第74話 翼を求めて


 次の日。


 俺は昨晩徹夜でまとめたリストを手に、回廊を歩いていた。


 昨日、帰り際に天獣たちが見せた、心配そうな表情を思い出す。誰もが残りたがっていたが、天界を長く空けることはできないらしく、何度もメルを振り返りつつ帰っていった。


 大切なお姫さまを預かったのだ、俺にできることは全てしてあげたい。


 中庭にその姿を見つける。


 メルは子馬の姿で噴水の横に佇んでいた。


 風になびく赤いたてがみを、サーニャが櫛で梳いている。


 陽光を浴びて純白に輝く毛並みに目を細める。


「おはよう、メル」


 天馬がはっと振り向いた。


 膝を付いて額ずこうとするのを押しとどめる。


「昨日は眠れたか?」


 尋ねると、メルは碧い目を伏せた。


 サーニャがその頭を撫でる。


「眠れなければ、星を数えるといい。ビルハのみんなが教えてくれた」


 メルは黙って、サーニャに額をすり寄せた。


 サーニャは精霊であるせいか、自然や動物と相性がいい。


 メルも昨日に比べて少しリラックスしているようで、滞っていた魔力もわずかに回復している──今なら出来るかもしれない。


「少し、背中を見せてくれないか?」


 そっと声を掛けると、メルは怯えたように後ずさった。


 伏せられた瞳には、不安や心細さ、深い哀しみが滲んでいる。


 サーニャがその首筋を優しく撫でた。


「魔族におそわれるおそろしさはわかる。わたしには家族がいた。あなたたち天獣とおなじように、つよい絆でむすばれ、よりそって暮らしていた。けれど、みんな魔族に狩られてしまった」


 見開かれた碧い双眸を、サーニャは金色の瞳でまっすぐに見つめる。


「ひとりぼっちになって、こわくて、かなしくて、でも、ロクがわたしを見つけてくれた。今はみんながいる。あなたもあたらしい家族。もう心配はいらない。ここでは、誰もあなたを傷つけない、みんな味方。安心して、傷を癒すといい」


 白銀に輝く幼角に、サーニャはそっと額を寄せた。


「大丈夫。あなたはとても美しい」


「……――」


 碧い瞳から、雫がぽろりと零れた。


 メルがおそるおそる俺に背中を向けてくれる。


 右の翼の根元に目を這わせる。


 無惨に抉れ、引き攣れた傷口を見て気付いた。


 咬創だ。


 ただ斬り落とされたのではない、根元から食い千切られた・・・・・・・のだ。


 腹の底からこみ上げた苦い怒りを噛み潰す。


 豊かな魔力を持ち、戦いを好まない天獣は、魔族の絶好の獲物なのだろう。


 襲われた時のことを思い出したのか、メルの細い肩が震えている。


 魔族に襲われ、商人に捕らえられて、どれほど恐ろしかったことだろう。声さえも失うほどに。


「怖かったな。ごめん。ルダシュで出会った時に、俺がちゃんと気付けていれば良かった」


 背中を撫でると、メルは首を振って、そっと俺に頬を寄せた。


 魔族に引き裂かれ、そらを追われた幼い天馬。

 できることなら、仲間家族の待つ居場所天界へと返してあげたい。


 引き攣れた傷口には瘴気が根を張り、メルの魔力が少しずつ流れ出している。


 魔力は生命の源。このままでは弱っていく一方だ。


 翼の付け根に手を添える。


「俺の魔力を流し込む。もし痛いとか苦しいとか、異変を感じたら、すぐに教えてくれ」


 身を固くするメルに、サーニャが声を掛ける。


「こわがらなくていい。ロクはあなたを傷つけたりしない」


 メルが小さく頷くのを確かめて、サーニャに左手を差し出す。


「サーニャ、手を」


 サーニャが俺の手を取る。


 サーニャに魔力を流し込むと、周囲のエーテルの濃度が上がり、精霊が舞い上がった。


「メル、力を抜いて、ゆっくり、深く息をして」


 右手を通してメルに魔力を流し込む。


 弱っていた光が静かに巡り始め、強ばりがほどけていく。


 やがて、瘴気に蝕まれていた傷口が淡く輝き――魔力の流出が止まった。


「よし、うまくいったな。ありがとう、サーニャ」


 ぱちぱちと瞬きするメルを、サーニャが優しく見つめている。


 サーニャの精霊の力を借りて、傷は塞がった。あとはメル本来の魔力を活性化させるだけだ。


「次は食事だ」


 人間の姿に戻ったメルと手を繋いで、サーニャと共に廊下を歩く。


 厨房に入ると、厨房番キッチンメイドたちが「お待ちしておりました!」と椅子を勧めてくれた。


 書物や文献、天獣から聞き取った情報を調べてまとめたリストと、メルに流れる魔力、テーブルに並んだ食材を見比べる。


「普段は花や果物を食べているらしいから、肉は使わず、果物を中心にしてほしい。今のところ、アンズスモモナツメが良さそうだ」


「ならば、ライチも合うかもしれませんね。早速仕入れましょう」


 厨房番キッチンメイドたちが張り切って腕をまくる。


「お任せください、カヅノ後宮厨房番キッチンメイドの名に掛けて、滋養も味も最高の逸品をご提供いたしましょう!」


 倉庫や畑から材料を摂ってきて、さっそく朝食として果実粥を作ってくれた。


 メルは普段は天馬の姿で食事をしているらしく、匙の使い方に戸惑っている。


「はい、口を開けて。あーんって。できるか?」


 粥を掬って差し出すと、メルは小さな口を開けて、はぷ、と粥を含んだ。


「……!」


 あどけない顔がぱああっと輝く。


 幸せそうな表情に、思わず厨房番たちと顔を見合わせて笑った。


 天獣たちは「メルさまはとても小食で……」と心配していたのだが、厨房番たちが腕を振るった甲斐あって、食欲に火が付いたらしいメルは一皿ぺろりと平らげた。


 サーニャが「これもおいしい」と、デザートにクコの実を食べさせていた。


 厨房番たちに礼を言って厨房を出る。


「今のメルに大切なのは、身体魔力に合うごはんを食べて、たくさんひなたぼっこをして、ゆっくり眠ることだ。少しずつ魔力を回復させていこう。大丈夫、すぐに良くなるよ」


 笑いかけると、滑らかな頬にふんわりと朱がのぼった。


「おはようございます! 朝のおさんぽですか?」


 愛らしい声に振り返る。


 シャロットが立っていた。今日も愛らしい笑顔を咲かせて、可憐な花のようだ。


「ちょうど良かった、シャロット。メルに後宮を案内してあげてくれるか」


 シャロットはぱっと顔を輝かせると、「はい!」とメルの手を取った。


「メルさま、こうきゅうはとても広くて、迷路のようです。でも、まいごになっても、おねえさまがたにお声をかければ大丈夫ですよ。まずは薔薇の宮からごあんないしますねっ」


 同じくらいの歳の友だちができて嬉しいらしい。


 ぱたぱたと駆けていく二人を微笑ましく見送っていると、入れ替わりにティティがやって来た。


「あっ、ロクちゃん、サーニャちゃん! ちょっと相談したいことがあるんだけど、来てもらっていい?」


 会議室に着くと、リゼたちも待っていた。


 ティティがテーブルに設計図を広げる。


「メルちゃんの義翼の、だいたいの構想ができたよ。骨組みはマダラコウモリの骨を使って、布は浮揚の効果があるオーロラ蝶の羽衣に、水晶鳥の羽を編み込む。縫製は虹蚕の糸を使おう、強度もあるし魔力の通りもいいと思う。ベルトは、人の姿でも天馬の姿でも対応できるように、伸縮性がある素材を模索中。ここのジョイントで、左の翼と連動するように調整して――」


 精緻な設計図に、思わず「すごいな」と唸る。


 魔族に付けられた傷は塞がっても、失った翼は戻らない。ならば新しい翼を作れないかと相談したところ、ティティは早速徹夜して考えてくれたらしい。


「材料は手に入りそうか?」


「マダラコウモリの骨と、オーロラ蝶の羽衣、虹蚕の糸は、一週間くらいで取り寄せられるって。手に入り次第、縫製に取りかかるよ」


「めいっぱい魔力《愛》を込めて縫わせていただきます……!」


 ベルを中心にした後宮縫製部隊が、気合いを入れる。


「頼りにしてるよ」


 頭を撫でると、ベルは嬉しそうに頬を染めた。


「でも、水晶鳥の羽根はちょうど今から採取シーズンで、まだ市場に出回ってないんだって。北西の山岳地帯で採取できるらしいんだけど……」


 ティティは難しい顔で腕を組む。


「見た目にこだわらなければ別の素材でもいいかもしれないけど、どうしても譲りたくないんだ。メルちゃんに似合う翼にしたくて」


 そうだな、と目を細める。


 脳裏に、白く美しい翼を広げて飛ぶ天馬の姿を思い描く。


「俺が採ってくるよ」


 メルの傷は塞がった。あとはリゼたちに任せて心配ないだろう。


 水晶鳥は急峻な山に巣を作るらしい。捜索が広範囲に及ぶから、山岳地帯で何泊か野宿することになるだろう。冬も近く、標高も高いことから厳しい道のりが予想される。


 早速準備に取りかかろうと立ち上がって、サーニャが俺を見上げていることに気付いた。


「サーニャ、一緒に行こうか」


 そう笑いかけると、サーニャはこくりと頷いた。




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