第51話 少女の正体

 ――まただ。また。


 ちゅ、ちゅっという愛らしいリップ音が、夢に潜り込んでくる。


 顔中に、柔らかな感触が降る。


 腹に跨がった相手に気付かれないよう細心の注意を払いながら、俺はそろりとまぶたを持ち上げた。


 ……やはり。


 間近に迫る、人形のように整った小さな顔。ツーサイドアップに結ったピンクゴールドの髪。華奢な身体に、細い四肢。


 俺にキスを繰り返しているその少女は、二ヶ月前の朝に見掛けた、あの女の子だった。


 ふと、少女が目を開く。


 視線がばちりと噛み合った。


「ぁっ……!」


 少女が頬を桜色に染める。


 俺から降りるが早いか、身を翻して逃げ出そうとし――俺はその手を掴んでいた。


アンベルジュ・・・・・・!」

「!」


 少女が弾かれたように振り返る。


 宝石オパールのような瞳が、驚きに揺れていた。


 珊瑚色の唇が、はく、と喘ぐ。


「な、なんで……」


 分からない。


 分からないが、そんな予感があった。


「……アンベルジュなんだな?」


 もう一度問うと、少女は力なくへたり込んだ。


 俺はベッドから降りると、放心している少女の手を取って、椅子に座らせた。


 柔らかな唇の感触が残っている頬をさする。


「……一体、何をしてたんだ?」


 少女――アンベルジュは椅子の上で華奢な身体をさらに縮めた。


「ま……魔力、を……あの……」

「魔力を吸収してた?」


 アンベルジュは答えず、床に目を落とす。


 小さな身体は、俺から吸い上げたばかりであろう、白銀の魔力で満ちていた。


 しょんぼりとうなだれる姿が叱られた子犬みたいで、俺は思わず口元を緩めると、膝をついて視線を合わせた。


「言ってくれたら、いつでも分けるのに」

「でも……あたしのこと、く、食いしん坊って、思ったりしない……?」

「ん?」

「みんな、そう言うのよ。大食らいの役立たずとか、ネンピが悪いだけの無能剣とか、絞りカス錬成器とか、何が祝福の剣だ、こんなの殺人魔剣だろうとか……」


 ぽつぽつと零しながら俯く様子に、そうか、と胸が痛む。


 この子も、居場所から弾かれ続けてきたのだ。


「思わないよ」


 そう笑いかけると、アンベルジュが目を見開いた。


「いつも助けられてる。お礼になるかは分からないけど、俺の魔力で良ければ、いくらでも持って行ってくれ。力を貸してくれて、ありがとう」


 俺を見詰める大きな瞳に、涙が盛り上がり――アンベルジュはわあああん! と声を上げながらしがみついてきた。


 小さな背中を優しく叩く。


「ひっ、ひぅっ……い、いままで、誰も、あたしを使ってくれなかったのぉっ……あ、あたしだって、勇者さまの力になりたかったのにっ……みんな、あたしのこと、いらない子だってぇ……っ」

「そうか。それは寂しかったな」

「ぅっ、うぇぇ……寂しかっ、たぁっ……あたしだって、好きで困らせてるわけじゃないのに……誰も傷つけたくないのにぃ……!」

「分かってる、大丈夫。大丈夫だよ。君がどんなに素直でいい子か、ちゃんと知ってる」


 頭を撫でると、アンベルジュは、ひっく、ひっくとしゃくり上げた。


「それで百年間、行方不明になってたんだな」

「……ずっと待ってたの。あたしを使っても死なないヒトを。あたしだけの勇者さまを」


 吐息の触れそうな距離、涙に濡れた双眸が俺を覗き込む。


「会いたかった。ずっと捜してた。たくさん愛して使って、あたしだけの、ただ一人のご主人様マスター……――」


 細い腕が首に回った。


 長いまつげが伏せられたかと思うと、桜色の唇が迫り――とっさに、手のひらで塞ぐ。


「むぐ」


 キスを阻まれて機嫌を損ねたのか、アンベルジュは唇を尖らせた。


 俺を上目遣いに見上げて、首を傾げる。


「……キスは嫌い?」


 こんな可愛い女の子に迫られて嫌なわけはない。正直、心臓が高鳴って爆発しそうだ。魔力を供給するのもまったく構わない。

 が。


「いや、嫌いなことはないんだけど、心臓に悪いというか……他のやり方、ないかな?」

「他って?」

「その、キス以外の」


 するとオーロラ色の瞳が「えっ」と見開かれた。


「あ、あるわよ。あるけど……むしろ、とっておきのやり方もあるけど……」

「とっておき?」


 アンベルジュは目を泳がせてもじもじしていたが、やがて意を決したように身を乗り出した。


「あのね」


 耳に淡い吐息が掛かる。


 掠れた囁きが、まるで秘密を告白するかのように、耳に忍び込み――


「それ、は……」


 思わず苦く笑う。


「もっと心臓に悪そうだ」


 アンベルジュは「でしょ?」と小首を傾げると、俺の頬に唇を寄せた。


「ってわけで、いただきまぁす」


 再びキスしようとするのを押し止めて、アンベルジュの頭に手を置く。


 ピンクブロンドの髪を撫でるようにしながら、魔力を流し込んだ。


「これじゃだめか?」

「……別に、だめじゃないけど」


 唇を尖らせながらも頬を染めて、満更でもなさそうだ。


「それにしても、驚いたよ。人の形になれたんだな」

「神器はみんなそうよ。だって――」



「そこからは、わしから説明させてもらおうかのう」

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