第75話 旅立ちの歌
翌日の早朝。
俺は見送りに出てくれたメルの頭を撫でた。
「ちょっとアイテムを採りに行くだけだ、すぐに戻るよ」
メルは宝石のような瞳で俺を見上げて、小さく頷いた。
「それじゃあ、行ってくる。メルを頼む」
「お気を付けて」
リゼたちに見送られて出発する。
メルは遠ざかる俺とサーニャを、いつまでも見つめていた。
馬を駆って、王都から北西に位置する山岳地帯へと向かう。
三日掛けて街道を北上し、四日目の朝、麓の街で馬を預けて山道に入った。
ごつごつと岩肌の目立つ道を歩いていると、地面が鳴動した。
頭上からがらがらと音が響いて、細かな石が落ちてくる。
「おっ、と」
慌ててサーニャを抱き寄せる。
「また地震か……大丈夫だったか?」
サーニャは返事の代わりに、俺に頭をすり寄せた。
渓谷の道を往くこと半日。
「ん?」
何やら人だかりができている。
近付くと、商人や冒険者たちが立ち往生していた。
「今朝の地震で落盤があったみたいでな。馬車が通れないんだ」
見ると、大きな岩が道を塞いでいる。恰幅のいい商人が、「おい、これだけ冒険者がいて、どうにかできんのか!」と喚いていた。
人々は、「そんなこと言ったってなぁ」と諦め顔だ。
「すみません、通ります」
俺は人垣を抜け、一軒家ほどもある岩に歩み寄った。
目を懲らす。岩の表面に魔力回路が浮かび上がった。
俺は網の目のように絡み合ったそれを視線でなぞり――
「ああ。ここだな」
とん、と一点を突く。
ほんの僅か魔力を流し込むと亀裂が走り、岩がぼろぼろと砕け散った。
「うわ、っとと……」
思いのほか派手に砕けて後ずさる。
この世の万物には魔力が通っていて、魔力回路には弱点――核が存在している。そこを突くことで崩壊させることができるのだが、あまり使うことがないので、力加減が難しい。
「もうちょっと練習が必要かな」
商人たちがあんぐりと口を開け、冒険者が群がる。
「兄ちゃんすごいな、あんなの初めて見たよ! 何のスキルだ? それとも魔術か?」
「あんたら、二人旅かい? 良かったらウチのパーティーに加わらないか?」
あちこちから掛かる誘いを丁寧に辞退し、手を振って分かれる。
途中で道を逸れ、水晶鳥の巣を目指して岩だらけの山肌を登った。
「この辺りに生息してるはずなんだけど」
巣を探す内に、日が暮れ始めた。
「今日はもう休もうか」
幸い天気は良い。
岩肌の間にわずかな平地をみつけると、野営の準備を整えた。
夜空の下で火を焚き、湯を沸かして食事を摂る。
「ついてる」
パンをもぐもぐしているサーニャの口元を拭う。
食事を終えると、寝袋を広げた。
息が白い。特殊な素材で編まれた寝袋のおかげでそれほど寒さは感じないが、空気はキンと澄んでいる。
空には満天の星が輝いて、今にも落ちてきそうだ。
銀砂を撒いたような空を見上げていると、サーニャが寝袋から出てきて袖を掴んだ。
「一緒に、ねたい」
「ん」
端に寄って寝袋を持ち上げると、サーニャは小さな隙間にするりと潜り込んだ。
華奢な身体は俺の腕にすっぽりとおさまってしまう。
「寒くないか?」
サーニャはこくりと頷いて、俺の胸に頬を寄せた。
「あたたかい。ロクのにおい、好き。安心する」
金色の双眸が、遠く、後宮の方角を仰いだ。
「メル、眠れてるか、心配」
そうだな、と呟きながら、出発前、少しでもメルが安心できるようにと、フェリスがリラックス効果のあるハーブティーをブレンドしてくれ、リゼが『天界に近い環境を作りましょう!』とメルのベッドに綿を敷き詰めていたのを思い出す。
「大丈夫、きっとおいしいものを食べて、シャロットとよく遊んで、安心して眠ってるよ」
「うん」
小さな子どもを寝かしつけるようにして、優しく背中を叩く。
温かくて柔らかい。
猫みたいだなと思っていると、腕の中からサーニャが見上げた。
「どうやったの?」
「ん?」
「あんなにおおきな岩をくだいた」
「魔力回路の
天空に輝く星を指でなぞりながら呟く。
「どんなものにも弱点がある。相手がどんなに頑丈でも強大でも、弱点さえ突けば、突破口は開ける」
サーニャはじっと考えて、「ロクにも?」と首を傾げた。
「ん?」
「ロクにも、弱点、あるの?」
白い息を吐いて笑う。
「あるよ、たくさん」
この世界に来る前は、同じ毎日を繰り返すばかりだった。苦労して手に入れたものは指の間から零れて、ようやく得たと思った居場所からは弾かれて、傷付いたことを自覚する暇もないまま、魂はすり減って。失うものなんてない人生だったけれど、この世界に来てから、護りたいものがたくさんできた。
姫たちの笑顔や、穏やかな日々、みんなと見た美しい景色――大切なものが、どんどん増えていく。全部俺の弱点であり、誇りだ。
サーニャは俺を見上げていたが、不意に手を伸ばした。
「おしえて。ロクの弱点。どこ? ここ?」
脇腹を突かれて、「う゛ッ」っと呻く。
「ちょ、サーニャ、くすぐった、い……」
「ここ? こっち?」
「やめ、サーニャ、っふ、待ってくれ、ッく」
歯を食い縛って耐える俺を、サーニャはちょっと嬉しそうに見上げている。
「サーニャの弱点は? ここか?」
薄いお腹をつつくと、ぴくん、と背中を丸めた。
「っ、ロク、ゃ」
「ん? なんだ? 聞こえない」
「ん、ゃ、いじわる、しない、で、ふふっ」
サーニャが笑うと、周囲に金色の粒子――精霊がふわりと舞い上がった。
世界樹で精霊王と会って以来、精霊としての力が強くなっているようだ。
自分が精霊だと知った時には戸惑いもあったようだが、今は人として生きることを選び、俺の傍に寄り添ってくれている。
不意に、出会ったばかりの頃、サーニャの故郷で見た星空を思い出す。
家族を失い、ひとりぼっちになってしまった女の子。
もしも俺が、サーニャにとって安心できる居場所になれているのなら、とても嬉しい。
子どもみたいに無邪気な笑顔に目を細める。
「もう寝ようか。明日もたくさん歩くから」
俺はランタンに手を伸ばし――
「ロク。
「うあっつ!?」
手元が狂って、魔石に炙られた指がジュッ! と焼ける。
「さ、サーニャ……? なんて……?」
ヒリつく指を押さえながら問うと、サーニャは同じテンションで繰り返した。
「子どもをつくろう。優れた雄は、たくさんの雌を従え、つがいになり、
柔らかな身体がひたりと寄り添う。
ひとつの寝袋の中、逃げ場もなく仰け反る俺に、人形のように整った顔が近付いた。
「サーニャ、待っ……」
「生き物はみな、幾億の星の中から巡りあって、愛しあい、いのちをつなぐ。とても大切なこと」
神秘を湛える金色の視線が、俺を射抜いた。
「ロクの子どもがほしい」
心臓が大きく脈を打つ。
小さな手が頬を包んだ。
「だいじょうぶ。目をとじて、わたしにまかせればいい」
喉がひくりと痙攣する。
「っ、サーニャ……!」
制止する間もなく、艶めく唇が近づき――
首筋にかぷりと噛み付かれた。
「ッ……!」
予想外の刺激に硬直する。
「これで儀式は完了した」
サーニャは満足そうに言うと、俺の頬に鼻をすり寄せた。
「おやすみなさい。いい夢を」
やがて、すうすうと聞こえ始める健やかな寝息。
「…………? ??? ? ???」
じんじんと甘い熱を訴える小さな歯の跡を押さえる。
これ、たぶんあれだよな……? 猫科の動物が交尾する時の……でもこれってそもそも雄が雌にするもので……どこから教えたらいいのだろうか、ますはおしべとめしべの話から……? いや、俺が教えるのも問題がある気がする……
その夜、俺は一睡もできないまま過ごし、朝陽が差し染める頃になってようやく「よし! 帰ったらマノンに相談しよう!」という結論に至ったのだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
水晶鳥の
「すごいな……」
透き通る翼を持つ鳥の群れに息を呑む。
岩肌の一面に、きらきらと光が乱舞する。まるで海のようだ。
コロニーでは、水晶鳥の雛が巣立ちの時を迎えていた。
まだ小さな子どもたちが、風に向かって羽根を広げる。
傍では親鳥たちがその様子を見守っていた。
危うげに飛び立った子どもに寄り添い、上空へと導く。
雛たちが無事に巣立った後。
巣には、真っ白い羽根が残されていた。
そっと拾ってみる。
軽い。空に透かすと、陽光を反射して美しく透き通った。
この羽根を編んで、翼を作るのだ。
「メルに似合いそうだ」
胸の高鳴りを押さえながら呟くと、サーニャが頷いた。
空になった巣から羽根を拾い集める。
ふと見上げると、空には無数の翼が舞っていた。
「きれい」
自由に空を駆ける美しい姿が、メルと重なる。
風を切って飛ぶ鳥たちに声もなく魅入っていると、微かな旋律が聞こえた。
サーニャが歌っている。
か細い歌声が、伸びやかに天へと響く。
俺の視線に気付くと、サーニャは少し恥ずかしそうに髪を押さえた。
「ビルハに伝わる、旅立ちの歌。子どもの無事を祈り、言祝ぐ」
「いい歌だな」
金色の瞳が、寄り添って飛ぶ鳥の親子を映す。
一陣の風が、銀髪を揺らした。
「――今なら分かる。
風に向かって立つ細い背中に、俺はそっと手を添えた。
サーニャが頭をすり寄せる。
サーニャを護り育んでくれたという騎馬の民。深い絆で結ばれた、温かい人々。
一度、会ってみたかった。
柔らかな銀髪を梳いて「少し休もうか?」と尋ねると、サーニャは首を振った。
「メルがまってるから」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
後宮に戻ったのは真夜中だった。
夜の中庭。水路が涼やかな音を立てる。
月明かりの下に、赤い髪の少女が佇んでいた。
両手を組んで、星空を見上げている。
「ただいま」
声を掛けると、メルははっと振り返った。
駆け寄ってきたメルの髪を、サーニャが撫でる。
「星を数えてたのか?」
そう問うと、メルは首を振った。
「わたしたちの無事を、いのってくれていた?」
サーニャの言葉に、メルが微かに笑った。
サーニャが、美しく透き通る羽根を差し出す。
メルがはっと目を見開いた。
「大丈夫。あなたはきっと飛べる」
大きな瞳に涙が滲む。
声もなく泣くメルの髪を、俺とサーニャは優しく撫で続けた。
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