第29話 出立の儀(聖女視点あり)

 ◆ ◆ ◆



 宮廷楽団の奏でる音楽が、ダンスホールを柔らかく包み込む。


 代わる代わる挨拶に訪れる賓客に対応しながら、ディアナは胸中で呟いた。


(後宮の者たちは、まだ来ていないようですね)


 国を挙げた絢爛な出立式。


 各国の王侯貴族が集まる会場を見渡す。


(後宮の中でまともな教育を受けている令嬢は、家格からいってもレイラーク侯爵令嬢とアルシェール辺境伯令嬢のみ。あとは下級の貧乏田舎貴族か、宮廷のマナーも知らぬ下民のみ。いくら招待状が届いてからダンスを練習したところで、所詮は付け焼き刃。四人選抜すれば、恥をかくことは必至)


 ディアナはこの国の第一王女として生を受けた。


 生まれながらにして高貴。


 生まれながらにして特別。


 誰もが崇めるもっとも崇高な存在。


 それなのに。


 幼い頃、父に聞かされた神話に出てくるのは、神姫たちばかりだった。


 なぜ王女でもない女たちがもてはやされるのか。


 なぜ王の血筋を引かない女たちが、世界を救ったと崇められるのか。


 これを機に後宮の評判を下げ、取り潰してしまえば、間違った神話は消える。


 自分の名は、勇者を支えたただ一人の聖女として語り継がれるだろう。


(勇者さまを支え、大陸の聖母となるのは、ただ一人。私だけで充分)


 ディアナは胸中でほくそ笑み――その時。


 入り口付近でざわめきが広がった。





 ◆ ◆ ◆





「おお、あの御一行は一体……」

「なんてお美しいの。まるで咲き誇る花のよう。一体どちらのご令嬢かしら」

「殿方のお召し物も素晴らしい。きっと名のある貴族でいらっしゃるのだろう」


 俺はマノンに教わった通り、笑顔でリゼたちをエスコートしつつ、人知れず冷や汗を流した。


 なんだか、ものすごく注目されている。


 ちらりと自分の格好を見下す。


 繊細な金の装飾が施された礼服に、上品な色合いのマント。


 腰には一目でハイグレードとわかる、儀礼用のサーベル。


「完全に着られてるって感じだな」


 苦く笑うと、リゼが首を振った。


「そんなことございません、とてもお似合いです!」


 そう力説するリゼは、淡いピンクのドレスに身を包んでいた。


 耳と胸元を飾るのは、瞳と同じ眩いルビー真紅

 薄く色づいた唇に、珊瑚色に艶めく爪。

 ふんわりと柔らかく広がるフレアスカートが、リゼの可憐さを引き立たせている。

 いつも降ろしている髪をシニヨンにまとめているせいか、首や肩の細さが際立って、どきまぎするほど可愛い。


 頬を上気させた瑞々しい表情に空気まで華やいで、まるで周囲に花が咲いたようだ。


 リゼは隣を歩くフェリスに目配せした。


「ね、フェリスさま! 私たちのロクさまが、一番素敵ですよね!」

「(そ、そうね。とてもいいと思うわ)ふぁぁぁっ、ロクさまかっこいいかっこいいかっこいい……っ」

「あ、ありがとう」


 大丈夫か、台詞と心の中が逆になってないか?


 フェリスは翡翠色の瞳を宝石のように輝かせて、俺を見つめている。


 その身に纏うのは、気品溢れるシャルトルーズイエローのドレス。

 細身で優美なシルエットをここまで完璧に着こなせるのは、フェリスを置いて他にいないだろう。

 胸元では小ぶりなトパーズが上品な煌めきを放っている。

 絹のような髪を美しく結い上げたすらりとした佇まいは、月の女神そのものだ。


 可憐な乙女と絶世の美女を独り占めしている俺に、紳士たちの羨望の視線がびしびしと突き刺さる。


(どうも慣れないな)


 頬を掻きつつ、隣のティティに目を移した。


 ティティはうつむきがちに俺に寄り添っている。


 華奢な身体を包むドレスは、東洋風の生地にレースをたっぷりとあしらった特注品。

 透明感のあるゼニスブルー夏海色は、ティティのイメージにぴったりだ。

 飾り結びや蓮の花を使った異国情緒溢れるアクセサリーが、隊商出身のティティらしくてまた愛くるしい。

 髪を編み込み、ヒールを穿いた姿は、いつもより少し大人びて見える。


 ……が、妙に口数が少ないのが気になる。


 いつもの元気印はどこへやら、足取りも何だか大人しい。


(おすまししてるのかな?)


 なんて一瞬ほのぼのしたが、よく見ると魔力回路ががちがちに固まっていた。


 背中に手を添えて、ゆっくり魔力を流し込む。


 ティティはほっとしたように俺を見上げて、「ありがと、ロクちゃん」とはにかんだ。


「ティティも緊張するんだな」

「するよ。もし変なことして、ロクちゃんに迷惑かけたらヤだもん」


 頬を膨らませる様子まで可愛くて笑ってしまう。


「そんなの、気にしなくていいのに。サーニャを見てみろ」


 サーニャは涼しげな顔ですたすたと歩いていた。


 侍女に着せられたアイスグリーンのドレスには、繊細な刺繍が施されている。

 軽やかな生地は草原に吹く風を連想させて、小柄な身体によく似合っていた。

 金色の瞳に合わせたゴールドのカチューシャがティアラのように輝き、薄く化粧をした横顔は高貴な姫君みたいだ。


 初めてドレス姿を見たが、一風変わったデザインを見事に着こなしている。


 まっすぐに頭をもたげ、レッドカーペットを恐れ気なく歩くその姿は、ご令嬢たちの視線を集めていた。


「見て、あのご令嬢。とてもミステリアスな佇まいでいらっしゃるわ」

「脇目も振らない、あの気高いお姿。きっと高貴な御方なのね」


 本人はいつも通りマイペースなだけなのだが、良いように解釈されているようだ。


 な? と片目をつむると、ティティは蒼い瞳を細めて、ふふっと笑みを零した。


 それにしても、と、改めてリゼとフェリス、ティティ、サーニャを見やる。


 みんな本当に可愛い。

 並み居る令嬢たちのなかで、いっそう煌びやかに輝いている。


「みんな、ドレス、すごく似合ってるよ」


 そう言うと、リゼたちは頬を染め、より華やかに胸を張った。


 しかしまさか、こんな形で王宮に戻ることになるとは思わなかった。

 いろんな意味で感慨深い。


 そんなことを考えていると、出立式が始まった。


 王女ディアナが高らかに宣言する。


「異世界からの召喚者、カタギリリュウキさまが、ついに神器ダイディストロンを手に入れられました。ここに正式な勇者の誕生を祝し、また記念すべき北征の成功を祈って、出立式を開催いたします」


 片桐が、国王から祝福の印を受ける。


 その背後にはパーティメンバーが控えている。


 槍術士の男に、魔術士が男女一人ずつ。


 魔族に挑むには人数が心許ない気がするが、少数精鋭ということか。


「おお、あれが神器ですか」

「なんと堂々とした偉容。さすがは勇者さま」


 賞賛の中、片桐が会場を睥睨する。


 一瞬だけ俺と目が合い――片桐は俺を睨むと、ふんと鼻を鳴らして笑った。


 うん、相変わらず元気そうで何よりだ。


 サーニャが片桐を指さして「首を掻き切ればいい?」と尋ねるので、俺はそっとその手を降ろさせた。


「それでは、ダンスパーティーに移ります。どうぞ優雅なひとときをお楽しみください」


 宮廷楽団が音楽を奏で始める。


 俺はリゼに手を差し出した。


 リゼが微笑んで手を取り、音楽に合わせて踊り始める。


 リゼの足運びは軽やかで、俺のぎこちないリードにぴったりとついてきてくれた。


 周囲からおお、と感嘆の声が上がる。


 華奢な足が楽しげにステップを踏み、細い腰が美しくしなる。


 宝石のごとく輝く瞳が、愛おしそうに俺を見つめた。


「ロクさま。私、嬉しいです。こうしてロクさまと踊れる日が来るなんて」


 重なる指先が、ぬくもりが、まなざしが、溢れるほどの喜びを伝えてくる。


 柔らかな身体を俺に任せて、リゼは花のようにくるくると舞った。


「まあ、なんて可憐で麗しいのでしょう。まるで花の精のよう」


 賞賛のささやきが、波紋のように広がっていく。


 ホール中の誰もが俺たちに釘付けになっている。


 こんなに注目を浴びるのなんて人生で初めてだ。


 と、視界の端で、フェリスがダンスに誘われているのが見えた。


 絶世の美女の返答に、周囲の人々が注目している。


 フェリスは礼儀正しく頭を下げた。


「お誘いありがとうございます。ですが、申し訳ございません。私のパートナーは、あの方のみと心に決めております」


 自然、俺に注目が集まる。


 興奮したざわめきが広がった。


「あれほどの美女を虜にするとは。あの殿方はいったい……――」


 その時。

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