第111話 はじまりの光
魔王が赫眼を見開く。
『馬鹿な! それは、その魔術は、貴様らのような不完全な生き物に――人の身に扱えるものではない!』
そうだ。
完璧な人間なんていない。
あの日俺は、何も持たずにこの世界に召喚されて、真っ白な地図に、彼女たちと共に、一歩一歩足跡を刻んできた。
どうしようもなく不完全な、何も持たない俺だったからこそ、多くの人の力を借りて、ここまで来ることができた。
「――《混沌より生まれ落ち、あまねく元素を司る、原初の輝きよ。万物の礎よ》――」
――人が至るのは不可能とされた、全ての魔術の原点。
今なら分かる。
《人間には不可能》なのではない。《人間だからこそ可能》なのだ。
「――《我が無限の器を依代に、刻を超え顕現せよ》――」
俺が唯一持つ力、『魔力錬成』――
生命の礎を成す力を通して。少しずつ。
俺を信じて戦う人たちの
共に歩んでくれた神姫や、神器たち。旅先で出会ったたくさんの人々。
温かく、優しい魔力が――みんなと歩んできた旅路が、俺を支えてくれる。
「――《我は持たざる者、力なき者、授からざる者にして、唯全てを迎え入れる器――混沌をも湛える、悠久の杯なり》――」
受け取った魔力を束ね、
火、水、風、土、雷、光、毒、氷雪――自然を司り、万物の根幹を構成する元素。
多くの人の想いが、力が。
全ての
――思えば全ては、みんなと共に
「――《根源、原初、故に無限。混沌より生まれし開闢の光よ、今その大いなる輝きを以て、我が器を満たせ》――……!」
抜け落ちていた最後の
共に歩んだ道の果て。
みんなと紡ぎ、繋いできた力が、最強へと至る。
俺は焼け爛れた右手を
「無窮より来たれ――『
大輪の光彩が天を彩る。
世界のはじまりと共に生まれた、創世の光。
鮮やかに大地を照らすそれは眩く、美しく。
あの日みんなで打ち上げた花火のように。
「あまねく生命を祝福する、はじまりの光よ。闇を打ち砕き、今その輝きを世界に示せ!」
そして。
眩い光が地平線を染め上げ、天から降り注いだ極彩色の閃光が、光の槍となって魔王の身体を貫いた。
『が、ぁっ……!』
無数の光に貫かれて、恐怖の頂点に君臨しつづけた王が、濁った呻きを漏らす。
その全身に罅が走り、炎を纏う脚がよろめいた。
血に濡れた双眼が、底知れない光を放つ。
『まだ、だ……まだ……! 貴様ら弱く、脆く、哀れな
掠れた怨嗟と共に、その身に纏う瘴気が膨れあがる。
「『
リゼが叫び、魔術の花が咲くと同時、黒い嵐が噴き付けた。
「ッ、く……!」
障壁を隔ててなお、凄まじい瘴気が吼え猛る。
逆巻く雷撃の向こうで、魔王が手をかざした。
ひび割れた手に、黒い光芒が集束する。
「させるか……!」
俺は地を蹴って
白銀の刀身が、魔の力を纏って燃え上がった。
灼熱の炎が肺を焼き、瘴気の刃が肉を削る。
それでも膝を折るわけにはいかない。
荒れ狂う嵐を斬り裂き、前へ進む。
俺たちは知っている。もしも奇跡が起こるとしたら、諦めることなく紡いだ一歩、その先にあることを。
魔王の顔が引き歪む。
その心臓に、白銀に煌めく切っ先が、届く。
――人々の声が、祈りが、想いが。
全てを賭した一撃が、魔王を貫いていた。
『……――』
全ての音が凪いだ、その中心。
そうか、と、北の果てに千年眠り続けた王は呟いた。
『我は、貴様らの弱さに、負けたのか』
恐怖の形が揺らぎ、ほどけ、崩れ落ちる。
その影が溶け去る間際。赤い瞳が嗤った。
『共に墜ちろ、道連れだ』
足が、どぷりと暗い泥に沈んだ。
黒い無数の腕に絡め取られ、深い深淵の底へと堕ちていく。
「ロクさま!」
リゼが手を伸ばす。
その手を掴もうとして、気付く。
指先ひとつ動かない。
それでも、まだ、斃れるわけには……――
『貴様の役目は終わった。もはや愛する者の手を掴む力さえ残ってはいまい』
地の底から、福音にも似た声が誘う。
『千年前、貴様の魂に刻んだ我が烙印──放浪の呪い。久遠の呪いによって、貴様はこの世界から弾かれて異界に彷徨い、その善性ゆえに理解されず、神聖さゆえに恐れられ排除され、優しさゆえに利用され打ち捨てられ、地獄の輪廻を流転し続けた』
低く穏やかな声が傷付いた身の内側を柔らかく苛み、心の奥深くに刻まれた傷口を甘く融かしていく。
『千年もの永きに亘る絶望の旅を超え、よくここまで辿り着いた。あらゆる世界に拒絶され、愛するものは悉く奪われ、それでも己以外の誰かのために身を尽くしながら、たった一人孤独を彷徨い続けた、哀れな男よ。──我が赦そう。貴様はもう、斃れてもいいのだ』
ああ、とため息のように想う。
最初から分かっていた。
俺は、魔王を斃すために。ただその為だけに、この世界に喚ばれた。
『終わりにしよう。共に還ろう。永久に続く、安寧の地へ』
彼女たちと過ごす時間は、俺にはもったいないくらい、幸せで。
夢のような日々を過ごしながら、心のどこかで、ずっと考えていた。
願わくば、俺がいなくなった後も、この世界に笑顔が咲き乱れるようにと。この身を使い果たして、彼女たちの笑顔を守れるなら――彼女たちの大切な居場所を守れるなら、それでいいと。
けれど。
頬に、ぽつ、と温かい雫が落ちた。
「いやです」
暁の乙女が、真紅の瞳に涙を溢れさせながら、手を差し伸べる。
「私たちの幸せの真ん中では、ロクさまが笑っていてくださらなくては、いやです」
闇に差し込む優しい光が、俺を包み込む。
そうだ。
一緒に幸せになろうと約束した。
――俺には、帰る場所がある。
俺は絡みつく影を振りほどき、眩い光へと手を伸ばした。
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「は、ッ……はぁ……っ」
焼け爛れた肺を喘がせながら、しがみつくリゼの身体を抱く。
既に魔王も闇の傀儡も消え去り、乾いた大地に、ただ風だけが鳴いていた。
フェリスが天鏡を見上げ――呆然と呟く。
「そんな……魔物の暴走が……」
魔物たちの歩みは止まらない。
クレーターの底。王を失った玉座が大地へと溶け、脈を伝って広がっていく。
その瘴気を吸い上げて、群れは一層荒れ狂い、命あるものを踏みしだき、あらゆる文明を破壊しようと牙を剥く。
死してなお機能する呪い。
命を殺戮するためだけに残された、終末装置。
──千年前の勇者が、なぜ魔王にとどめを刺すに至らず、封印のみしか成し得なかったのか、今なら分かる。
己を剣として、全てを賭して決戦に挑んだ千年前。
けれど、今は。
今の俺には、みんなから受け取った力がある。
みんなから預かった力がある。
永く遠い輪廻の果て、俺が何の力も持たず再びこの地に召喚されたのは、愛する少女たちに支えられ、多くの人の力を借りてここに立つため。
俺に与えられた、ただひとつのスキル──あまねく魔力を操る力は、きっと、このために。
俺は剣を突き立て、枯れた喉から声を押し出した。
「俺を、玉座に、連れて行ってくれ」
「でも、ロクちゃん、目が」
震えるティティの声に笑う。
「大丈夫。ちゃんと視えてる」
リゼたちの泣き顔も、みんながまだ、俺を信じて戦っているのも。
だからこそ、まだ斃れるわけにはいかない。
リゼたちの手を借り、崩れそうな身体を引きずって歩く。
玉座があった場所。
クレーターの中心に、重たい瘴気が蟠っていた。
澱のような黒い呪いが、大地を侵食していく。
俺はその中心に、手のひらを当てた。
「全部還すよ。これは、君たちの力だ」
焼け爛れた手を通して、魔力が大地に流れ込む。
ふ、と風が凪ぎ、淡い光が舞い上がった。
みんなから預かった魔力が、黄金の生命の川となって、地脈へと還っていく。
感覚さえ朧な俺の右手に、リゼの柔らかな手が重なった。
ティティが、サーニャが、フェリスが。
俺を支え続けてくれた手を、重ねてくれる。
心臓から、温かい
海へ、大地へ、この世界へ。
目を閉じて、小さく笑う。
「力を貸してくれてありがとう。俺を受け入れてくれて、ありがとう」
◆ ◆ ◆
遥か遠い大地。
一人の神姫が、泥に汚れた顔を上げる。
雲が晴れ、大地が眩く輝いていた。
魔物の群れが断末魔を上げながら消失し、傷が癒えていく。
瘴気に覆われていた地面に光が溢れ、金色の粒子が舞い上がる。
大陸中の人々が空を仰いだ。
「これ、は……」
遠く離れた故郷でシャロットが目を見開き、辺境の地でマノンが小さく呟く。
「ロクさまの、魔力……?」
全身に巡る、温かい魔力。優しい力。
このぬくもりを知っている。
ずっと側に居てくれた光。
どこまでも優しく、胸の底を温かく照らす光。
戦い抜き、疲れ果てた身体を深く満たす柔らかなぬくもりに、なぜか涙が溢れた。
◆ ◆ ◆
雲の切れ間から光が差し、霞む視界に、精霊たちが楽しげに憩う。
俺は潰れた肺から微かな息を押し出て、笑った。
「ごめん。もう、一歩も、動けそうにない」
フェリスが声を詰まらせ、ティティが胸に縋り付く。
サーニャが優しく髪を撫でてくれた。
俺が初めて零した弱音を掬い上げるようにして、リゼが俺の頬をそっと包んだ。
「ここにお花を植えましょう。みんなでおうちを建てましょう。ロクさまの居る所が、私たちの帰る場所です」
出会った時と同じ、暁色の双眸を柔らかく細めて、少女は泣きながら笑う。
「ありがとうございます、私たちの、ただ一人の勇者さま」
遠く、長い旅路の果て
みんなで辿り着いた、最果ての地。
「愛しています。私の全てを賭けて」
優しい微笑みと共に、柔らかな唇が重なる。
空っぽになった身体に、温かい魔力が流れ込んだ。
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