第三部
第70話 黎明の旗
色とりどりの花が咲き誇る庭や、豪奢な建物が連なる壮麗な宮殿――後宮。
その最奥、神器が祀られている聖廟で。
後宮の神姫たちが息を詰めて見守る中、幼い少女が佇んでいる。
少女――シャロットは指を組み、静かに目を閉じていた。
神聖な祈りを捧げるように。
やがて神器の一角から、光の粒子が立ち上った。
淡い光がシャロットの前に集まり、形を成す。
現れたのは、気高く翻る、流麗な旗。
剣と薔薇の紋様を掲げた旗は、眩く輝きながら解け、金色の腕輪となってシャロットの手首に巻き付いた。
神姫たちが歓声を上げ、喜びに上気した顔が、ぱっと振り返る。
「ロクにいさま!」
子うさぎのように駆けてくるシャロットを、俺は両手を広げて抱き留めた。
「やりました! 神器さまが、力をお貸しくださいました!」
「ああ、よく頑張ったな」
淡いくるみ色の髪を撫でると、シャロットは嬉しそうに笑った。
シャロットが後宮に来て一ヶ月。
魔族の軛から解き放たれ、新たに仲間に加わったシャロットは、「わたしもはやく力になりたい、みなさまのように、ロクにいさまのおそばで戦いたい」と懸命に勉強に励み、魔術を鍛えていた。
その一途な想いに、神器が応えてくれたのだ。
きらきらと煌めく瞳が、俺を見上げる。
「これでシャロも――わたしも、ロクにいさまのお力になれますか?」
兄が三人いるせいか、シャロットは俺のこともにいさまと呼んで慕ってくれていた。
妹が出来たようで、くすぐったくも嬉しい。
「もちろん。頼りにしてるよ」
シャロットは頬を染め、あどけない笑顔を咲かせた。
丸く大きなはしばみ色の瞳に、淡いくるみ色の髪。ふんわりと広がる白い花びらのようなスカートが、無垢な可愛らしさを引き立てている。
本来はリゼの一つ下なのだが、魔族に囚われていたことで成長が遅れているらしい。
最年少のシャロットは後宮の姫たちに可愛がられ、マスコット的存在になっていた。
神姫たちが祝福の声を上げる。
その先頭で見守っていた、天使のように愛らしい少女――リゼが駆け寄った。
「すごいわ、シャロット! おめでとう!」
姉妹が手を取って喜び合う。
ひとしきり喜ぶと、リゼは表情を引き締めた。
「良いですか、シャロット。ここからがスタートラインですよ。神器に眠る初代神姫さまに認められ、真の力を引き出してこそ、ロクさまにお仕えする一人前の神姫です」
「はいっ! シャロ、がんばります!」
シャロットははしばみ色の目をきらきらと輝かせて姉を見上げる。
その姿は喜びに溢れ、リゼと笑い合う様子は、麗しい絵画のようだ。
魔族に引き裂かれた八年の時を経て、ようやく取り戻した平穏な暮らし。
辛い想いを重ねた分だけ、
そのために俺が出来ることは何でもしよう。これまで彼女たちが離れ離れになっていた時間を、少しでも埋められるように。
静かに胸に誓っていると、リゼが膝を折った。
「ロクさま、本当にありがとうございます。シャロットと共にお仕えできること、とても嬉しく、誇りに思います」
亜麻色の髪がふわりと揺れる。
花の精かと見紛うほどの清らかさと可憐さに目を細めながら、俺は頷いた。
「お礼を言うのは俺の方だ。これからも頼りにしてるよ」
リゼは「はいっ」と嬉しそうに笑った。深い真紅を湛えた瞳が、
ふと、耳にしゃがれた濁声が蘇った。
『その女こそが、魔王様の求める『開闢の花嫁』――魔の種子を持つ花嫁と交わり、世界を混沌に返すことこそが、魔王様の悲願なのだ』
リゼの背中に刻まれたアザ――『開闢の花嫁』の刻印。魔王への生贄の証。
魔族ラムダが消滅しても、リゼの
おそらくリゼに植え込まれた魔の種子は、リゼの
「……――」
俺は遙かな北の果てへ想いを馳せた。
千年前、北の地に封じられ、今なお覚醒の刻を待ち続けているという魔王。
魔族を統べ、生き物の営みを脅かし続ける、全ての元凶。
いずれ遠くない未来に、対峙する刻が来る。いや――
重たい予感に拳を握り込んだ時、ロクにいさま、と鈴を転がすような愛らしい声が俺を呼んだ。
「
小さな手が俺の手を引く。
無邪気な笑顔に、胸の奥で蟠っていた重さがふっとほどける。
今もこの世界には、シャロットのように、魔族に苦しめられている人々がいる。
リゼを救い、人々を救う――この世界に、平和を取り戻す。もう、誰も苦しむことがないように。泣かなくていいように。
そのために出来ることを、ひとつずつ重ねていこう。
決意を新たに、俺は笑顔で待つ神姫たちの元へ踏み出した。
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本日より更新を再開いたします。
優しい勇者と神姫たちが紡ぐ新たな旅路、温かく見守っていただけますと幸いです。
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