第65話 黒い花園


 森を抜けて、街道の分かれ道に立つ。


「オレたちは旅を続けます。何か新しい情報を掴んだら届けましょう」

「ありがとう」


 互いに瞳を見詰め、握手を交わす。


「また会おう」

「はい。どうか、お元気で」


 奏たちと手を振って別れた。


 遠ざかる二人の姿を見送りながら、ティティが「いい人たちだったね」と笑う。


 フェリスが頷いた。


「最初は驚いたけれど、気がついたら、何年も前からお友だちだったように打ち解けていた……不思議な方だったわ」

「ねこちゃん、お菓子をくれた」


 サーニャはいつの間にかパルフィーと仲良くなっていたらしい。お菓子の包みを手にして嬉しそうだ。


 ふと隣を見ると、リゼが俯いていた。


「リゼ?」


 返事はない。


 不意に吹いた風に、リボンがなびく。


 草のざわめきが鼓膜を撫で、昨夜聞いた奏の言葉が蘇る。


『もし彼女が成功例・・・なのだとしたら……より過酷な運命を辿ることになる』


 どこか茫洋としたリゼの双眸は、地の底を覗き込んでいるようだった。


 目を離せば、そのまま儚く消えてしまいそうで。


「リゼ……」


 俺は、リゼに手を伸ばし――視界を、黒い蝶が横切った。





 ◆ ◆ ◆





 先代勇者が、伸びやかに手を振る。


 その仕草は、最初に見た時の大人びた――あるいは覚悟を背負った姿とは違い、年相応の少女に見えた。


 その隣に佇むパルフィーの表情も、どこか柔らかくなっていて。


 リゼは、主の穏やかな横顔を見詰めた。


 ――きっとこの方が、あの二人の心を救ったのだ。


 自分たちを救ってくれた時と同じように、柔らかな声で、真摯な言葉で、温かいまなざしで。微かな声に耳を傾け、寂しさに寄り添い、後悔を解き放ち――その存在ごと、優しく包み込む。それぞれが抱えた欠落さえも愛して、そのままでいいのだと背中を押してくれる。


 雲間に差し込む光のような人。


 暗闇を彷徨う人々に、息をするように手を差し伸べる人。


 自分は――と、胸に冷たい影が過ぎる。


 自分は力になれているだろうか。あなたの隣に相応しいのだろうか。


 ロクの肩口に目が留まる。


 服に刻まれた縫い目が、昨日の戦闘の記憶を蘇らせて、胸がじくりと湿った痛みを訴える。


 自分は役に立てなかった。ロクを守り切る事が出来なかった。


 大切な主に怪我を負わせ、愛するその身を危険に晒してしまった。


 神器を持つ手に、ぎゅっと力を込める。


 盾は沈黙を保っている。


 神姫の声は聞こえない。


(私が……)


 幼い頃から囁かれ続けた言葉呪いが、耳に蘇る。


(私が、悪魔の子だから……――)


 アザの走る腕をぎゅっと抱く。


 草原を渡る風は夏のにおいをはらんでいるのに、寒くて凍えてしまいそうだった。


「ロクさま、私……――」


 リゼは主を振り仰ごうとし――


 黒い何かが、視界をひらりと横切った。


 漆黒の蝶だ。


「……――」


 息が止まる。


 知っている、と胸の奥で何かがざわめいた。


 あの蝶を知っている。


 いつだろう。そう、ほんの幼い頃に、シャロットと見たのだ。


 あの時――


『ねえさま、ちょうちょ! くろいちょうちょ!』


 蝶を追いかける妹の姿が、脳裏に蘇る。


「待って……――」


 蝶に手を伸ばした時、足下からぶわりと無数の花弁が舞い上がった。


「っ……!」


 たまらず閉じた目を、ゆっくりと開く。


「え……?」


 そこは美しい花園だった。


 色とりどりの花が風に揺れている。葉は瑞々しく茂り、露に濡れた柔らかな花弁から、脳が痺れるような甘い香りが立ち上る。


「ここは……」


 咲きこぼれる花畑の中に、小柄な影があった。


「シャロッ、ト……?」


 我知らず、声が零れる。


 小さな人影が振り向いた。


 淡いくるみ色の柔らかな髪。おっとりと大きな、はしばみ色の瞳。透けるように白い肌――


 それは紛れもなく、八年前に生き別れ、捜し続けた妹だった。


「シャロット!」


 悲鳴のように叫んで、駆け出す。


 両手を広げ、小さな身体をかき抱いた。


「ああ、シャロット! 会いたかった!」


 涙を堪えて振り向く。


「ロクさま! シャロットが――」


 振り向いた先には、誰もいなかった。


「……ロク、さま……?」


 見渡す限りの無人の花園に、乾いた風が吹く。


 美しい花々がいっそう強く香り、頭に黒い靄が掛かった。


 言い知れない焦燥が胸を焦がす。


「ねえさま」


 腕の中から、声がした。


 冷たく刺すような声が。


「あの時、なぜわたしを置いていったの?」

「……シャロット?」


 腕に抱いた妹の身体は、氷のように冷たかった。


 虚ろな瞳がリゼを見上げる。


「なぜ、わたしを見捨てて逃げたの? なぜねえさまだけが幸せになるの? わたしはずっと苦しかったのに。こんなにも助けを求めていたのに」

「あ……あ、ぁ……!」


 白い手が、頬へと伸びる。


 背中に刻まれたアザが、ざわりと騒ぐ。


「許さない」


 むせかえるような甘い香りが立ち上った。


 息ができない。声が出ない。


 底の見えない双眸が、意識を絡め取って深淵へと引きずり込む。


「来て、ねえさま、私のところへ。一緒に地獄へ堕ちましょう」

「シャロッ、ト……」


 視界が霞み、妹の姿が醜く歪む。


 得体の知れない黒くおぞましい何かが、リゼを呑み込もうと足下から這い上がり――ふわりと、金色の光が差し込んだ。


 はっと顔を上げる。


 花園に、細かな粒が降り注いでいた。


「金の砂……?」


 それは金色に透き通る砂だった。


 黄金の雨を浴びて、鮮やかな景色が塗り替えられていく。


 極彩色の花畑から、黒く波打つ茨へと。


 風に乗った砂がシャロットの上に落ち――その姿が崩れ始めた。


「ああ……!」


 妹だったものが黒く腐り果て、風に溶けていく。


「シャロット、いや、行かないで……シャロット……!」


 リゼは風に舞う欠片へと手を伸ばし――


 その手を握るものがあった。


「リゼ!」


 懐かしい声に、はっと目を開く。


 温かな手が意識を引き戻す。


 気がつくと、黒く深い双眸が覗き込んでいた。


「ロク、さま……」


 愛おしい人の姿に、言い知れない安堵が広がる。


「ロクさま……!」


 その首に腕を回して抱き締めると、ロクは「良かった」と力強い腕で背中を支えてくれた。


「私、一体……?」


 涙で濡れた瞳で見詰めると、ロクは手の中のガラス瓶に目を落とした。


「幻惑だ。精霊王にもらった『賢者の砂』に助けられた」


 傍では、フェリスたちも蒼白な顔で辺りを見回していた。


「ここは……」


 広がるのは、禍々しく果てのない、一面の黒。


 どこまでも続く茨の海に、漆黒の蝶が飛び交っている。


 その中から。


『ああ、来たか』


 声がした。


 低くひび割れた、おぞましい声が。


『待っていたよ、開闢の花嫁』





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