第66話 シャロット
◆ ◆ ◆
「魔族……」
リゼが息を呑む。
俺は
茨を撚り合わせたような、異様に長い手足。薔薇の蕾を象ったような細長い頭。そして血のように赤い双眸――
『私の幻惑を打ち破ったか。あのまま深い夢に堕ちていれば、苦しまずに済んだものを』
黒い蝶が飛び交う花園で、悠然と笑む。
その姿に、直感が告げる。
「『
『ほう。どこで私の名を?』
俺は応えず、
フェリスたちも武器を構える。
しかし、ラムダは俺たちから興味を失ったようにリゼへと視線を移した。
リゼを舐めるように見渡して、満足そうに目を細める。
『ああ、深く混ざっているな。魔の種子をそこまで育ててなお、人の形と自我を保っていられるとは。それでこそ花嫁に相応しい』
ラムダが踏み出す。
俺はその首目がけて、
光の刃が届く直前、蝶が群がった。
バチッ! と火花が弾け、白銀の光が相殺される。
「!」
赤い瞳がぎょろりと俺を捉えた。
『なるほど、勇者の加護を得ていたか』
「……リゼに手を出すな」
歯の間から低い唸りを押し出すと、ラムダは真っ赤な口を吊り上げて笑った。
『哀れな男め。教えてやろう。この女は魔王様の花嫁となり、混沌の母胎となるのだ』
「混沌の、母胎……?」
妙に血潮が騒いだ。言い知れない嫌悪が胸に兆す。
ラムダは恍惚と、茨で編まれた両腕を広げた。
『世界はかつて混沌から生まれ、大気は瘴気とエーテルに別れた。魔族と人間、精霊、大地……分かるか。全ては元々ひとつだったのだ。そして魔王様は、この世界を再び混沌に戻そうとしておられる』
黒い花園から立ち上る甘やかな香りが、脳を揺さぶる。
『魔王様と人間が交わることで、混沌は産み落とされる。そのためには、人の魔力を持ちながら、魔王様の瘴気に耐えられる花嫁が必要なのだ。だから我々は、豊富な魔力を持つ人間の娘に『魔の種子』を植え込んで育てるのだよ』
「……!」
アンベルジュを握る手がぎしりと軋んだ。
ラムダが『ただ』と喉の奥で笑う。
『魔の力は、脆い人間の身には強すぎる。種子を植え込まれた娘のほとんどは醜く腐り果てる。だが、数百年、数千年に一度、耐えうる器が現れる。人の身でありながら魔と混じり合い、融合した、至高の器――』
赤い双眸が興奮を湛えながらリゼを映し出す。
『そう、お前こそが、我らが待ち望んだ花嫁――混沌の母胎に他ならない』
漆黒の手が差し出される。
『我らが王を受け入れ得る、開闢の花嫁よ。そして新世界の母よ。さあ、共に魔王の元へ』
しかしリゼは震えながらも、燃える瞳でラムダを睨み付けた。
「私はロクさまの神姫。身も心もこの方に捧げました。他の誰のものにもなりません」
ラムダは面白そうに目を細める。
『ならば、力尽くで手に入れるまで』
ラムダの纏う殺気が膨れ上がる。
俺は腰を落としてアンベルジュを構え――
『……いや、待て。せっかくの客人だ。特別に面白いものを見せてやろう』
ラムダの隣に、茨の塊がせり上がった。
弾指と共に茨が解ける。
中には、黒い影が蹲っていた。
『ヴヴ、ヴ……』
地を這う呻きに、リゼがはっと耳をそばだてる。
『これは、人でも魔でもないもの。お前のなり損ないであり、私が八年の歳月を掛けて作り上げた芸術品だ』
――闇で塗りつぶしたような漆黒の肌。地面を引っ掻く長い爪。光を失った赤い瞳。
まるで人間と魔族を練り合わせたような黒い塊に、ラムダは愛おしげなまなざしを注いだ。
『無様で醜悪。不均衡にして邪悪。愛おしい作品ではあるが、
「ラムダ……!」
腹の底で灼熱の怒りが渦巻く。
ラムダを睨み付ける俺の前に、黒い塊が立ちはだかった。
『ヴァ、アァ……ァ……』
崩れかけた頭を不安定にのけぞらせ、嗚咽とも苦悶ともつかない声を上げる。
リゼが、掠れた声で呟いた。
「――……シャロット?」
息が止まる。
振り返ると、リゼが立ち尽くしていた。
黒い人影に釘付けになったその瞳は、絶望に染まっていて。
「まさか……」
フェリスが息を呑んだ。
うなじがざわりと逆立つ。
あれが、リゼが捜し続けた、妹の姿……――?
『何だ、知り合いか? 奇妙な縁もあるものだな――』
ラムダが楽しげにリゼを見詰め――ぴくりと、片目を歪めた。
『……そういえば八年前、泣きながらコレを守ろうと私の前に飛び出した、愚かな人の子がいたな。……お前、あの時の……?』
リゼを映す赤い瞳が興奮に彩られ、やがておぞましい哄笑が弾けた。
『は、はは。はははは! そうか、お前か! 大した魔力もなかったので、戯れに『魔の種子』を植え込んで打ち捨てたが……そうか、
「ああ、シャロット……そんな……そん、な……」
悲痛な悲鳴が胸に突き刺さる。
ラムダはその絶望すら味わうように舌なめずりした。
『そうか、シャロットというのか。可哀想に、魔の力に侵され、苦しみ悶えながら、何度もお前の名を呼んでいたぞ』
「あ、ぁ……!」
へたり込んだリゼを背に庇って、俺はラムダを見据えた。
「ラムダ、お前……!」
ラムダは楽しげに茨の指を擦り合わせる。
『またとない舞台が整ったのだ。お前の大切な妹に、仲間を切り刻ませるのも一興』
ラムダが指を鳴らした瞬間、リゼの足下から茨が生え、鳥籠のように閉じ込めた。
「リゼ!」
『お前は大切な器だ、そこで大人しく見ているがいい』
ラムダが腕を持ち上げ、俺たちを示した。
『行け、私の可愛い
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