
「あ、裾が……」
枝に引っかけたのだろう。傷がないか尋ねようとして、気付く。
細い脚に、黒い蔦のようなものが絡みついていた。
なんだろうと思う前に、少女が「あっ」と小さく叫んで、裾を押さえた。
心なしか青ざめている。
「あ、ご、ごめん。けがとかしてないかなって」
「は、はい、大丈夫です。すみません」
その時、フードの中からきゅうきゅうと声がした。
「あ、そうだった」
俺はフードから子犬を取り出すと、少女に渡した。
少女は小さい子みたいに顔を輝かせて、子犬を胸に抱く。
「本当にありがとうございました。助けてくださらなかったら、どうなっていたことか」
「子どもなのかな」
「巣立ったばかりで、まだうまく飛べないのでしょう。上手に飛べるようになるまで、私のお部屋でお預かりしましょう」
子犬が嬉しそうに尾を振りながら、細い肩に駆け上る。頬を舐められて、少女はくすぐったそうに笑った。
淡い夜風に、亜麻色の髪がなびく。月の光の中で、赤い瞳がまるでルビーのようにきらめいて、とてもきれいだ。
少女はスカートをつまんでふわりと膝を折った。
「申し遅れました、私、リーズロッテと申します。リゼとお呼びください」
「俺は鹿角勒。ロクでいいよ」
「ロクさまですね」
リゼは俺の格好を見て、愛らしく小首を傾げた。
「不思議なお召し物ですね。王宮のお客さまでいらっしゃいますか?」
「あ、うん。呼ばれたと言えば呼ばれたんだけど、その、追い出されちゃって」
リゼは「まあ」と目を丸くした。
「それはさぞお困りでしょう。今夜の宿はお決まりですか? もしお食事がまだでしたら、何かご用意できないか聞いてまいりましょう」
声や表情から、純粋に俺を心配してくれているのが伝わってくる。優しいなぁ。なんだか心に染みる。
……あ、そうだ。
俺は慌ててパーカーのポケットに手を突っ込んだ。
「ええと、これを」
書簡を差し出す。
くしゃくしゃになってしまったそれを、リゼは小首を傾げながら読み上げた。
「? 『この書簡は、この者、カヅノロクが、当代後宮の
リゼは、俺と手紙を交互に見つめ――その表情が驚きに染まった。
「ゆ、ゆゆゆゆゆ勇者さま!?!?!?」
予想以上のリアクションだ。
「あ、あわ、あわわ、ど、どどどどどうしましょう、勇者さまだなんて、そんな……! ふああっ、私ってばこんな格好で、れ、レディ失格です!」
「あの」
声を掛けると、リゼははっと我に返り、膝を折って深々と頭を下げた。
「かっ、数々のご無礼、お許しくださいっ。本日召喚の儀が執り行われるとは聞いておりましたが、まさかお渡りになるとは……!」
「それが、あの、ごめん。俺、勇者じゃないんだ」
「え?」
「いや、確かに召喚はされたんだけど、勇者の資格がなかったみたいで……」
「? ? ? ?????」
リゼが、顔いっぱいに疑問符を浮かべ――
柔らかな声がした。
「あらあら、なんの騒ぎかしら?」
歩いてきたのは、十七、八歳くらいの少女だった。
すみれ色の瞳に、豊かに波打つ髪。気品溢れる立ち振る舞いから、一目で高貴なご令嬢だと分かる。
「マノンさま!」
リゼが慌てて会釈する。
その肩に乗った子犬を見て、少女は「まあリゼ」と唇を綻ばせた。
「精霊獣は神の遣い。精霊獣がなつくのは、心が清い証。良い子、良い子」
優しく頭を撫でられて、リゼは嬉しそうに頬を染めている。まるで姉妹のようだ。
ほほえましく見守っていると、すみれ色の双眸が俺をとらえた。
慌てて頭を下げると、丁寧なお辞儀を返してくれた。
「お初にお目に掛かります。マノン・レイラークと申します」
「初めまして。鹿角勒です」
リゼが、マノンと名乗った少女にそっと書簡を手渡す。
「マノンさま、これを」
「あら。グレン将軍閣下の
マノンは書面に目を落として、頷いた。
「なるほど。委細、相分かりました。すぐにお部屋とお食事を用意させますので、今夜はひとまずお休みください。詳しいお話は、明日にでも」
包み込むような柔らかな微笑みに、肩の力が抜ける。
どうやら俺の長い一日は、ようやく終わろうとしていた。
───────────────────
いつも応援ありがとうございます。
書籍版『追放魔術教官の後宮ハーレム生活』
1巻 発売中です。
ファンタジア文庫特設サイト【https://fantasiabunko.jp/special/202104harem/】
さとうぽて様の美麗なイラストが目印です。
書店で見かけた際にはお手に取っていただけたら嬉しいです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます