第20話 深まる絆
『ガアアアアアッ!』
キメラが地を蹴った。
「
呼気と共に剣を振り抜く。刀身を包む白銀の光が、魔術の刃となって放たれた。
『ギエェェエアアアアア!』
ライオンの首と鷲の胴体がすっぱりと分かれ、地面に落ちる。
「す、すごい……!」
「今のなに!? 魔術!?」
「ん。魔術……みたいなものかな?」
刀身に魔力を宿せるなら、それを魔術のように放てないか。
そう考えた俺は、密かに練習を重ねていたのだが……成功して良かった。
キメラの死骸が、核を残して消えていく。洞窟内の空気が澄んでいくのが分かった。
「ん?」
気付くと、アンベルジュが変貌していた。ごつくて平たい剣だったのが、細く流麗なシルエットになっている。さびが落ち、宝石のくもりも少し薄くなったようだ。
ひとまず鞘に収めて、振り返る。
「怪我はないか?」
「は、はい! ロクさまこそ、ご無事で!」
「すごいよロクちゃん! あんなの初めて見た!」
「かっこよかった」
そんなにきらきらした目で見られると、なんだかこそばゆい。
「ありがとう。でも、みんなのおかげだ」
俺はそう言って、三人を見渡し――リゼと目が合った。初めての実戦、それも相手は
その頭にぽんと手を置く。
「頑張ったな」
リゼは頬を紅潮させ、「は、はいっ」ととびきり嬉しそうに声を上げた。
「わぁ、いいなー! ロクちゃん、ティティもっ! ティティもなでてー!」
「わたしの頭もなでればいい。なぜならあなたは特別だから」
俺は笑いながら二人の頭も撫でると、ローズをおぶった。
「さあ、戻ろう」
*********
屋敷の前には、たくさんの人が集まっていた。元気に駆け寄ったローズを、アリアが抱きしめる。両親らしき二人が泣きながら頭を下げた。
「ありがとうございます! あなた方は、私たちの恩人です!」
ダンジョンの主が消滅したことで、瘴気も晴れたようだ。
ローズの無事を喜んでいると、ルートがリゼに駆け寄って耳打ちした。
「リゼ。父さんが呼んでる」
「お父さま!」
リゼの父、アイゼン子爵はベッドの上で上半身を起こしていた。瘴気が抜けたのだろうか、顔色がいい。魔力のにごりも消えたようだ。
子爵は俺の姿を見ると、ベッドから降りて膝を突き、頭を垂れた。
「勇者さま。ルートより伺いました。領民を助け、のみならずダンジョンを制圧し、瘴気を払ってくださったと。なんとお礼を申し上げればいいのか……」
「そんな、顔を上げてください。俺一人の力じゃありません。リゼや、みんなが頑張ってくれました」
慌ててその手を取って、ベッドに座らせる。
アイゼン子爵は顔を覆った。指の間から、震える声が零れる。
「……リゼ。お前には、帰って来てほしくなかった」
「お父さま……」
「いつからか土地は痩せ、民は病み……妻は死に、シャロットは奪われた。この家は呪われている。このままではお前さえ失ってしまう。せめてお前には、この呪われた土地を忘れて、生きてほしかった」
リゼが目を潤ませる。子爵がリゼに告げた「もう自分の娘ではない」という突き放すような言葉も、娘を想う愛情ゆえだったのだ。
「本当に、すまなかった」
「いいえ。いいえ、お父さま。こんなにも愛していただいて、リゼは幸せです。世界で一番、幸せな娘です」
しわ深い手に、リゼの白く細い手が重なる。
父娘の間にあった軋轢が、日向に置いた氷のように溶けていくのが分かった。
「しかし、まさか勇者さまにお目にかかれる日が来ようとは」
アイゼン子爵ははちらちらそわそわと俺を見る。
「それにしてもよく出来た方だ。優しく、器が広く、男気もある。リゼがこのような方と結ばれてくれれば、わしも安心できるのだが」
「お、お父さまっ」
「勇者さま、大変不躾なお願いであることは重々存じております。ですが、この老いぼれの願いと思って、我が娘にひとつ、熱い、
「お父さまー!?」
煙が出そうなくらい真っ赤になるリゼを見ながら、俺は考えた。
そう。そうだな。リゼはまだ年端もいかない女の子。大切な娘さんをお預かりする身として、リゼを守り導くのは、俺の義務だ。
満を持して答える。
「はい、任せてくださいお父さん!」
「ロクさまー!?」
「おお、ありがとうございます! 不肖アイゼン、孫を見られる日を楽しみにしております!」
「お父さま――――――――!!」
(孫?)
耳まで赤くするリゼをよそに、俺とアイゼン子爵は硬い握手を交わしたのだった。
***********
翌日、俺たちは出発の準備を整えた。
屋敷の前にはアイゼン子爵や使用人はもちろん、たくさんの人が見送りにきてくれた。
ルートたち三兄弟が頭を下げる。
「本当にありがとうございました。このご恩は忘れません」
「何か困ったことがあれば言ってください、すぐに馳せ参じます! オレ、フットワーク軽いんで! 三男なんで! ぶっちゃけヒマなんで!」
「リント。お前はロクさまを見習って、剣術を鍛え直せ」
「我らベイフォルン家が三兄弟、いついかなる時も、貴方さまの剣となりましょう」
リゼはローズやアリアと別れを済ませ、馬車に乗り込んだ。
「お父さま、お兄さまがた、どうぞお元気で」
その横顔は名残惜しそうだ。アイゼン子爵も寂しそうにしている。
と、リゼの肩に乗っていた子犬のアルルが、飛び立った。
「アルル、どうしたの?」
アルルはアイゼンの肩にとまると、ぺろぺろと頬を舐め始めた。
「こ、これ」
「きゅう、きゅう」
アルルの鳴き声を、サーニャが通訳する。
「ここに残るって言ってる」
アルルに懐かれて慌てふためくアイゼン子爵を見ながら、ルートが笑う。
「それはありがたい。精霊獣が居着いた土地は豊かになるという言い伝えがございます。もしこの子がここにとどまるつもりなら、願ってもない」
俺とリゼは、アルルの頭を撫でた。
「頼むぞ、アルル」
「元気でね。ありがとう」
アルルは燃えさかる尻尾を振って、きゅいっと鳴いた。
ティティが手綱を振る。見送る人々に手を振り、屋敷を後にする。
青い空に、人々の感謝の声が、どこまでもこだましていた。
**********
屋敷が見えなくなってからも、リゼは遠く故郷の方角を眺めていた。新緑の香りをはらんだ風に、亜麻色の髪がなびく。
荷台で揺られながら、俺はその横顔を見ていた。
今回の旅でよく分かった。リゼが、どんなに家族に、人々に愛されて育ってきたのか。そして、どんなに彼らを愛しているのか。
後宮に戻ることは、果たしてこの子にとって幸せなのだろうか。
「もしリゼが望むなら、ここに残っても――」
言い終わるよりも早く、リゼが「いいえ」と振り向いた。
「いいえ、ロクさま。リゼはロクさまと共にありたいのです」
まっすぐに向けられたまなざしの、思いがけない強さに驚く。と同時に、迷いのない返事が嬉しかった。
リゼは唇を綻ばせると、「本当にありがとうございます」と頭を下げた。
「ロクさまは、私だけではない。父を、家族を――私の大切な人々を、救ってくださいました。私の勇者さま。あなた様のお傍に置いていただけることが、私の喜び。あなた様にお仕えすることこそが、私の誇り。リゼは、どこまでもお供いたします」
ほっそりとした手が、俺の手を取る。
豆だらけの手のひらに頬を寄せて、リゼはまっすぐに俺を見つめた。
「あなたをお慕いしています。神姫の魂を継ぐ者として――いえ、あなたを愛するリーズロッテ・ベイフォルンとして。どうぞ、末永くお側に居させてください」
心臓が熱く脈を打つ。愛おしげに細められた双眸。あどけなく、けれど深い愛に満ちた表情。囁くように告げられたそれは、まるで愛の告白のようで。
どぎまぎしていると、リゼはふわりと笑った。
「さあ、帰りましょう、私たちの後宮へ」
胸に、温かな光が満ちる。
――そうだ。俺には、帰る場所がある。
「ああ」
抜けるような空。寄り添って飛ぶ二羽の鳥が、高らかにさえずった。
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