第21話 月光の少女と新たな課題


「ロク先生、ここのところ魔術の威力が落ちてしまって……視ていただけますか?」

「せんせぇ、新しい魔術を覚えましたぁ、褒めてください~」


 俺がこの世界に来て二ヶ月。

 魔術講座は順調に続いていた。


 後宮の広場で、居並んだ少女たちの魔力を見ながら、アドバイスをして回る。


 姫たちはすっかり俺を信じて慕ってくれ、俺もその信頼に答えるべく、全力で指導に当たっていた。


 ひとりひとり記録をつけ、レベルに応じて課題を出す。

 基本は得意を伸ばしつつ、余裕があれば新しい魔術に挑戦チャレンジさせるスタイルだ。


 どうやらその方針が当たったらしい。


 みんな魔術を使えるようになるのが楽しいようで、幅も精度もどんどん上がってきている。


 中でもリゼやティティ、サーニャは成長著しく、浮魔球をアレンジして、新たな魔術に応用できるようになっていた。


 これだけの人数がこれだけのスピードで魔術を習得することはまずあり得ないようで、マノンは「貴族付きの魔術講師が見たらひっくり返るでしょうねぇ」と楽しそうだ。

 そんなマノンも、豊富な魔力を活かして、順調に威力を上げている。


 広場に明るい声が響く。


 代わる代わる俺を囲む姫たちを見ながら、俺は自分がごく自然に笑っていることに気が付いた。


 みんなの笑顔を見るとほっとする。


 深い信頼を以て受け入れられる喜び、迎えてもらえる安心感が、全身を穏やかに満たしている。


 こんな気持ちになるのは人生で初めてかもしれない。


 ここにいる誰もが平穏に、笑って暮らして欲しい。

 そのために俺も、できる限りのことをしたい。


 その時、リゼが俺を呼びにきた。


「ロクさま、あの」

「?」


 広場の一角に連れて行かれる。


 楽しげな姫たちの列から外れて、細身のドレスに身を包んだ少女が所在なさげに立っていた。


 リゼがそっと教えてくれる。


「フェリスさまです。お身体が弱くて、魔術講座も、ずっと欠席しておられました」

「そうか。ありがとう」


 俺は頷いて、金髪の少女――フェリスに歩み寄った。


「フェリス」


 声を掛けると、フェリスははっと顔を上げた。膝を折って頭を下げる。


 細い肩に、絹のような髪がさらりと零れた。


「ロクさま。長い間、講座を欠席しておりまして申し訳ございません。フェリス・アルシェールと申します」


 圧倒されるほどの気品に、内心で驚く。


 この後宮に来てから貴族の所作はだいぶ見慣れたつもりだが、フェリスの一挙一動は輪を掛けて洗練されている。


 俺は「久しぶり」と笑った。


 フェリスとは、目通りの儀で一度会っている。


 確かアルシェール辺境伯のご令嬢だ。


 マノンに聞いたところによると、アルシェール家は魔術の名門で、優れた魔術士を数多く輩出しているらしい。


「体調は大丈夫?」

「はい、おかげさまで。もっと早く参加したかったのですが、侍女に止められてしまって……」


 遠目にも目立つ少女だったが、近くで見るとますます彫刻めいた美しさが際立つ。


 すっと通った鼻梁に、涼しげな翡翠色の瞳。

 あらゆるパーツが完璧な形で、あるべき場所に収まっている。

 肌は透けるように白くて、ほっそりとした佇まいは月の女神みたいだ。

 身につけたアクセサリーのひとつひとつまで洗練されていて、光の衣を思わせるカナリア色のドレスが、その優美さに拍車を掛けていた。


「よし。じゃあ、魔力を練ってみてくれるか? ゆっくり呼吸を繰り返して」


 すると、フェリスの顔に緊張が走った。


 疑問に思うよりも早く、フェリスは小さく頷いた。


 目を閉じて、深い呼吸を繰り返す。


 俺はその魔力回路に目を懲らした。


「これは……」と、思わず呟く。


 回路がひどく見えづらい。


 金色の脈がかすかに通っているが、明らかに光が弱い。


 そういえば目通りの儀の時も、魔力が異様に少なくて気になっていたのだ。


「うーん」


 俺が漏らした呻きに、フェリスがたじろぐ。


 すると、ただでさえ消え入りそうな魔力回路が一層頼りなくなった。


「ちょ、と、と、大丈夫、怖くない、怖くないよ」


 慌てて声を掛ける。


 他にも魔力が細い姫はいるが、フェリスは飛び抜けて不安定だ。


 魔力とは生命の根源、すなわち生命力。

 こんなに魔力が少ないのでは、下手に魔術を使えば命に関わる危険がある。


 あと、色が金色なのが気になる。

 一体何の属性何だろう。

 土属性の黄色ともちょっと違う気がする。


 さらに目を懲らす。


 ……どうも腰のあたりで、魔力の流れが滞っている。


「フェリス。腰に、何か着けてるか?」

「え? あ、は、はい。あの……コルセットを……」

「なるほど、コルセット」


 って、なんだっけ?


 首をひねっていると、フェリスの侍女が耳打ちしてくれた。


「腰を細く見せる装具です。王都で流行っているのです。きつく締めれば締めるほど、女性らしいシルエットになると」


 なるほど。魔力の流れが滞るわけだ。


「よし、脱ごうか」

「!?」


 フェリスはおろおろとしていたが、やがて意を決したように向き直ると、おもむろにドレスをはだけようとした。


「ろ、ロクさまが、そうおっしゃるなら……」

「あ、ごめん、今じゃなくていいよ」


 慌てて止めると、フェリスは「えっ」と真っ赤になって固まった。


 はだけかけているドレスを、侍女がシャッ! と直す。


「ええと、あとは……ごはんはちゃんと食べられてるか? 夜は眠れてる?」

「え、あ、あの……私……あまり、その……」


 フェリスは胸元をぎゅっと押さえてうつむく。


 フェリスは魔力回路もそうだが、身体そのものが細い。


 『心身の健康は、魔術の素養に直結する』というのが、姫たちを指導する内に俺が得た持論だ。


 この様子からすると、おそらく食事も睡眠も充分にとれていないのだろう。


 萎縮するフェリスに、俺はできる限り優しく声を掛けた。


「そんなに緊張しないで。俺にも、敬語とか使わなくていいから。何か困ったことがあったら、すぐに相談してほしい」

「はい――ええ」


 あと、今できそうなことは……


 難しいかもしれないが、試してみよう。


「ちょっとごめん」


 手を取ると、フェリスはびくりと身をすくめた。


「な、なに?」

「俺の魔力を注ぎ込んでみる。もし体調が悪くなったら言ってくれ」

「え? 魔力を?」


 細く息を吐きながら、できる限りゆっくりと魔力を流し込む。


 が、開始して数秒。


「ま、待って。なんだか、ふわふわして……」


 魔力酔いを起こしたらしい。


 ふらふらしているフェリスを、慌てて座らせる。


 やはり魔力を受け入れる器そのものが小さいようだ。


「ごめん、辛かったな」


 謝ると、フェリスは首を振った。


「そんなことない! 温かくて、気持ちよくて、もっとして欲しかった。なのに……」


 細い肩を落として、すっかりしょげ返っている。

 まるで寄る辺のない迷子のようだ。


「やっぱり、私には無理なんだわ……」


 消え入りそうな呟きに、胸が苦しくなる。


 その一言だけで、この子がどれほど傷ついてきたのかが伝わってきた。


 フェリスの生家――アルシェール家は魔術の名門。


 そんな家系の中で魔術を使えないとなると、辛い目に遭ってきただろうことは想像に難くない。


 どんな過去があったとしても、後宮ここでは笑っていてほしい。

 どこにも帰る場所がなく、流浪を繰り返してきた俺が、後宮のみんなに受け入れてもらってようやく救われたように、みんなが心から安心して居られる場所にしたい。


 この子のために、何ができるだろう。


(魔力回路を活性化させる方法か……)

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