第19話 ダンジョンへ



 事件が起こったのは、ベイフォルン家に滞在して二日目の昼のことだった。


「ルートさま!」


 みんなで昼食を食べようとした時、ただ事でない声が響いた。


 玄関に出ると、若い男女が蒼白な顔で膝を付いていた。傍に、ポニーテールの女の子もいる。アリアだ。


 ――ローズの姿がない。アリアに隠れるようにしながら無邪気に俺を見上げていた、垂れ目の妹の姿がない。


 尋ねる前に、父親らしき男性が口を開いた。


「ローズが、ローズが魔物にさらわれて……!」

「なんだと!」

「い、一瞬のことで……村はずれの者が、南の森に入っていくのを見たと」

「冒険者を呼んだんじゃ間に合わない」


 ルートが唇を噛む。


 アリアが泣きながら叫んだ。


「おねがい、ローズをたすけて!」

「……!」


 リゼが息を呑む。胸元で握りしめた拳が、震えている。


 わななく背中に手を添えると、赤い瞳が、何かを決意したように俺を見つめた。


「ロクさま、どうかお力をお貸しください」


 俺は頷いて、剣の柄を握り締めた。


「行こう」



**********



 俺とリゼ、ティティ、サーニャの四人で現場の森に赴く。ルートたち兄弟には、他の魔物の襲来に備えて村を警戒してもらっている。


 森の入り口で、リゼがきらりと光るものを拾い上げた。


「これは」


 リゼがあげたビーズだ。葉の上に点々と落ちている。目をこらすと、黒い魔力の跡が見えた。魔物のものだろうか。


「こっちだ」


 ビーズと魔力の残滓をたどり、森の奥へと進む。


 やがてたどり着いた山のふもと、洞窟がぽっかりと口を開けていた。


「これがダンジョンか」


 カンテラの明かりが内部を照らす。空気は重たくよどみ、ひんやりと湿っている。


「うわあ、雰囲気あるねー」

「足下気をつけて」


 カンテラを掲げ、注意深く進む。中はひどく入り組んでいた。行き止まりに当たる度、分岐点まで戻ってチョークで印を付ける。


 足音を殺しながら進む内、開けた空間に行き当たった。天井が高い。まるでドームのようだ。息を殺し、岩影からそっと中を窺う。


 広場の奥に、魔物たちがたむろしていた。数は四十匹ほど。黒い犬のような獣だ。


 ティティが「コボルトだ」と緊張した声で呟く。


 コボルトたちは大きな岩を取り囲んでいた。その上にローズが横たわっている。どうやら気を失っているらしい。だがコボルトは手を出さない。まるで供物を捧げているようだ。


「なにかを待ってる?」


 その様子は引っかかったものの、迷っている時間はない。


 俺はリゼとティティに目配せした。二人が頷く。


「『炎魔球』!」

「『水魔矢』!」


 コボルトたちの上空、リゼが放った炎の球を、ティティが魔矢で撃ち抜く。洞窟に眩い光が弾けた。


『ギャウ!』


 まともに目を灼かれて、コボルトたちが悲鳴を上げる。


 俺は背後から一気に肉薄すると、コボルトたちを左右に斬り伏せ、道を切り開いた。


 リゼがローズの元に駆けつける。


「ローズ、しっかり!」


 見たところ、大きな怪我はないようだ。


「ロクちゃん、うしろ!」


 振り返るよりも早く、サーニャの短剣が唸った。すぐ後ろまで迫っていたコボルトたちが急所を突かれて、たちまち虚空に溶ける。


 サーニャは短剣を振って、まとわりつく黒い霞を払った。


「あなたは私が守る」

「心強いよ」


 ローズを背に庇い、岩に登ってこようとする魔物たちを蹴散らす。一体一体は強くないが、数が多い。


 と、視界の端。順調に魔矢を放っていたティティが、ふらりとよろめいた。


「ティティ!」


 岩から転がり落ちそうになるのを、危ういところで抱き留める。


 呼吸が浅く、身体が冷たい。唇も血色を失っている。


「ごめん、なさい……魔力、切れ、かも……」


 俺はその手を握り、魔力を流し込んだ。魔力回路が眩く輝き始め、ティティの顔色がみるみる戻っていく。


「わ。これ、ロクちゃんの魔力? すごい……」


 ティティは驚いたようにまばたきしていたが、何かひらめいたのか俺を見つめた。


「ロクちゃん。このまま、魔術を放ってみたい」

「ああ、やってみよう」


 ティティの左手を握り、魔力を送り込む。俺の魔力がティティの魔力回路を巡り、コボルトたちへ向けた右手へと集まっていく。


 その輝きが頂点に達する瞬間に合わせて、俺は叫んだ。


「放て!」

「『水魔砲アクアキャノン』!」


 青い光が迸る。渦巻く水が、コボルトたちをまとめて吹き飛ばした。


「わあ、すごいよこれ、無限に撃ち続けられる! さあ、どんどんいくよー!」


 俺が魔力を注ぎ込むそばから、ティティが魔術を放つ。激しい水流に、コボルトたちが面白いように押し流されていく。


 その時。


「ロクさま、上です!」


 ティティを抱えて飛びすさる。太い爪が、俺たちが居た地面をえぐった。


『グルルル』

「キメラ……!」


 王宮で見た個体より一回り大きい。獣を寄せ集めた体躯は黒い霞に覆われ、牙の間から黒い炎が噴き出している。どうやら横穴に潜んでいたらしい。


「これがダンジョンの主か!」

『ヴオオオオ!』


 たてがみを逆立てるキメラに、ティティが右手を向けた。


「『水魔砲アクアキャノン』!」


 青い光が収束し、水の奔流となってキメラに押し寄せ――キメラが雄叫びと共に黒い炎を吐いた。ティティの魔術がかき消される。


「うげっ! 水属性が押し負ける炎ってナニ!?」

『ゴアアアアアアア!』


 憤怒の咆哮が、洞窟を震わせる。俺はローズを抱き上げた。


「逃げるぞ!」


 リゼたちを促し、ローズを抱いたまま走る。キメラに続いて、コボルトたちも追いすがる。キメラが吠え、すぐ横をごうっと黒い炎が掠めた。


『ヴオオオオ!』


 俺はチョークの印がついた隘路に走り込んだ。


「こっちだ!」

「けれどロクさま、そちらは!」

「考えがあるんだ」


 手順を打ち明けると、リゼは表情を引き締めて頷いた。狭い道を駆け抜け、魔物たちを奥へと誘い込む。


 先頭を行くサーニャの足が止まった。行き止まりだ。振り返る。


 コボルトたちを押しのけるようにして、キメラが進み出た。


『グルルルル!』

「行けるか、リゼ」

「はい!」


 俺はリゼの背中に手を当て、容量ぎりぎりまで魔力を注ぎ込んだ。リゼの回路が眩く輝き始める。


『ゴアアアアアアア!』


 キメラが大きく口を開く。喉の奥から、漆黒の炎が迸り――


「頼む、リゼ!」

「はい! 『炎魔壁フレイムシールド』!」


 目の前に、炎の壁が現れた。眼前まで迫った黒炎が壁に阻まれ、逆巻きながら逆流する。


『ゴアアアアアアアア!』


 凄まじいバックファイアが、キメラとその周りに居たコボルトたちを飲み込んだ。


「やった! やりました!」

「すごいぞ、リゼ!」


 キメラの――炎を操る魔物の魔術に、リゼの炎が競り勝った。リゼが磨き上げた魔力が、あの業火を凌いだのだ。


 しかし、サーニャが「まだ」と呟く。


『ヴ、ヴヴ、ヴ……』


 炎の残滓の中から、黒い獣が現れる。全身は漆黒の炎に包まれ、手足の先は灰になりかけている。喉から漏れるそれはすでに断末魔の呻きだが、それでも獲物を食らおうと牙をむき出す。


 ティティが「もー、しつこいよ!」と地団駄を踏む。


「リゼ、ローズを頼む」


 俺はリゼにローズを預けると、アンベルジュを抜いた。手足に、そして刀身に、ありったけの魔力を流し込む。


「ふー……」


 呼吸を整え、魔力を研ぎ澄ませていく。全身に力が漲る。まだだ、もっと――

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