第71話 古代魔術



 後宮の広場。


 木々は鮮やかに色づき、吹き抜ける風には微かに冬のにおいが混じる。


 淡く澄んだ空に、神姫たちの声が響いた。


「『炎天鳥ファイア・バード』!」

「『風乱斬エアー・スラッシュ』!」


 炎の鳥が舞い上がり、風が渦巻きながらぶつかり合う。


 別の一角では石つぶてが宙を裂いて、水の球が弾ける。


 魔術の光が咲き乱れる中、俺は地面に膝を付き、シャロットの背中に手を添えていた。


「いいか、シャロット。しっかり的を見て。空気中のエーテルを、胸いっぱいに吸い込むんだ」


 シャロットは「はいっ!」と幼い表情を引き締め、深い呼吸を繰り返した。


 小さな身体に清らかな魔力が巡る。


「上手いぞ。今度は手のひらに意識を集中して。――今!」

「『氷乱斬アイス・スラッシュ』!」


 凜と通る声と共に、薄氷の刃が乱舞し、的を切り刻んだ。


 周囲で見ていた神姫や宮女たちが歓声を上げる。


「すごいな、シャロット」


 頭を撫でると、シャロットは「ありがとうございますっ」と嬉しそうに顔を輝かせた。


「はやくおねえさまがたに追いつけるように、がんばります!」


 小さな身体には、透き通る雪のような色をした魔力がきらきらと煌めいている。


 魔術には、火、水、風、土の四元素の他、雷や毒、光といった特殊な属性があり、人によって生まれつき相性の良い属性があるが、シャロットは氷雪属性だ。


 豊かな魔力に加え、リゼや神姫たちをお手本にして、どんどん成長していく。


「シャロットさまに、情けないところは見せられませんわ! 私も頑張らなくては!」


 他の姫たちも、負けじと魔術の特訓に励む。


 俺がこの世界に召喚されてから――魔術講師として彼女たちに魔術を教えるようになってから八ヶ月。みんな次々に才能を開花させていく。


 大陸中から身分問わず集まった少女たち、宮女や侍女含め四百余名。麗しい後宮部隊は、魔族の脅威から王宮防衛を果たして以来、数え切れないほどの魔物たちを鎮圧し、ダンジョンを制圧し、多くの村や町を救ってきた。


 かつては掃きだめなどと揶揄されていた後宮だが、今や一人一人の実力は既に宮廷魔術士を遥かに凌ぎ、連携と統率の取れた戦いぶりは神話の再来との呼び声も高く、後宮部隊の名は大陸中に轟いている。


 魔族に対抗しうる武器、神器を手に入れた彼女たちは今、神器の真の解放を目指して、日々魔術を磨いていた。


 今のところ、神器解放に至ったのは、リゼと、もう一人――


 広場を見渡すと、剣を構えた姫たちを優しく指導する、細身の少女の姿があった。


「もっと腰を落として。そう、上手よ。しっかり的を見据えて、体幹を意識するの」


 フェリスだ。


 彫刻のように整った相貌に、切れ長の翡翠色の瞳。


 絹のような金髪をなびかせながら、剣を構えた厨房番キッチンメイド部隊を指導している。


 細い手に流麗な魔導剣レイピアを携え、凜と頭を擡げたその姿は、気高い月を思わせた。


「ロクさま」


 フェリスは俺の視線に気付くと、顔を輝かせて駆け寄ってきた。


「調子がよさそうだな」


 フェリスは「おかげさまで」と微笑んだ。


「昨日、ロゼスさまからお手紙をいただいたの」


 ロゼスは魔導剣を鍛えてくれた鍛冶師だ。


「新しくお弟子さんを取ったらしいわ。リリーさんとも、上手くやっているみたい。今度、新作を送ってくださるそうよ」

「そうか、元気そうで何よりだ。良かったら次の休み、王都に出ないか? 一緒にお礼の品を選ぼう」

「ええ、ぜひ」


 涼やかな美貌がぱっと喜色に染まり、金色の魔力が眩く煌めいた。


 フェリスは小さい頃から身体が弱く、魔術が使えず苦しんでいたが、今は雷属性を示す黄金の魔力が、その身を豊かに巡っている。


 細い腕に輝く神器――『春雷の籠手シャンディエ』を見ながら、俺は口を開いた。


「フェリスに大事な話があるんだ」

「えっ」


 頬を染め、揺れながら俺を見つめる翡翠色の瞳を、まっすぐに覗き込む。


「フェリスに、小隊を任せたい」


「私に?」と驚くフェリスに頷く。


「ここ数ヶ月、大陸中でダンジョンの発生報告が相次いでる。魔物の動きも活発化して、被害が広がってる。これから先、後宮部隊をいくつかに分けて攻略に赴く必要もあるだろう。フェリスには神姫たちを率いて、別働隊として動いてもらいたい」


 フェリスの剣の腕はますます冴え、今や宮廷に仕える近衛騎士を凌ぐほどになっている。故郷であるガーランド奪還戦では五百名の兵士を率い、覚醒した神器を用いて見事に海獣ケートスを撃破した。


「フェリスになら任せられると思ったんだ。頼まれてくれるか?」


 フェリスは頬を上気させ、胸に手を当てて膝を折った。


「とても嬉しいわ。ロクさまにお仕えする神姫として、必ずやご期待に応えてみせます」

「ありがとう、頼りにしてるよ」


 フェリスは花のように麗しくはにかんだ。


 姫たちの魔力を視ながら歩く。


「『水強弓アクア・シュート』!」


 元気な声に振り返る。


 ティティだ。


 ちょうど蒼い弓から放たれた魔術の矢が、的の端を掠めたところだった。


「あれぇ? なんか調子出ないなぁ」


 首を傾げるティティに歩み寄る。


「もうちょっと待ったほうが良さそうだな」

「ロクちゃん!」


 愛らしい顔に笑顔が弾けた。子犬みたいな嬉しそうな姿に、つられて笑ってしまう。


 お団子に結った髪に、蒼く煌めくアクアマリンの瞳。


 いつでも元気いっぱい、眩い生命力に満ちたその姿は、無邪気な小動物を連想させる。


 魔術の腕も順調に上がっていて、ダンジョン攻略では一級の狙撃手弓姫として仲間のピンチを幾度も救ってきた。


 今日も蒼い魔力はぴかぴか光って絶好調だが、欠点があるとすれば、少しムラがあるところか。


「もう一度撃ってみてくれるか?」

「うん!」


 ティティが再び、的に向けて神器を構える。


「もう少し上かな」


 背後から手を添えると、ティティが「わ」と声を上げた。


 頬を染めながら俺を見上げる。


「ロクちゃんの手、大きいね」


 俺は笑って、その頭を撫でた。


「さあ、的を見るんだ。眉間のあたりに意識を集中して」

「はい、ロクちゃんせんせー!」


 南の海を思わせる双眸が、的を睨め付ける。


 その体内で、蒼い魔力が溢れんばかりに輝き始めた。


 ティティがうずうずしているのを感じて声を掛ける。


「まだ、もう少し。魔力が落ち着くまで待つんだ。大丈夫、ティティの仕事は、待って、待って、その一瞬が来た時に、狙った的に当てること。みんな絶対に君を信じて持ち堪えてくれる。呼吸を深く。君の狙い澄ました一射が戦況を覆す、その光景を思い描いて。大丈夫、絶対に当たる。だから、その刻が来る・・・・・・のを待つんだ」


 呼吸と共に魔力が巡り、小さな手に集まっていく。


 やがて膨張した魔力が、湖面のように凪ぎ――


「今!」

水強弓アクア・シュート!」


 詠唱と共に放たれた水の矢が、見事にど真ん中を撃ち抜いた。


「やったぁ!」


 ティティはハイタッチを交わすと、勢い余って抱き着いてきた。


 その頭をよしよしと撫でる。


「今くらい待ってもいいから、魔力をしっかり練り上げることを意識しような」

「はーい! ありがと、ロクちゃんせんせー!」


 ティティと手を振って分れると、俺は広場を見回し――ふと、隅でしゃがみ込んでいるリゼの姿に気付いた。


 後ろから覗き込む。


 リゼは何やら真剣な顔でしおれかけている花に手をかざしていた。


「『治癒ヒール』!」


 その手のひらから、黒い火花がバチバチと飛び散る。


 リゼは「ひゃ」と慌てて手を引っ込めた。


「回復魔術か?」


 リゼがぱっと顔を上げる。


 頬を染めて立ち上がると、慌ててスカートを整えた。


「あっ、は、はいっ! けれど、やはりダメみたいで……」


 淡く上気した頬に映える、ルビーを想起させる真紅の瞳。亜麻色の長い髪を美しく編み込み、柔らかなピンクのドレスを纏ったその姿は、薔薇の花びらで着飾った妖精を思わせる。


 俺が怪我を負う度に、リゼはひどく心配して「私に回復魔術が使えれば……」と辛そうにしていた。


 俺としては、痛みに寄り添ってくれるその優しさだけで十分なのだが、リゼはしょんぼりとうなだれている。


「うーん」


 回復魔術はもともと、水と風が得意とする領域だ。炎属性のリゼとは相性が悪い。加えて、リゼの身体に根を張った魔の力が、回復魔術の習得を阻んでいる。


 何かいい方法はないかと考えていると、リゼが俺を見上げた。


「ロクさまは、お花を元気になさったり、ドラゴンザナドゥさまのお怪我を癒やしたりなさいましたよね? あれは一体どうやっているのですか?」

「ああ、俺のは魔術じゃなくて、魔力を移してるんだ、こうして」


 俺は花に触れると、静かに魔力を注ぎ込んだ。


 うなだれていた花にたちまち生命力が漲り、艶やかさを取り戻す。


 リゼが目を輝かせた。


「すごい……何度見ても、奇跡のような力です」


 俺が持つただひとつのスキル、『魔力錬成』。


 無限に魔力を錬成し、他者へ譲渡する力――魔力であれば自在に干渉・操作できるスキル。この世界に召喚された時、魔術さえ使えない俺が唯一与えられた力だ。


 リゼは再び花に手を向けて「むむむ……!」と集中している。


 その姿を見ながら、ふと口を開く。


「そういえば、呪文ってないんだな」

「? 呪文、ですか?」

「ええと、『痛いの痛いの、飛んでいけ』みたいな……いや、違うな。こう、決まった文言フレーズを読み上げれば発動するような」


 この世界の魔術は、イメージを練り上げ、エーテルを取り込んで魔力を活性化させることがメインで、呪文は発動させるためのトリガーとしてのみ機能している。


 呪文さえ唱えれば誰でも使える類いの魔術があれば、リゼも回復魔術が使えるのではないかと思ったのだが――


「それは古代魔術ですね」


 琴の調べにも似たたおやかな声に振り向くと、マノンが立っていた。


 豊かに波打つ髪に、おっとりと大きなすみれ色の瞳。名家レイラーク侯爵家のご令嬢で、社交界の華と呼ばれた、淑女の中の淑女。いつも後宮の姫たちを取り纏め、細かい気配りで俺をサポートしてくれている。


「古代魔術?」と首を傾げると、マノンは頷いた。


「魔王との大戦が勃発するより前、遥かいにしえに失われた魔術です。全てを収めた者だけが、詠唱を以て発動させることが出来たと言われております。ほとんど神話や伝承の類で、数少ない書物や文献も大陸図書館に保管されているので、真実を知る術はないのですが……」


「全てを収めた者だけが使える魔術……」


 一体どういう意味だろう。


 そもそも魔術を使えない俺には縁の無い話かもしれないが、リゼのアザ呪いを消すための手がかりになるかもしれない。一度大陸図書館をあたってみようか――


 その時ふと、リゼが首を傾げた。


「ロクさまは、何の属性なのでしょうか?」

「ん?」

「例えば、水と火の魔術は互いに打ち消し合います。魔力も、属性によっては反発し合いそうなものですが、ロクさまは誰にでも魔力を移せますよね?」


 白銀の魔力が宿る手を見つめる。


 確かにリゼの言うとおり、俺の魔力は誰にでも譲渡できる。


 となると、属性がない――無属性ということになるのだろうか?


 考え込んでいると、背後で爆発音がした。


「?!」





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