第86話 放浪の旅と、約束の地
ホールの奥、一見すると壁の装飾にしか見えないレリーフの先にある、隠し部屋。
花瓶に生けられた花が華やかな香りを振りまき、テーブルの上には瑞々しいフルーツが盛られている。
瀟洒なカウチにゆったりと腰掛けた婦人は、開口一番、目を輝かせた。
「なぜわたくしがオーナーだと分かったの?」
「護衛の意識が、貴女に向いていたからです」
謎の
参加者に紛れているのはオーナーだけではない。必ずオーナーを護るための護衛や警備が身を潜めているはずだ。
そう考えて魔力を視れば、一目瞭然だった。参加者のはずの内の何人かが、明らかにこの婦人へと意識を向け、常に注意を払っていた。
婦人が微笑みながら仮面を外す。
仮面の奥から、穏やかな
婦人の美貌を見て、マノンがはっと息を呑む。
「ま、まさか、オリヴィアさま……!?」
「ええ!? 国王陛下の大叔母さまの!?」
マノンに続いて、リゼが雷に打たれたように頭を垂れる。
記憶を手繰る俺に、マノンがそっと教えてくれた。
「オリヴィアさまは、サラミス領の公爵さまにして、陛下のお爺さまの妹御……大叔母さまにあたります」
「と言っても、今は隠居の身だけれどね」
老婦人――オリヴィアは楽しげに喉を鳴らして笑った。
サラミス公爵の名は聞いたことがある。若い頃から美しく奔放で、恋多き貴婦人と呼ばれ、幾多の婚姻と離婚を繰り返した女性。かつては大陸図書館の管理を預かり、あらゆる魔術をおさめたという才女だ。
俺はふと、オリヴィアの指先で、魔力が滞っていることに気付いた。
「失礼ですが、お手を取っても?」
「ええ」
差し出された指先をそっと握り、魔力を送り込む。
「まあ、温かい。それにとても優しい気持ちになるわ。これはなぁに?」
目を輝かせるオリヴィアに笑いかける。
「少し、魔力を。ところで……大陸中の王侯貴族を虜にしているという、新進気鋭の宝石職人――顔のない名工、カーバンクルは、貴女ですね」
リゼたちが「えっ」と声を上げる。
オリヴィアは目を丸くした。
「あら。そこまで見破られたのは初めてよ。どうして分かったのかしら?」
「指に、細工を扱う職人特有の特徴が」
そして何より、マノンのネックレス――カーバンクルの作品に宿った魔力と、オリヴィアの魔力が呼応している。
淡い乳白色の輝き。おそらく光属性だろう、かなり希有な魔力だ。
「闇サロンは、新作のアイデアのために?」
尋ねると、オリヴィアは皺深い目を細めて笑った。
「そう。人生を豊かにするためには、感性を磨き続けなくてはね。そのためには、お祭り騒ぎが一番。ただし、エレガントでヴィヴィットで、洗練されていないとダメ。わたくしはいつだって、インスピレーションを掻き立ててくれる刺激的な出会いを探しているの」
オリヴィアはマノンに柔らかなまなざしを向けた。
「私の作品、とても素敵に着こなしてくれて嬉しいわ」
「身に余るお言葉です」
オリヴィアは膝を折るマノンに微笑み掛けると、俺に向き直った。
「さあ、貴方のお願いを聞かせてちょうだい? ホール中の注目を集めたばかりか、わたくしの正体まで言い当てたのですもの。何が欲しいのかしら。誰もがうらやむような地位? 一生掛かっても使い切れないような富? それとも世界一可愛いお嫁さん――は、もう間に合っているみたいね?」
「コロシアムはご存知ですか?」
「ああ。あの悪趣味な賭博闘技?」
「俺を剣奴として出場させていただけませんか」
「スポンサーになってほしいということね? 出来ないこともないわ。裏社会には、少しばかりコネがあるから。けれど、理由を聞いてもいいかしら?」
「囚われた仲間を取り戻し、コロシアムを解体します」
オリヴィアは「まあ、まあ」とおもしろそうに小首を傾げた。
「あの低俗な
「では――」
「ただし、剣奴として送り込むには、腕が立たなくてはならない。剣の腕は確かかしら?」
俺はリゼに目配せすると、祝福の剣を抜いた。
リゼが「失礼いたします」とテーブルから林檎を取り、宙に投げる。
俺は軽く剣を
「この程度で良かったら」
シャロットが「わあ、すごいです!」と手を叩き、オリヴィアが目を細める。
「これは面白いものが見られそうね」
微笑み合い、握手を交わす。
恋多き貴婦人の皺深い手は柔らかく、温かかった。
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コロシアムの開催を待つ間、俺たちはオリヴィアの屋敷で世話になることになった。
「勇敢な後宮部隊のことは、噂には聞いていたわ。そう、貴方が」
朝食後、二人きりの温室。
俺が勇者だと知ると、オリヴィアはおもしろそうに俺を覗き込んだ。
「貴方、魔術が使えないのですってね?」
「はい。スキルも、魔力錬成という、基本的なスキルしかなくて。他には何の力も」
唯一の武器である祝福の剣に触れて、ふと思い出す。
オリヴィアは大陸図書館の管理を任されていたこともあったという。
「古代魔術について、何かご存知ではありませんか?」
「世界のはじまりと共に生まれたという、究極の魔術ね。原初の魔術にして、あまねく魔術の頂点。その力は強大に過ぎ、故に全てを手にしたものだけが使えるとされているわ」
「全てを手にした者とは?」
「無限の魔力を持ち、全ての属性をその身に宿す者のことよ。火、水、風、土。雷、光、毒、氷雪……自然や、この世界を構成する元素、その全てを」
歌うように言って、扇で口元を隠す。
「けれど、そんな人間はいないわ。神代よりも前――生き物たちが、まだ形もなく、個々の魂もなく、ひとつだった頃ならともかくね?」
全ての属性を備える者のみが使える魔術。
無属性の俺からはあまりに遠い力だ。
「つまり、人間にはどう転んでも不可能ということよ。だって、完璧な生き物などいないでしょう? それに、古代魔術を発動させるには呪文が必要だとか。大陸図書館に、その呪文について記述された古代書があったそうなのだけれど、遠い昔に散逸してしまったのよ」
「そうですか」
白銀の魔力が巡る手を見下ろす。
フェリスやサーニャ、アザレア部隊のみんなは、今頃どうしているだろう。俺にもっと力があれば、怖い想いをさせずに済んだはずだ。
自分への苛立ちを拳に握り込んだ時、ヘーゼルの双眸が柔らかく笑んだ。
「忘れないで、ロク。強く優しい
オリヴィアは温室の外、大きな犬と戯れるシャロットと、それを楽しそうに見守っているリゼたちへ目を向けた。
「彼女たちが心から貴方を慕い、信頼を寄せているのが分かるわ。貴方のこれまでの人生はきっと、あの子たちと出会い、愛し愛されるための
オリヴィアが車いすから伸び上がった。温かな手が頬を包む。
「本当の強さとは、一人で為し得るものではない。貴方は大いなる運命に導かれて、約束の地にたどり着いたのよ。胸を張りなさい」
柔らかなまなざしに、この世界に喚ばれてから今日までの道のりを思い出す。
困難な道を、一人では決して越えられなかった道程を、彼女たちと歩んできた。みんながいてくれたから、ここまで来られた。
彼女たちのために、世界のために。これまで出会い、力を貸してくれた人々のために。自分に出来ることを、一歩ずつ刻んで行こう。
噛みしめるように頷くと、オリヴィアは満足そうに微笑んだ。
「次のコロシアムは三日後に開催されるそうよ。あなたの大切なお姫様たちを救い出すために、腕を磨いておくことね、勇敢なる
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